My First T-Blog

虎式ブログサービス
最近のエントリー

最近のコメント

カテゴリー

バックナンバー


ヤフオクの不思議

先日、ちょっと掛け時計を物色していて、何はともあれ新品1円をチェックして、ウォッチリストに追加しておいた。

終了後、最終落札価格は2000円。

「おいおい、マジかよ!」

1円の商品は客寄せ用で、一方で平常価格で出品している場合が多い。
この場合、平常価格は1980円。

なんでわざわざ高くして買うのか ヽ( ´ー`)ノ

きっと私なんかと違って、お金持ちなんだね。

書いた人 nippon | comments(0) | - |




首がダメです もう許して



この土日は、野球観戦三昧の予定だったが、金曜日夜に
「明日ちょっと手伝って」
と言われて、のこのこ仕事に行ったのが最後、土曜日に続いて日曜日も終日(つか、夜中まで)引きずりこまれて、結局何にも出来なかった。

周囲の人々は、私と違って家族と同居なので、多少拘束時間が長くとも何とかなるのだろうが、私の場合はそうはいかない。
自分で動かないことには食事にもありつけないし、洗濯された衣服も着られないのである。


日曜日は帰宅が深夜になったが、洗濯機を保管してもらっていた近所の人の倉庫に一応行ってみた。

「今日ちょっと出したい。遅くなるかも」
と、電話を入れておいたら、電気もつけてくれていたし、手前まで引っ張り出してくれていたので助かった。

なんとか家まで運んで行き、セッティングして、洗濯を始めたが、十数分後に床が水浸しなのに気づく。
ホースを排水溝のパイプに接続したのだが、締め付けが甘かったため、そのまま床に排水中・・・・・・ 。・゜・(/Д`)・゜・。

まるでコメディドラマの世界。
ありったけのマットと雑巾を持ってきて、何とかその場をしのいだ。


2日間職場のPCに張り付いていたせいで、もう首はパンク寸前である。
今日も何度も瞬間的に平衡感覚を失った。

で、念願の鰻を買ってきた(笑)
土用の頃からずっと買いたかったのだが、高くて手が出ず、先日深夜半額の寿司を買ってきていたのだが、結局翌朝に持ち越し&忘れてて食えずじまい。

今日はしっかりいただいた(`・ω・´)





書いた人 nippon | comments(0) | - |




二槽式洗濯機

長らく大正生まれの祖母と同居していたこともあって、我が家の洗濯機は二槽式である。

私などは、外に出ていた時期を除いて、ほとんどこのタイプを使っているので、洗濯機といえば感覚的にはいまだに、これだ。


この連休期間中、親戚が一週間ほど滞在し、その間私は洗濯機は使わなかった。

が、昨日たまった自分のものを洗濯しようとしたら、いきなり排水できない。
今日、洗濯物をすべて取り出し、裏側を開けてはみたものの、排水機構自体が開けないユニットの中にあるらしく、一般人が修理できるレベルではなかった。
「使い慣れない人が使うからこうなるんだ」
と責めるべきか、
「滞在期間中に故障するよりはよかったんじゃない」
と思うべきか、複雑だ。

外に出ていた時の全自動が倉庫にあるので、動揺は最小限だが、もう4年くらい経ってるし、使えるのかなあ・・・・・・
書いた人 nippon | comments(0) | - |




休み

連休あけの火曜日、遅めの仕事終わりから、ちょっと知り合いの所に寄ったら、盛り上がって日付が変わるまで飲んでしまい、水曜日はもう眠い眠い。

仕事で車であちこち移動してたのだが、少しの間でも睡魔に襲われっぱなし。
多少アポの時間待ちもあったので、一人なら仮眠するところだが、複数で行っていたのでそうもいかず辛かった。

もう10年近く感じているんだが、酒を飲んだ日は睡眠時無呼吸とかで眠っていないのと等しいのに違いない
一度ICレコーダーのスイッチを寝る前にONしてみたいと思うが、変なの入ってたらコワイので、よしている(笑)


今日は午後野球観戦の予定だったが、運転のしすぎで首の調子が思わしくなく断念。
連休を利用して滞在していた親戚も早朝に帰途についたので、久しぶりにぼーっと過ごした。

毎日、夕方になるとものすごく眠くなる。
これももう10年くらい続いている。

「体温が下がると眠くなる」
らしいが、夕方そうなるようになっているのだろうか。

書いた人 nippon | comments(0) | - |




THE MYTHの姫様役





キムヒソソさんなんだけど、たまに大陸系で異様に綺麗に思える人いるよなあ。
お国柄もあるんだろうけど。

映画の中では絶品!
あんまググって色々見ちゃうと幻滅しそうだから黙殺(笑)

いや、とにかく映画の中では恐ろしく綺麗。
怪談百物語に出て欲しい(笑)

書いた人 nippon | comments(0) | - |




YOUTUBE ダウンロードできない(できなくなった) 人へ

またまたyoutubeで動画がダウンロードできない状況に・・・・・・

以前は、GetFLVとかでDLできてたんだけど、PC換えたりしてたら音声しか入らなくなって、ネットで解決策を探したけど、
相変わらずきちんとした答なんか、ネットになんかありゃしねえ。

