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で、冷凍包丁使ってみた




先日買った冷凍食品用の包丁

かなり探したが、冷凍包丁の口コミとか評価とかがまったく無いので、
「じゃあ、オレ様が第1号になってやろう」
と、勝手なことを考えて購入した面もあったりする(笑)

で、今回の実験台は、一般的な鶏モモ肉。
「胸肉のゆでハム最高」
とかたまに見るけど、実際作ってみて
工エエェェ(´д`)ェェエエ工工
って感じで、そりゃそれぞれいいところもあるんだけど、やはり私が好きなのは、「もも」か「せせり」ですな。

で、実験の結果は写真のとおり。

いくら専用といっても、決して楽勝なわけではありません。
まず、肉を持ってる左手の寒いこと寒いこと(笑)
清潔なふきんがマストアイテムです。

どのように使うかというと、のこぎりの要領ですね。
あまり最後まで行くと、まな板を傷つけるので、7〜8割進んだら反対側に回ってからそこそこ切って、最後は折るみたいな感じですか。

ある程度棒状の肉なら、斜めにしといて金づちとかで2つに折ればいいけど、そうじゃない場合にこれを使うってとこかな。

せっかく包丁買ったんだから、これからでかいブロックで買わなきゃ(笑)











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冷凍包丁





冷凍肉のブロックとか結構安かったりするんだが、2キロ以上だったりすると、はっきり言って少人数では一気は無理。

で、冷凍用包丁があればと思い探してきた。
保証書まで付いてて、ものものしいんだなこれが。
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コンセントAC電源式のインターホン



我が家はつくりが古いので、もともとインターホンなど無い。

数名が住んでいた頃は、誰かが一階にいたので問題なかったが、私一人になって、特に夏場2階でクーラーとテレビという環境にいると聞こえないことが多く、家にいたにもかかわらず、不在通知などが入っていたりするのであった。

工事すると結構かかりそうだし、何もそこまでって感じである。

以前一度、送信機(玄関側)と受信機(チャイムが鳴るほう)とも電池式のを取り付けていたのだが、受信機は音を鳴らすため、電池があまり持たず、2、3回交換した後、あきれて放置してしまった。

その後、家から遠いホームセンターで、今回買った物とは別種類のコンセント式のものを発見したが、持ち合わせもなかったので、買えないままだった。

で、今日家の近所のホムセンで発見→即買い。
送信機については、以前の物が使えるかもしれないとも考えたが、帰宅して規格が違っていたら悲しいので、買ってきた。
まあ、発信器の電池交換という手間は残るが、受信機の単3×3本をしょっちゅう変える手間が無くなるのは救いだ。


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ビアンキ osprey再生 完全に放棄編

いやもうやめた(笑)
現在、新しいチャリを物色中。

ロードで最低でもアルテグラ仕様と思ってる。
理由は、ティアグラでもSORAでも見た目気にいる場合はあれども、やはり最高峰より一段下くらいは試してみたくて。
コンポ取り替えは、それなりにお金がかかるので、それなら少々高くなっても、装備されているのを買った方がマシなんだなあ。

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休日に映画

今日は、作業しながらユニバーサルチャンネルで映画を2本も見た。

「エアポート2011 / Airline Disaster」
「メタル・シフター」

エアポートはともかく、地球外生命体もののメタルシフターはB級の雰囲気が・・・・・・

まあ、家で見る分にはそこそこよかったっす。


別の部屋で、昔ビデオ撮りしていたリーサルウェポンも半分ほど見たので、計2.5本か。


【追記】
で、夜さらにもう一本「キラ−・シャ−ク/沼に潜む恐怖 」

なんか沼にサメがいるんだけどさ。
これがすごいの。
桟橋にいる人をジャンプして桟橋を飛び越えて襲ったりさ、岸まで体半分上がってきたりと、もうやりたい放題。
終盤はこれでもかというくらい次から次へ襲われます。
ジョーズみたいに「実は生きてた」なんてのは皆無。