ネットって便利そうなんだけど、答が見つからないものは、本当に見つからない。
分からない人に分からない人が教えることで有名な、「○○質問箱」とかマジに最悪。

まったく分かってないヤツが、検索で拾ったURLを持ってきて
「これなんかどうですか?」
などと実証もせずにやるもんだから始末に負えない。

他のいくつかのソフトをDLしてみたが、どうもしっくり来ない。


で、今やってる方法(リアルプレーヤー使用)。

RealPlayer SP をダウンロード

○PCで使えるようにセッティングする(途中で「有料版買いますか?」が入るので、買わない人は無視)。

○RealPlayer SPを起動

○IEなどでYoutubeでDLする動画を開き、アドレスをコピー

○RealPlayer SPのメニュー「ファイル」→「開く」でアドレスを貼り付けて「OK」をクリック。Youtubeに接続され、動画が再生される。

○動画再生部分右上に水色で「このビデオをダウンロード」が出るのでクリックして作業完了。
あとはずっと再生していなくても、DLされる。


○RealPlayerの「マイライブラリ」以外から、DLしたファイルを探す場合は「マイドキュメント」→「マイビデオ」→「RealPlayer Downloads」で



RealPlayerをインストールすると、画面右下にメッセージセンターが出るようになるので、不要な場合は右クリック環境設定でOFFに
書いた人 nippon | comments(2) | - |




変速機ワイヤー修理



こちらは過日父親からもらってきた、ジャイアンのクロス2000。
フロントディレーラーの調整をしてて、
「なんでいくら引っ張っても緩むんだ?」
と、思っていたらシフター直下のアウターが劣化して裂けてました。

新品もあったが、中古のアウターがあったので、それを利用して本日取り付け。
セコく、元のインナーをペンチで5ミリずつアウターに押し込んでました(笑)
ついでにリアも調整してみたが、うまくいかねえ('A`)




こちらはBianchiADVANTAGE。

ずいぶん前から、6段変速くらいの状態・・・・・
最近この状態に気づいたが、これで変速がうまく行くわけないよなあ。

ジャイアン修理もあり、昨日念のため新品のアウターを買ってきた。
店を出るとき、何か後ろ髪を引かれると思ったら、インナーを買うべきだった。
家にも新品のワイヤー類はあったが、帰宅して確認すると、なぜかブレーキ用ばかりで、変速用は1本だけ。
2台のうち、先端がキャップに収まっていてバラケの少なかったジャイアンから修理。
結果的にアウター・インナーとも新品に交換せずにすんだので、ビアンキも修理できることにはなったが、自分の技術に自信が無くなっており、腰が重い。。。。。
書いた人 nippon | comments(0) | - |




にんにく



金曜日に産直市による機会があり、ニンニクがあったので、喜々として購入。
最近こういった場所に行く機会が少なく、ここ数ヶ月、親が持ってきた超ミニサイズや、スーパーで398円とかで売られている青森産を
「もったいないけど中国産よりマシか」
と購入したりしてしのいできた。

若干小さめだが、4玉で100円。
もっと買ってくればよかったかな。
書いた人 nippon | comments(0) | - |




振り付け

今年の忘年会の余興ネタをようつべで探してました。

ありました! LOVE&JOY

2000年か。
今以上にテレビなんか見てなかった時代だなあ。
木村由姫って名前自体も初めて知った。

真ん中のおねーちゃんの楽しげな表情は、愛しの土方様(※)の瀬川瑛子姫とかぶるわ(←なんて時代劇ヲタネタ)w

これいい曲だなあ。

こっちもなんかすごいんだけどなw
なんか目に焼き付くんだよなあ、このコの動き。
動画も一般者のはクソ重いのが多いけど、割と軽いのもいいわ。
しっかし、どんだけ投稿してんだよwww



※正式名は「GO! GO!侍ニッポン」なのか


書いた人 nippon | comments(0) | - |




30 years ago

先月は何かと出費が多かったこともあり、また無駄遣いをしてしまったこともあり、ここのところ自分への戒めも込めて、節約生活をしている(って、単に無いだけじゃないのか?!)。

とりあえず、毎日千円ずつは持って、どれだけ我慢できるのか自分との戦いだ。
自転車通勤を再開したこともあって、買い物にほとんど行かなくなった。
「買い物すると荷物重くなるからやだ」
単純である。

車なら悠々買ってくる一升の日本酒パックも重いので買わず、まずくて残している(笑)焼酎とか、買っていたのを忘れていたようなウイスキーを引っ張り出してチビチビやっている。
飲みに出たのは、軽い付き合いの1回だけで2千円で済んだ。

ここ2週間で使ったのは1万円程度。
飲み代、煙草代を差し引くと、6千円。
多少栄養面で問題はあったが、
「こういう生活も出来るんだな」
と、いい勉強になった。


自転車通勤してて、ふと気づいたことがある。
自宅と通っていた中学・高校の半分の位置に現在の職場があるので、通勤コースはほぼ当時と重複している。
途中、街中の一軒家がある通りを通るのだが、朝ある家の前でよく2〜3歳の女の子を見るようになった。

私が中1の頃、その家で、たまたまお母さんが道路に面した部屋で、赤ちゃんに授乳しているところを見たことがあり、ちょっとドキドキしたことを覚えている。

あれからジャスト30年経つので、そのときの赤ちゃんが結婚して、次の世代が誕生しているというのは、ごく自然な流れ。

私は引っ越しやそれに伴う転校を何度か経験しているので、ずっと同じ所で住んでいるということはうらやましい限り。

それにしても、時は流れている。

書いた人 nippon | comments(0) | - |




月曜から事故る

今朝もチャリ通勤してて、左折するときに右から車が来てたもんで、あまりふくれないように交差点を進んだ。

そしたらいきなりオバサマのチャリが目の前に!
左側に歩行者もいるわ、下手に右によけたら車が来てるしで、動けず。
結果、ちょうど前輪が並行に重なりあう感じで衝突。
昨日は回避したんだが・・・・・・
オバサマの前かごがプラスチックで弾力があったのと、私がステムをガチガチに締めてないのが功を奏したか、お互いさほどダメージ無し。

右側通行していたのが悪いと思っていたのか、先方は恐縮しきり。
お互いケガも自転車の損害も無さそうだったので、そのままお別れ。
私はタイヤとハンドルの方向が若干ずれてはいたが・・・・・・

まあ、大難が小難に変わったということで、よしってことか。

書いた人 nippon | comments(0) | - |




お茶のきた道

このところ愚痴ばかり書いている。

今日も愛車BianchiADVANTAGEで走っていたところ、交差点で指示器もつけずに急に左折してきた車がいて、いわゆる左折巻き込みされるところだった。

一瞬巻き込まれてやろうかと思ったが、わたしのBianchiは旧車のうえ、同じフレームサイズを探すのは一生かかっても難しい。
新しい現行車は買ってもらえるかもしれないが、この旧車は何物にも代え難い。
これまた一瞬の判断で、完璧にブレーキングした次第。
「助かった」と思えよ、アンタ!


パチンコに行く機会が無くなって以来、飲みに出る機会も激減、というかまったく行っていない。
(※私はただ「パチンコをしにいく」という行為は10年来したことがない。「飲みに行ったついで」という口実を作る性癖がある)
このところ仕事が遅いし、9月中は土日すべてが外出する予定で埋まっており、金曜日などはさっさと家に帰りたいという事情もある。

最近の私のイライラ状態を考慮すると、飲酒という行為も一定のストレス解消になっているのだと思う。
家でも多少は飲むが、さすがに翌日
「お酒のない国に行きたい」
と思うレベルにまでは行かない。

外で飲んでいて、酩酊量に達した時点というのは、起きていながら煩わしいことは忘れているし、気は大きくなっているし、そういった状況が精神的にいいのではないか。

学生時代、「お茶の来た道」という特別講義を受講したことがある。
講師の守屋毅先生(故人)が、
「古代、お酒や煙草は日常と違う感覚なることによって、神に近づくためのものだった」
といったようなことをおっしゃっていた。

先生も同じだったように、私も神様に近づく修行を日々ぬかりなくやっているのだが、時々強度なエクササイズも必要みたいだ。
書いた人 nippon | comments(0) | - |




思いどおりに生きてる人間なんかいやしない

先日、宴席で20代後半の女性と一緒になって、彼女がグチっぽく
「だって、そういうのってアタシの世界には無いことなんで、出来ないんでですよぉ」
と、仕事上のことでもあっさりそう言ってのける。
一応大学は出たらしいが、現在はちょっとした手伝い程度の仕事しかしてないらしい。

その場にいた全員では無いと思うが、結構引いた('A`) 

「そんなんだからまともに仕事につけないんだよ」
って、きちんと言うべきかとも思ったが、そこまで親しくない人間に対しては失礼だろう。
まあ、ニートも多いの世の中だから、こういう考えの人間も結構いるのか。


「思いどおりに生きたい」
などと言う人間は正直どうかと思う。

「出来る限り」が頭についたとしても、思いどおりに生きられる人間なんてこの世の中にいるかどうかも疑わしい。

私にすれば、まず株でもFXでも競馬でもパチンコでもいいが、それで収入が得られるなら、仕事に行かなくてもいい。

仕事に行くと、色々な案件が舞い込んでマイペースでは出来ないし、早く帰りたくても帰れない日もあるし、気が乗らなくてもやらないといけないことは山ほどあるし。

「自分の世界に無いから、それはできない」
とか言うと
「明日から来なくていいよ。いや、もう帰って」
って、言われるわ。

っとに、甘いよ、甘い。
書いた人 nippon | comments(0) | - |




バカなの?

ヤフオクは最近ゴミが多いって前も書いた気がするけどさ、しかし、素材とかサイズも書かずに「画像で判断ください」って何なの? それが人にモノを買ってもらおうって態度かよ。「買いたい人だけでいいんです」ってのは人間性がひどすぎる。この前もバカがいて代金払って品も届いた後で「ヤフオクの自動出品システム使ったら、実際の送料と違ってました。差額振り込んでください」なんて当たり前のように書いてくる。あきれるね。
書いた人 nippon | comments(0) | - |




100質

大半の100の質問の掲載サイトって、どうして作り方のセンスがああも悪いのかね。検索してそのページに行っても入り口がすぐ分からないのが多いし、くだらない解説はどうでもいいので、ここにあるよ!って明記してくれればいいのにさ。こっちは質問の内容が見たいだけだし、大体質問作ったくらいで著作権とかおこがましくないのか? 掲載するならリンク貼れだとか、アクセス数アップが目的なの見え見え。アダルトサイトと変わんないじゃん(笑)
書いた人 nippon | comments(0) | - |




おお振り 夏の編 OP フル

これって結構いい曲だと思うんだけど。

でも某実況板では、ひでぇコピペ貼られて「汚い」ってことになってる(笑)

こいつらまだ二十歳くらいなのか。
若いな。

公式歌詞と少し違うから、「ほぼ」フルコーラスってとこか。

あ、フルはこっちにあった。

書いた人 nippon | comments(0) | - |




時代劇専門チャンネル

以前スカパーでは「よくばりチャンネル」を契約していたが、一度見直しをして、現在は
・アニマックス
・時代劇専門チャンネル
・ユニバーサルチャンネル
しか契約していない。

このところ、「時代劇専門チャンネル」が熱い。

はっきり言って私的には「鬼平犯科帳が見たいがためにだけ」契約したのだったが、

22:00  旗本退屈男
23:00 素浪人 月影兵庫

のゴールデンラインアップとなって以来、これらに釘付けである。


先日までは
01:00 助け人走る(必殺シリーズ)
02:00 大江戸捜査網
だったもんで、寝るヒマがなかった(笑)