最後は、これまたジョーズ風のボンベ爆発作戦を試みるも失敗。
ロープの付いたモリを打ち込んで、ロープを巻き上げて、巨大な送風機の鉄製ファンで・・・・・・ 終了と。







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秋の夜長

秋と言ってもまだまだ残暑という感じなんだが、夜は比較的過ごしやすい。
先日、調べ物があり久しぶりに図書館に行ったのだが、もういけません(笑)

かつては、月に本を2万円も買うくらい読書家だった血が騒ぎ出し、思わずカードを作って3冊借りてしまった。
うち2冊は、今年の終戦記念日あたりで誰かのコラムで読んだ特攻もの。
そのコラムを書いた人は5冊くらい読んだそうだが、図書館では2冊しかなかった。

今読んでいる一冊は、1944年から終戦に至るまでの期間が中心の内容で、とにもかくにも機の状態が酷すぎる。
それでも武士道を貫いて出撃した彼らには敬意を表したい。

特攻隊については、漠然としか知らなかったが、こういった本を若い時代に読んでおけばとつくづく思った。
しかしながら、個人的にチャラチャラしてた時期だから、今とは受け止め方が違ったかもしれない。



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ビアンキ osprey再度再生(2) 断念編?

先日来、再生すべきかどうか悩みに悩んだ。

でだな、結論は 新車買った方が手っ取り早いんじゃないか?!

今から9速化となると、
・前後変速機
・変速レバー(多分ブレーキレバーも)
を交換しないといけない。

しかし、ブレーキがカンチなので、一体型は無理っぽいし、Vブレーキ化はフレーム剛性の点で気が乗らない。
で、一体型があったとしても、これらに加えて、クランクとか現在ダメになってる箇所を修理してたら結構な値段なんだよなあ。


やはり自転車乗りというもの、少しでも上級グレードの部品を使ってみたいもの。
    ↓
いや、いっそのこと7速に戻してしまえばいいのか?!
    ↓
しかし、今後部品が消耗したら、また探すのに苦労するんじゃ?!
カンチが手に入らなくなったらどーする
    ↓
じゃあ9速のモデルを買ってしまえ

と、なる。


<推定経費(まあこれより安くもなるが)>
・FD&RD・・・7
・ブレーキレバー・・・3
・シフトレバー・・・6
・クランク・・・4

・タイヤ前後・・・6 ※現在要交換
・サドル・・・7 ※現在要交換
・予備カンチ・・・4

あっという間に37Kか
やっぱ、やる必要は・・・・・・・・

やる動機としたら、チェレステへのこだわりだけか。


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auでロック解除



もともと使っていた携帯が故障。

まず、ポケットに入れていたときに、二つに折れる方向に力がかかってしまい、電池カバーが不安定な状態に。
それだけならまだ使える状況だったが、その後外側の小窓の表示がつかなくなってしまった。
「まあ、何とかなるわな」
と思っていたが、いちいち開けないといけないのは意外と面倒だった。

で、ネットで送料込2千円で中古をゲット。
auショップに持ち込み、解除とデータの移動を依頼した。
手数料2100円は、次回請求にプラス。
画像データの移動に15分ほどかかったが、よく考えれば自分でマイクロSDに移動すればすむことなので、大して時間はかからない。
ただ、コピーしてくれたのはアドレス帳だけで、メールの中身は移動されてなかった。
古いほう(一応まだ使える)は、そのままでカードを入れれば使える。
じゃあなんで入手したのはロックされてたのか? 
ま。いいか。

カバーにセロテープを貼る必要も、いちいち開ける必要もなくなったのはラクになった。

しかし、ポイントも結構貯まっているのだけど、auから新機種への交換のアプローチがまったく無い。
こんなものなのか。


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一生モノの?消しゴム



人事異動とかあったときにさ、
「○○さんが使う机片づけて、文房具用意してあげて」
とか言われるんだけど、こういうことがナンセンスというか面倒というか嫌いというか。