「旗本退屈男」は、北大路欣也の実父・市川右太衛門が主役である。
「素浪人 月影兵庫」は、松方・目黒兄弟の実父・近衛十四郎が主役。

「鬼平見たさ」が無ければ、このお二方には、今生お会いできなかったと思う。

いや、「とにかく面白い」の一言。

座頭市劇場版もこのところ並行してやっているし、見応えは満点。







書いた人 nippon | comments(0) | - |




カマスうめぇ



今日は仕事が遅くなったんで、久々帰り道にスーパーマーケットでダンピング品を物色。

干物を食べたい気分だったが、あいにく県外製品ばかり。

結局、地場産品の中から
・沖ウルメ・干物4本入128円 定価
・なぜか安かったカマス・生・開き3枚入125円 50%OFF後
にした。

沖ウルメ(ニギス)は見た目が悪いせいか非常にチープだが、なかなかうまい。
これが稀少な魚だったら、きっと高価でも皆食べたがるに違いない。

予想外だったのは画像のカマス。
生ゆえ、身が柔らかいだろうと思って、塩としょう油振ってしばし冷蔵庫に放置。
まったく期待はしていなかったが、その後焼いたら(゚д゚)ウマー

手抜きして焼いたんで、ボロボロになってしまったが、干物は高いので買わない身にとっては、すげー得した感じ。

次もこういう機会があったら全力で買うわ(笑)




書いた人 nippon | comments(0) | - |




古事記



「大学」と「論語」に続く 「若い頃よく読んでたシリーズ」(笑)

「中庸」は、ネーミング的にちっちゃくまとまりそうなイメージがあって、ほとんど読んでいない。
「え、持ってたのか?」
と思ったくらい。
まあ年も年だしそろそろ読んでもいいかな。

講談社版より、現代向けにもう少しわかりやすくてもいいかもしれない。
PHPとかのやつは解説が丁寧だったかも。


「古事記」は、上つ巻しか読んでない。
文庫で言えば60ページくらい。
この厚さの5分の1くらいか。

内容は、神様がいっぱい出てくる物語。
神々様は、日本のあちこちの神社のご祭神。

伊勢神宮の天照らす大神(原文どおり アマテラスオオミカミ)を始めとして、挙げるときりがないです。
神社に行くと、功徳とか御利益がそれぞれあるが、これを読めばなるほどと。

外国の神話は、結構相手を殺してしまったり、何かに変えてしまったりと読んでいてうんざりするが、日本のは面白い。
日本人の生活習慣そのままというか、遙か昔も今も似たようなもんだ。

この物語は、私にとってIL GARAGEというかGARAGE WONDERLANDというかGARAGELANDというか、まあここが原点みたいな理屈抜きに好きな世界。

これ大河ドラマでやると面白いんだろうけどなあ。
猿田彦とか役的にかっこいいし。
宗教的だから無理か。


○古事記(角川日本古典文庫)
○中庸(講談社学術文庫)

書いた人 nippon | comments(0) | - |




「トルコによるイラン在住日本人救出(下)」 (国際派日本人養成講座から)

注)以下はメールマガジン「国際派日本人養成講座」からの引用です。
興味のある方は、メールマガジンを受信すれば、定期的に読むことが出来ます。

◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇

「トルコによるイラン在住日本人救出(下)」

■1.「日本人の搭乗希望者数を教えてほしい」

事件当時、イランに駐在していた野村豊大使は、当時をこう振り返って、こう語っている。

『さて、フセイン大統領の言うタイム・リミットの前日の18日夕方、ビルセル大使(駐イラン・トルコ大使)から、「明日、トルコ航空機が2機来る。空席があるから日本人の搭乗希望者数を教えてほしい」という電話が来ました。
その頃は大分空襲が激しくなっていたので、在留邦人は郊外の温泉地のホテルや、テヘラン市内の高級ホテルの地下室等に避難していました。大使館員は翌19日の明け方までかけて手分けして邦人の居所を探し、希望を募りました。
そして19日の晩に2機、一つは19時15分、もう一機は直前の20時頃飛び立ったのです』

野村大使はビルセル大使と家族ぐるみの付き合いをしており、それが、こういう際にもスムーズに連絡をとれた一因であろう。
ちなみに邦人が脱出した後も、野村大使と大使館員49名は現地に残った。


■2.「この任務を皆、喜んで引き受けました」

同じく、前日の夜、トルコ航空では日本人救出機の飛行準備を進めていた。
機長のスヨルジョ氏は語る。

『このフライトの飛行命令が出たのは、前日の夜でした。翌朝に飛行ルートを決定し、準備をしてアンカラに飛び、アンカラで最新情報の取得や給油などを済ませ、現地へ向かうということでした』

救援機に乗り込んだ客室乗務員でもっとも若かったキョプルルさんは、「イラク爆撃の話を聞いて恐怖心はありませんでしたか?」と聞かれて、こう答えている。

『私にとっては予定外の仕事で緊張しましたが、怖くはありませんでしたし、非常に有意義な業務であるため、興奮したことを覚えています。
当社では職務上の命令でも、危険な業務であると自分が判断した場合は拒否することもできますが、私たちは非常に規律ある組織だったので、各人が業務の内容を理解し、また、人間として他者を助けるということが大切ですので、この任務を皆、喜んで引き受けました』

キョプルルさんはこの任務のことを夫には伝えたが、父母には心配させたくなかったので、話さなかったという。


■3.搭乗券を手にすると、歓声があがった

当時、東京銀行イラン駐在員としてテヘランにいた毛利悟さんは、こう回想する。

『昼間チケットを求めてヨーロッパの航空会社の事務所を回り、チケットを入手しても自国民優先ということで座席の確保がなかなかできませんでした。そのうちに民間機撃墜の話があり、パニックのような状態になりました』

そこにトルコ航空機が救援に来る、という知らせが大使館から入った。

『当日のテヘランの飛行場は脱出しようとするイラン人、外国人が一杯でしたので、いっせいに何千人という人が飛行場に駆けつけ、トルコ航空のカウンターの前にも長蛇の列が出来ていました。急なことだったので、着の身着のままの人も多かったのです』

それまで、どこの航空会社も「自国民優先」ということで、日本人の搭乗を拒否していたので、トルコ航空のチェックイン・カウンターに並んだ人たちも、本当に搭乗できるのか、疑心暗鬼であった。

最初に並んだ日本人が搭乗券を手にすると、歓声があがった。懸念が安心に変わると、後に並ぶ日本人たちは逸る気持ちを抑えつつ、順番が来るのを待った。

特に家族連れの日本人は、実際に搭乗券を手にした時、「これで脱出できる」と、妻子を護る、夫として親としての責任を果たせたので、安堵の気持ちに包まれた。


■4.「飛行機に駆け乗る乗客を見たのは初めてでした」

救援機はDC10、当時のトルコ航空では最大の機種であった。緊急の救援要請にも関わらず、こんな大型機をやりくりしてくれたのである。

客室乗務員のキョプルルさんは、出発時の状況をこう語っている。

『エンジニアが飛行機のドアを開けると、飛行機へ駆け込んでくる日本人を見ました。飛行機に駆け乗る乗客を見たのは初めてでした。
私たちもとても緊張していましたが、皆さんはもっと緊張しておられ、その時に、早くお客さまを乗せ、一刻も早く出発しなければならないということを強く意識しました。
乗客の方々は皆、恐怖を感じながらも、テヘランを脱出できるという喜びに溢れていました。私たちもその感情を共有することができました。私たちは客室乗務員として、できる限りのサービスをしました』

飛行機がテヘランに到着してから、217名の乗客を乗せ、ドアを閉めるまで、わずか30分程度だった。

日本人乗客らは、緊急の救援機なので女性乗務員はいないだろう、とか、食事や、まして酒などなくとも仕方ない、と思い込んでいた。
ところが、客室乗務員が全員女性、それも美しいトルコ女性がにこやかに普通の便と同じように出迎えてくれた事に驚いた。また食事も酒も出たのには、さらにびっくりした。

イスタンブルに着陸した時には、機内にお酒はまったく残っていなかったという。それだけ日本人乗客等は開放感に浸っていたのであろう。


■5.「ご搭乗の皆様、日本人の皆様、トルコにようこそ」

救援機が水平飛行に移って、しばらくすると眼下にアララット山が見えてきた。標高5165メートル、イランとトルコの国境に位置している。この山を通過すると、スヨルジョ機長はアナウンスを行った。

「ご搭乗の皆様、日本人の皆様、トルコにようこそ」

機内に大歓声があがった。日本人乗客たちは口々に叫んだ。

「トルコ領に入ったぞ!」
「イランを脱出したぞ!」
「やった! やった!」
「万歳! 万歳!」

昨日からの一連の出来事が思い出され、いろいろな気持ちが一度に胸にあふれて、泣き出した人たちも多かった。殊に家族連れの日本人達は涙を浮かべつつ、なりふり構わず、喜びを爆発させていた。

■6.「我々は地獄から天国に来たのだ」

トルコのオザル首相に直訴して日本人救援機派遣を実現した伊藤忠商事・イスタンブル事務所長・森永堯(たかし)さんは、バスを仕立てて出迎えたが、アタチュルク国際空港に降り立った邦人たちを見て、驚いた。

汚れた普段着を着て、ビニール袋に取り敢えずの生活必需品を入れただけの持ち物を持ち、子供の手を引いて、文字通り「着の身着のまま」という姿で現れたのである。

殊に子供連れの夫人達は、疎開地生活そのままという格好が、その苦労を物語っていた。お気の毒としか言い表せなかった。無理もない。疎開地から取るものもとりあえずテヘラン空港に駆けつけたのである。

ホテルに着くと、シーフード・レストランでの歓迎大宴会が待っていた。イランではアルコールが禁止されていたので、よく冷えたビールを口にすると、みな「今いるのはイランではなく、トルコなのだ」と実感した。

世界三大料理の一つと言われるトルコ料理を堪能した後でも、邦人たちは「店先に並んでいる生カキが美味しそう」と言い出した。森永さんは、もう暖かくなってきているので、生で食べてお腹でも壊したら大変と止めた。

森永さんがオザル首相の補佐官からの電話に出て、無事の脱出を報告し、席に戻ると、なんとテーブルにずらりと生カキが並べられ、皆が美味しそうに口にしているではないか。彼らは言った。

「こんな幸せはない。我々は地獄から天国に来たのだ。カキに当たるなら当たってもいい。たとえコレラになっても、今までのつらい思いを思えば、ずっと幸せなのだ」

幸いにも、誰一人食中毒にもならず、翌日、全員、無事に日本に向かった。


■7.「あなたを独りにしておかない」

しかしテヘランには、600人を超えるトルコ人ビジネスマンがいた。当日、日本人救援の特別機の他に定期便がもう一機来ていたので、その便で100名程度のトルコ人が帰国した。

残る500名近くのトルコ人は、なんと陸路、つまり車で帰国したのである。テヘランからイスタンブルまでは、猛スピードで飛ばしても3日以上かかる。つまりトルコは自国民を遠路はるばる車で帰国させてまで、外国人である日本人に特別機を提供して、救出したことになる。

「こんなこと、日本だったら許されるだろうか?」

私はそう考えると、まず怖れたのはトルコのマスコミの反応であった。

「外国人である日本人を優遇し、自国民たるトルコ人を粗末に扱った」
と報道しかねない。野党がスキャンダラスにこの件を取り上げ、オザル首相批判を行っても不思議ではない。ましてやトルコ人は熱狂的な愛国者である。

私は固唾を呑んで事態の推移を見守った。しかし、それらは全くの杞憂(きゆう)であった。なんと、誰も問題視しなかったのである。トルコのマスコミ、そしてトルコ国民の度量の大きさに私は感銘を受けた。