専門的な職業でないにしろ、それで食っている以上はプロなんだから、仕事で使う道具くらい自分で持ってこいって思うんだよなあ。
まあ消耗品は別として。

また片づけたときに、前任者のものの持って行き場が無いため、仕方なく私が引き取るので、私のデスクの引き出しは筆記用具なんかであふれかえってる。


話は変わるがこの消しゴム、もう20年以上前のもの。
ステッドラー製の、もとは製図用らしい。
当時同僚と
「退職までに使い切れないよな」
と、冗談を言い合っていたが、そのうち大きさが災いしてか、常にデスクにはあるものの、使用頻度は徐々に低下。

現在「捨てるモード」全開中なので、このほど
「固くなって捨てるしかないけど、なにがしか用途はないか?」
と、考えていたところ、あったあった、ありました。

事務用の服のロッカー(長細いヤツね)にもう一つ棚を付けたくて、プラスチックの板は確保していたのだが、棚受け的なものがなかった。
一度、強力両面テープにプラスチックという組み合わせでやってみたが、翌日棚ごと落ちていた。
そこで金属とゴムは接着の相性がいいので、4等分して試したところ、一週間を経過した今でも大丈夫。
かなり強く接着しているようなので、もう問題ないだろう。

次に使う人がいらないと言うなら、消しゴムはカッターで削ってしまえばジャマにはならないのでは。



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放射能ヒステリーの正体(国際派日本人養成講座から)

注)以下はメールマガジン「国際派日本人養成講座」からの引用です。
興味のある方は、メールマガジンを受信すれば、定期的に読むことが出来ます。

■ 国際派日本人養成講座 ■

放射能ヒステリーの正体
〜放射能は、どんなに微量でも危険なのか?〜


■1.「微量の放射能は健康に良い」!?

「微量の放射能は健康に良い」と聞いて、耳を疑った。いかにもイカサマ科学のように聞こえたからだ。しかし、考えてみれば、大量に摂取したら体に毒だが、微量ならかえって健康増進効果がある、という話はあちこちで聞く。

その典型例が種痘だ。かつて天然痘は40%もの高い致死率をもたらす恐ろしい伝染病だったが、イギリスの医学者エドワード・ジェンナーが、より軽度の牛痘のワクチンを接種すると、種痘にはかからないことを発見した。

微量の弱い病原体を接種することにより、体内に抗体が作られ、感染症にかかりにくくなる免疫力がつく、というのが、ワクチンの考え方である。

同様に微量の放射線を浴びると、体内の免疫力が増進して、ガンによる死亡率が大きく減少するという効果が、大規模な医学研究の結果、あきらかにされてきている。

ジェンナーの種痘法はヨーロッパ中に広まったが、医学会はそれをなかなか認めなかった。また、一般民衆も「牛痘を接種すると牛になる」などという迷信から、なかなか脱却できなかった。

いかほど微量の放射能でもヒステリックに騒ぐ今日の社会も、実は19世紀の種痘への無理解と同じような状態に陥っている。


■2.ラドン温泉でガン死亡率が減る

微量の放射能がどのような影響を持つのか、簡単明瞭な例としてラドン温泉、ラジウム温泉の例がある。鳥取県の三朝(みささ)温泉は、世界有数のラドン温泉である。

ウランは14回の変化を経て、最後は鉛となって安定するが、その変化のたびに放射線を出す。5回目がラジウムで、その次にラドンになる。ラドンは気体で、空中にも水中にも存在する。ラドン温泉とは、このラドンを含んだ温泉なのである。

三朝温泉地区の住民は、当然ながら温泉に入ったり、また気体のラドンを吸い込んだりして、放射線への露出度が高いわけだが、各種癌での死亡率を見ると、以下のように圧倒的に低い数値が報告されている。

以下は、それぞれの全国平均を1として、三朝温泉地区と周辺比較地域(鳥取県)の死亡率を比較したデータである。

         三朝温泉   周辺比較地域(鳥取県)
   全ガン   0.49    0.8
   胃ガン   0.395   0.8
   肺ガン   0.345   0.735
   大腸ガン  0.185   0.7

周辺比較地域の人々も0.7〜0.8と全国平均より低いのは、たまに三朝温泉に入ったり、またそこから流れてくるラドンを吸っているのだろう。三朝温泉地区の住民は、そのさらに半分から3分の一という圧倒的な低レベルである。