武勇で鳴らしたオスマントルコは、日本と同じサムライの国である。トルコ人は
「あなたを独りにしておかない」
という。困ったあなたを放ってはおかない、という意味である。「武士の情け」と同じ心だろう。


■8.恩返し

森永さんは「トルコ航空にかならず恩返しをしよう」と自分に誓った。やがてそのチャンスがやってきた。トルコ航空が、エアバスの長距離大型機を2機購入したいというのだが、その資金がなく、15年もの延べ払いが必要であった。

当時、トルコのカントリー・リスクは高く、長期の信用供与をしてくれる企業はなかった。森永さんは「私自身が担保となり、支払い遅延が発生したら必ず取り立てる」と言って、関係者を説得し、ついにトルコ航空とのファイナンス・リース契約にこぎ着けた。

また、トルコ航空はイスタンブル=成田間の就航を強く望んでいたが、成田の発着枠は満杯であり、交渉は一向に進展しなかった。

森永さんは運輸省の高官に説いた。
「日本人の為に、これまでに救援機など出してくれた国が、他にあったでしょうか?」
「それでもトルコ航空の要望を、他の国の航空会社と同じ扱いになさるのですか?」

「そうだったね。そんな事件があったね」
と答えて、その高官は、政府関係者を説得して回った。

こうしてトルコ航空の希望通り、成田への乗り入れが決まった。そしてなんと森永さんが斡旋したエアバス2機がイスタンブル=成田線に就航したのである。成田便は、トルコ航空のドル箱路線になった。
心配されていた15年のリース契約についても、トルコ航空は1度たりとも、支払い遅延を起こすことなく完済した。

平成18(2006)年1月、小泉首相はトルコ公式訪問の事前説明で、トルコ航空によるテヘラン在留邦人救出事件の話を聞いて感激した。

そして、その年5月17日にテヘランで、トルコ航空の元総裁、元パイロット、元乗務員たち11名の叙勲を行った。通常、日本政府が外国人に対して行う叙勲は20名程度だが、この年はそれに加えて、トルコ航空関係者11名の大量叙勲を行ったのである。また、オザル首相はすでに亡くなっていたので、未亡人に小泉首相の感謝状が贈られた。

日本とトルコは、長く深い友好の歴史があるが、このトルコ航空による邦人救出は、その特筆すべき1頁である。

(文責:伊勢雅臣)

書いた人 nippon | comments(0) | - |




日本の発酵食



いつ買ったのかは覚えてないが、片づけをしてたら出てきた本。

たぶん出張したときに、談あたりで買ったのだろう。
発行日から推測すると、買ったのは3年くらい前か。
その割には綺麗なままである。
dancyu系は高いんだが、ご多分に漏れず980円。
特集本だからそんなもんかとも思う。

内容はほとんど忘れてしまっていて、読み返すと(読むってほどでもないが)なかなか面白い。

例えば、和食の朝食。

ごはん
みそ汁 ※みそ
納豆 ※そのもの
しらすおろし ※しょう油
卵焼き ※しょう油、みりん
ほうれん草おひたし ※のっている鰹節
漬け物 ※そのもの

日本人は、かなり発酵食にお世話になっているらしい。


私はどちらかといえば作る側なので、今度手軽に出来そうなニラのキムチでも作ろうかと思っている。

掲載されている発酵食品の中で、唯一ピンとこないのがみりん。
使わないこともないのだが、料理を出されて
「本みりん、みりん風調味料 どっちを使っているでしょう?」
などと問われても分からないに違いない。

今後はちょっとみりんを極めてみたいと思う。

しかし、ハマると止まらないからなあ。
哀愁のみりん料理オンパレードにならなきゃいいが。
書いた人 nippon | comments(0) | - |




片づけはもうイヤだ

ここ2カ月あまり、家の中の物品整理に明け暮れた

この土日は、週の初めに仕事が1件山を越えて一息ついたことや、十月にウチに宿泊予定だった親戚が予定変更で九月の連休に来ることになり、これが不燃ゴミの日より手前なので、「何だよ、迷惑だなあ」と、すっかりやる気もなくしてしまい、何もしなかった。


9月は来週以降、すべて土日祝日の予定が埋まっているので、ずっと家にいることにした。
お得意の引きこもり状態である。
こうなると、外に出ることをかたくなに拒む私がいる(笑)

米も切れていたので、延々と哀愁のたこ焼きづくりをしていた。


「捨てる」ことは、かつては苦手だったが、今回は人生観をひっくり返すのが目的なので、過激だ。
捨てたくて捨てたくて仕方がない(笑)
毎日、捨てられるものを探している。
これぞ 色即是空空即是色 の境地か 

書いた人 nippon | comments(0) | - |




論語の一片

先日、「大学」と「論語」について少し触れたが、その後「論語」の一節を引用した小冊子の記事があり、文庫をめくって調べてみた。

記事はエッセイ的なものであって、かなりアレンジされていて、ピンと来なかったが、
「ああ、そんなのもあったっけ」
と。

  ◇   ◇   ◇   ◇   ◇ 

(出典:巻第七 子路第十三 二四)

「周囲のすべての人々にほめられる人というのはどうでしょうか」
「十分ではないね」
「では、周囲のすべての人々に憎まれる人というのはどうでしょうか」
「それも十分ではない。善人にほめられ、悪人に憎まれる人には及ばないよ」

  ◇   ◇   ◇   ◇   ◇ 

この最後のセンテンスには、
「判断する側の器量も色々だから」
「世の中いい人ばかりではないから、悪い人に憎まれても気にすることはない」
などいくつか解釈があるようだ。

※一般的な解説
書いた人 nippon | comments(0) | - |




「トルコによるイラン在住日本人救出(上)」 (国際派日本人養成講座から)