ラドン温泉、ラジウム温泉は健康に良い、ということは我が国の先人たちは昔から体験的に知っていたのが、それを実証するデータだと言える。


■3.福島原発の20倍もの放射線を浴びる宇宙飛行士

微量の放射能は健康に良い、という学説を最初に唱えたのは、ミズーリ大学の生命科学の教授トーマス・D・ラッキー博士だった。ラッキー博士はアメリカ航空宇宙局(NASA)から、宇宙における放射線の、宇宙飛行士への影響を調査することを依頼された。

宇宙船内では、毎時45マイクロシーベルト(μSv)の放射線を浴びる。宇宙船内で約半年間を過ごすと、19万μSvほどになる。地上で我々が浴びる自然放射線量は世界平均で年間2400μSvなので、その80倍程度である。

また福島第一原発から20〜30Kmのエリアでは8月末現在で1万μSvだから、宇宙飛行士の被曝量はその19倍ほどにあたる。
(1000μSvは1ミリシーベルトmSvに相当するが、本稿では分かり易いように、すべてμSvで統一する)

しかしラッキー博士が10年以上をかけて、多くの宇宙飛行士の健康状態を調べると、宇宙に行く前よりも、行った後の方が、良くなっている、という事実が明らかになった。

ラッキー博士は、この研究成果を米国保健物理学会誌"Health Physics"(1982年12月号)に発表したが、世界の放射線学会からは黙殺された。

当時から放射線の健康への影響については、放射線はどんなに微量でも有害である、と信じられていた。これは米国の遺伝学者ハーマン・J・マラー博士が、ショウジョウバエへのX線照射実験で得られた「当てた放射線量と発生した遺伝子異常の数は比例する」という実験データによる。

過度の放射線を照射されて遺伝子変異を起こし、モンスター化したショウジョウバエの写真は、一般人にいたるまで放射能への恐怖を植え付けた。

マラー博士は、この研究によって1946年度のノーベル生理学・医学賞を受賞し、以後、世界の放射線学会はこの考えに基づいて、放射線の安全基準を設定してきた。


ラッキー博士の発見は、これらの安全基準の正当性を根底から引っ繰り返すものであったから、当時の支配的な学者たちが黙殺した理由も想像に難くない。


■4.微量の放射線がガンを抑制する

黙殺されていたラッキー博士の発見に、スポットライトを浴びせたのが日本の電力中央研究所の服部禎男博士だった。服部博士を中心とする研究者たちの実験観察は、ラッキー博士の正しさを証明するとともに、マラー博士の誤りも明らかにしていった。

我々の体の各細胞は、活性酸素や自然放射線により、一日あたり5万〜50万回もの頻度で、DNA損傷が発生する。これに対し、数百種類の修復酵素がDNAの修復を行う。

DNA損傷を修復しきれなかった細胞は「老化」による休眠状態に入るか、ガン抑制遺伝子により「自殺」するかだが、それでも処理しきれなかった異常細胞がガン細胞として暴走し、時には人体自体を死に追い込む。

強い放射線は激しいDNAの損傷を起こし、修復機能が追いつかなくなって、各種のガンで人体を死に追いやる。しかし、微量の放射線を浴びると、活性酸素抑制酵素、DNA修復酵素、ガン抑制遺伝子などが活性化して、修復機能が増進、ガン細胞の発生が抑えられる。

マラー博士の頃は、このDNA修復のメカニズムは発見されておらず、また博士が実験に用いたショウジョウバエのオスの精子は、もともとDNA修復力を持たない細胞だったので、微量の放射線による健康増進効果は、見過ごされてしまったのである。


■5.広島・長崎の被曝者の調査研究

ラッキー博士と服部博士の研究から、その後、微量放射能の健康への影響が広く研究された。その重要な成果の一つに、広島、長崎の被爆者を対象に行われた様々な健康調査がある。その詳細を見る前に、ラッキー博士の総括を引用しておこう。