注)以下はメールマガジン「国際派日本人養成講座」からの引用です。
興味のある方は、メールマガジンを受信すれば、定期的に読むことが出来ます。

◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇

「トルコによるイラン在住日本人救出(上)」

■1.「頼む! 助けてやってくれ!」

伊藤忠商事のトルコ・イスタンブル事務所長・森永堯(たかし)さんの電話が鳴った。日本の本社からだった。相手はいきなりまくしたてた。

『イラクのサダム・フセイン大統領が、「1985年3月19日20時以降、イラン領空を通過する航空機は民間機といえども安全を保障しない」と警告を発した。
イランにいる在留外国人は一斉に出国しようとしている。在留邦人も脱出しようとしているが、乗せてくれる飛行機がない。
ついては在留邦人救出のために、トルコ航空を飛ばしてもらうよう、トルコ政府にお願いできないか?
彼らは危険にさらされているのだ! 頼む! 助けてやってくれ!』

1980(昭和55)年に始まったイランとイラクの戦争は、5年経ってますます激しさを加えていた。1985(昭和60)年にはイラク空軍機はテヘランの民間居住域を空爆するまでになっていた。日本人学校の先生宅の2軒隣に爆弾が落ちて5人の死者が出ていた。

さらにイラクのフセイン大統領は、イラン領空を「戦争空域」と宣言し、民間航空機もすべて撃ち落とすという、歴史的にも類を見ない声明を出したのである。


■2.日本政府は救援機を出せない

当時、テヘランにいた野村豊・駐イラン大使は当時の状況をこう語っている。

『在留邦人の生命財産の保護は国の主権として大使館の一番重要な仕事のひとつで、私の脳裏を一刻も離れることのない問題でした。外国は自国民が外国でクーデターや災害等に巻き込まれると救援機や運搬機で自国民を救出する慣例がありますが、日本は55年体制論争が続いており、当時、救援機や政府の専用機を所持していませんでした』

「55年体制論争」とは、社会党の「自衛隊を海外に出す事は、侵略戦争につながる」という主張によって、海外在留邦人救出のための手段が必要だと言う声も、押しつぶされていた状況を指している。

『17日にフセインが出した「イラン戦争区域宣言」を受け、私はただちに日本へ救援機派遣要請を出しましたが、本省から、救援機派遣にはイランとイラク両国の安全保障の確約を現地で取得するよう指示がありました。民間航空機の乗務員の安全確保が優先されたからですが、そのような確約は不可能でした』

自衛隊救援機も出せず、政府専用機もないので、民間航空会社に要請するしかないわけだが、その乗務員の安全確保が保障されない以上、日本からの救援機は出せない、というのである。

空爆の恐怖に曝されている現地在留邦人は、日本政府から見捨てられた形になっていた。


■3.どこの航空会社も「自国民優先主義」

当時は、JALもANAもテヘランには乗り入れてなかった。危険を感じていた在留日本人の中には、欧州各国の航空会社に発券を申し込んでいたが、どの航空会社も「自国民と外交官を優先しなければならない」と拒否した。

ソ連のアエロフロートなら乗せてもらえるというので、オープン・チケット
(搭乗日未定の航空券)を事前に入手していた日本人も多かった。当然、搭乗できると思っていたので、空港のアエロフロートのチェックイン・カウ
ンターでチケットを提示して、搭乗手続きを行おうとした。

ところが、アエロフロートは「ソ連人かワルシャワパック加盟国(ソ連陣営の共産国)が優先」と言って取り合わない。

どこの航空会社も「自国民優先主義」が国際常識で、日本人を乗せてくれる会社はなかった。特に、家族連れの日本人駐在員は、奥さんや子供たちを脱出させる便が見つからないことから、絶望感と焦燥感でパニック状態に陥ってしまった。

こうした窮状が伊藤忠のテヘラン事務所から、東京本社に伝えられた。東京本社から、「頼む! 助けてやってくれ!」という悲鳴のような緊急電話が入ったのは、こういう状況だった。


■4.「何故日本の航空機が救出に来ないのか?」

電話を受けた森永さんは、不思議に思った。

『日本人がこんなに危機に直面しているのに、何故日本の航空機が救出に来ないのか?
今起きている問題は、イランにいる日本人の問題なのだから、本来イランと日本が当事国である。トルコは全く関係のない第三国である。それなのに何故トルコが巻き込まれるのか?』

森永さん自身が疑問に思った事は、トルコ政府からかならず質問されるだろ
う。それにどう答えるのか。さらに彼らは当然、次のようにも言うだろう。

『テヘランには大勢のトルコ人がいる。トルコ政府としてはまずはトルコ人を救出すべきなので、その対策で頭が一杯である。外国人である日本人救援のことまで頭が回らないのが実情なのに、何を言っているのだ?』

トルコ政府に頼むにしても、こうした質問や言い分に、すぐに答えられるよ
う、説得力のある回答をあらかじめ用意しておかなければならない。


■5.「体当たりでお願いしてみよう」

良い考えが浮かばないまま、いたずらに時間が過ぎていく。一方で、テヘランの在留邦人の窮状を思うと、もはや思案している場合ではなく、一刻も早く行動を起こさねばならない。焦燥感と責任感で心臓がつぶれそうだった。

森永さんは決心した。頼む相手は、無理筋の話でも、即断即決で引き受けてくれるトップでなければならない。しかも自分の親しい友人で、強い指導力と実行力のある人でなければならない。となると頼む相手はたった一人しかいない。
「オザル首相にお願いしよう」と決めた。