「被爆者の両親から生まれた子供に遺伝子異常のモンスターは一人も見つかっていない。半世紀に及ぶ研究の結果、次のような点に関し統計的にみて異常と思われるような影響は見つかっていない。先天性欠陥、死産、白血病、がん、子孫の死亡率、男女割合、幼少期の成長・発達度合い、遺伝子異常、突然変異などである。」

個々の調査結果を見ると、「異常と思われるような影響は見つかっていない」どころか、実際には健康増進効果が見つかっている。

たとえば広島・長崎両市で約2万μSvの被曝線量を受けた7400人の人々のガンの死亡率は、通常よりも著しく低かった。約2万μSvとは、現在の福島第一原発から20〜30Km圏内では1万μSvだから、その2倍に当たる。この水準は、まだ健康に良いレベルだということになる。

また同レベルの被曝量を浴びた母親の妊娠例5万以上では、死産、先天性異常、新生児死亡などの比率が通常の数分の一というデータも得られている。
こうした調査を行った欧米人研究者の一人は、次のようなコメントを残している。

「とりわけ、この研究成果は研究に協力してくれた数多くの日本の被曝者やその子供たちを安心させることに役立てなければいけない。なぜなら、彼らの絶大な協力がなければこの研究は不可能であったし、また彼らは長年にわたり誇張されてきた遺伝子異常のリスクを喧伝されて苦しんできた被害者なのだから。」

科学的な調査に基づくことなく放射能の怖さのみを訴えてきた反核派の人々は、そのプロパガンダによって、被曝者を言われなき差別で苦しめてきたのである。


■6.微量放射能の「ワクチン」効果

さらに大規模な調査が核施設労働者を対象に行われている。8つの研究で、合計800万人年(一人10年としたら、80万人分)と、一般平均サンプル約700万人年のデータに基づいている。

これによると、5万〜10万μSv/年を浴びた各施設労働者たちのガン死亡率は、研究によってバラツキはあるものの、一般平均サンプルの10〜50%の水準となっている。

そして8つの研究のいずれにおいても、10万μSv/年程度までは、被曝量が増えるに従ってガン死亡率が減少している。

これらの大規模な観測データは、いずれも、微量の放射線が損傷したDNAを修復する能力を高め、ガンを予防する、という医学的仮説と合致している。

もちろん大量の放射能はDNAを損傷して危険だが、数万μSv/年という程度であれば、その微量の放射能が人体の免疫力を増進する「ワクチン」役を果たす、という事が確かめられつつある。


■7.放射能に汚染した牛肉?

こういう研究結果をもとに、最近の我が国における放射能騒ぎを見てみよう。
福島県の農家から出荷された肉牛から、「暫定基準値」(1キロ当たり500ベクレル)の6倍の放射性セシウムが検出されたとして、世間を騒がせた。

1キロあたり500ベクレルの放射性セシウムが検出された肉を200グラム食べると、被曝線量は1.6μSvとなるという。広島・長崎の被曝者で、健康に好影響のあったという2万μSvの1万分の1以下のレベルである。

逆に言うと、こういう肉を200グラムの1万倍、すなわち2トンほど食べると、広島・長崎の微量被曝者と同程度の被曝量となる。
2トンといえば、毎日200グラム食べても1万日、すなわち、27年かかるわけで、そんなに食べても放射能としては、健康には問題のない、あるいは好影響のありうる水準なのだ。逆に、こんなに牛肉ばかり食べていたら、肥満、動脈硬化、高血圧で早死にしてしまうだろう。

となると、そもそも、この「暫定基準値」の根拠は何なのか、ということになる。結局、これも半世紀以上前のマラー博士の研究に基づいて、「放射能は少なければ少ないほど良い」という仮説から、根拠もないままに、無理矢理低い水準を設定したものなのではないか。わざわざ「暫定」とつけている所に、そんな逃げ道が感じられる。

こんな「暫定基準値」を何倍か越したからと言って、風評被害にあう農家の方こそ良い迷惑である。無知に基づく放射能ヒステリーが、被災地をさらに苦しめている、という他はない。


■8.中国の黄砂による放射能には、なぜ騒がないのか?