そして、本来、筋の立たないお願いなので、無手勝流となっても仕方がない。これ以上へたな思案をせずに、体当たりでお願いしてみよう。

意を決した森永さんは、オザル首相のオフィスに電話をかけた。頻繁に電話をかけあっている仲だったので、その時も「緊急」ということで、すんなりとつないでくれた。

「トゥルグット・ベイ! 助けて下さい」 トゥルグットは、オザル首相のファースト・ネームである。ただし、男性に対する尊称の「ベイ」をつけて呼んでいた。

「どうした? ドストゥム・モリナーガさん」 ドストゥムは、トルコ語で「親友」の意味である。また日本通らしく「さん」をつけて呼んでくれた。


■6.「わかった。心配するな。親友モリナーガさん」

「トゥルグット・ベイ! トルコ航空に指示を出して、テヘランにいる日本人を救出して下さい」

「テヘランにいる日本人がどうしたと言うのだ? モリナーガさん」
森永さんはテヘランでの日本人の窮状を説明した。本来トルコには何の関係もない事だが、こんな事をお願いできるのは、あなたの他にいません、と必死で訴えた。

オザル首相は森永さんの話を黙って聞いていた。いつもならすぐに返事をするのに、その時は話を聞き終わっても何も言わずに沈黙を続けていた。


『私は固唾(かたず)を呑んで、彼の言葉を待っていた。「YES」とも「No」とも言わない。私にはこの沈黙の時間がものすごく長く感じられた。その間、「断られたらどうしよう」とか色んなことが頭をよぎる。でも彼は電話の向こうで沈黙を続けたままである。
やがてオザル首相は口を開いた。
「わかった。心配するな。親友モリナーガさん。後で電話する。」』

この答えに、森永さんはしばし呆然としてしまった。「質問されたら困るな」と怖れていたのに、何の質問もない。小躍りしたくなるほど嬉しかったが、胸がつまってしまい、「大変、ありがとうございます。トゥルグット・ベイ」と言うのが精一杯であった。


■7.オザル氏との信頼関係

森永さんが、オザル氏に初めて会ったのは、この時点より10年ほど前だっ
た。オザルさんはまだ政治家ではなく、いくつかの民間企業の顧問として働いていた。

「日本は資源がないので資源を輸入し、技術力で付加価値を付け輸出している」と口癖のように言う知日家であり、親日家であった。

当時のトルコは、農業が最大の産業であったので、日本から技術を導入し、農業用トラクターの製造を行おうとしていた。しかし、当時のトルコは国自体が経済破綻の危機に瀕しており、そんな国に資本を投下しようとする日本企業は皆無だった。

そこで森永さんが協力して、何とか工面した外貨でトラクターの部品を日本から輸入し、細々と組み立てるという事業をおこした。

1978(昭和53)年、トルコはついに外国からの借款が返済できなくなるという最悪の状態に陥った。トラクター製造事業も風前の灯火となったが、森永さんとオザルさんは力を合わせてこの困難に対峙した。この過程で互いへの信頼が強まっていった。

その後、オザルさんは、手腕を見込まれて経済担当大臣となり、「オザル経済改革パッケージ」を発表した。それまでの規制だらけの経済を自由化する事を原則として、これが今日でもトルコ経済運営の基礎となっている。

大臣となっても、オザル氏は日本の経済運営を参考にしたいと、森永さんをよく大臣室に呼んで話を聞いた。オザル氏は、その後の内閣でも経済運営の腕を買われ、経済担当副首相となった。

そして1983(昭和58)年の総選挙では祖国党を立ち上げ、その分かり易い経済政策が国民に支持され、地滑り的な圧勝を遂げて、ついに首相になった。

一時、帰国していた森永さんが、イスタンブール支店長として再赴任すると、オザル首相は森永さんを「日本関係私設顧問」と呼びながら、大事にしてくれたのである。テヘラン在留日本人の救出を頼んだのは、それからまもなくの事であった。


■8.「ハイレッティム(全てアレンジした)。心配するな。」

オザル首相は「心配するな」と言ってくれたが、その後トルコ政府からも、トルコ航空からも連絡が来ない。森永さんは心配になってきた。このままでは、サダム・フセイン声明の設定した期限が過ぎてしまう。

数時間後、やっとオザル首相自身から電話があった。どきどきして森永さんは首相の言葉を待った。首相は落ち着いた声で、「ハイレッティム(全てアレンジした)。心配するな。親友モリナーガさん」と言ってくれた。

『日本人救援のため、テヘランにトルコ航空の特別機を1機出す。詳細はトルコ航空と連絡をとったら良い。日本の皆さんによろしく』
それを聞いて、森永さんは驚くと同時に、体の芯から喜びが湧き上がるのを抑えきれなかった。

『トゥルグット・ベイ! 大変、大変、大変ありがとうございます。何も難しい質問をせず、私のお願いを聞き入れて頂き、ありがとうございます。
日本人の救出のために救援機を出して、後で政治問題になるかもしれないの
に、リスクを取って大決断して頂き、ありがとうございます。どんなに感謝しても、感謝しきれません。早速テヘランの日本人にこの大英断を伝えます。大変ありがとうございます』

森永さんは電話を切ると、この朗報を直ちに東京経由でテヘランに伝えた。

しかし、テヘランの日本人は、その情報をにわかには信じられなかった。それまでどこの航空会社にも搭乗を拒否されて、絶望の淵にいたのだ。急にトルコ航空が特別機を出すと言っても、信じがたい思いだった。

そもそもテヘランには600人を優に超えるトルコ人ビジネスマンが滞在している。トルコ航空が特別機を出すと言っても、彼らを優先するのが当然なので、日本人まで席が回ってくるか、といぶかしく思ったのである。

(続く)

書いた人 nippon | comments(0) | - |



カレンダー
SUN MON TUE WED THU FRI SAT
   1234
567891011
12131415161718
19202122232425
2627282930  
<< September 2010 >>

Link

Profile

QRコード