かつての反核派は、アメリカの核ミサイルには大騒ぎしていたのに、ソ連や中国の核ミサイル、核実験にはなんら声を上げなかった。これをダブル・スタンダード(二重基準)と言うが、現在の放射能騒ぎにもそれが見られる。

放射線防護学の第一人者・札幌医科大学の高田純教授は、中国がウィグル地区で広島の原爆の1375発分に相当する規模の核実験を行い、100万人以上のウイグル人たちが死傷している事を訴えている[a]。

高田教授によれば、地表核爆発によって黄砂が放射能汚染され、それが偏西風に乗って、日本にも流されてきている。教授の推定では、黄砂によって日本人の体内に蓄積された放射性ストロンチウムは2千−5千μSvに達している、という。

1.6μSvの牛肉に大騒ぎするなら、2千−5千μSvの黄砂には、その千倍以上も大騒ぎしなければならないだろう。しかし、こういう事を騒ぎ立てるマスコミはない。

「我が国は世界で唯一の被爆国」というのが反核勢力の常套文句だが、それなら放射能の被曝の影響を科学的に突きとめ、合理的な対応を世界に示す事が我が国の役割だろう。

世論もマスコミも、そして政府ですら、根拠のない放射能アレルギーで空騒ぎをしているようでは、「唯一の被爆国」という看板が泣くのみである。

(文責:伊勢雅臣)

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ビアンキ osprey再度再生

OSPREYは、我が手で再生した! ←ちょっと別の記事もある。

で、グレードアップもした!

しかしだな、ここ最近リアルに放置中なんだな、これが。
理由は、スキン壁のタイヤがすぐボロボロになっちゃったし、その後別の自転車を購入したり、もらったりで・・・・・・・・・

メインで乗っているのは、当然ADVANTAGE
え? こんな画像しかないのか( ̄Д ̄;

次は、父から払い下げのジャイアンのクロス2000(画像無し)。

もう1台やっかいなのが、安値で買ったMTB

これに加えて、1台折りたたみ自転車を持っているし、お蔵入りの30年もののキャンピングを含めると、都合6台もあるわけだ。


それでも、
「9速か10速でないと、今後いじるおもしろさがないよな」
と思いつつ、最近新たに中古の自転車を物色してたんだが高い。

で、よくよく考えてみると、
「そういえばOSPREYって確かギヤをアップしたよな?!」
と。

最近の自転車のギヤを調べてて、
「え? 世の中っていつの間に9速とか10速とかになったの?!」
と思ったが、自分自身5年前に9速に交換しているわけで、いかにこの間仕事に終われていたのかを実感した。

ギヤをアップしたと言っても、リヤを9速にしただけなので、今後は
・Fディレーラー、クランク&ギヤ
・Rディレーラー
・チェーン
の交換をはからねばならない。

これやって、今ボロボロのスキン壁のタイヤを替えてたら、
「完成車買ったほうがましちゃうんか」
とも思うんだけど、チェレステへの思いとか、一生懸命オーバーホールしたこととか考えると、
「別車購入はちょっとな」
と。

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「己の道」を求めた人々(国際派日本人養成講座から)

注)以下はメールマガジン「国際派日本人養成講座」からの引用です。
興味のある方は、メールマガジンを受信すれば、定期的に読むことが出来ます。


■ 国際派日本人養成講座 ■

「己の道」を求めた人々

■1.「王位などとは口惜しいものじゃ」

 平安時代の後期、堀河院(1079-1107)の頃、市の正(かみ)時光という笙(しょう、雅楽で用いられる管楽器)の名人がいた。

 茂光という篳篥(ひちりき、雅楽や神楽で用いられる縦笛)の名手とよく気が合い、二人で興にまかせて裏頭楽(唐楽の一種)という曲を合唱していたが、その見事さが宮中にも聞こえて、堀河院からお召しの使者が来た。

 使いの者は、その旨を伝えたけれども、二人とも夢中で歌い続けていて、耳を貸さないので、どうしようもなく、堀河院にありのままを報告した。これではどんなお叱りがあることかと思っていたが、案に相違して、堀河院はこう言って涙ぐまれたという。

__________
 さても風雅なる者たちかな。それほどまでに音楽に夢中になって、すべてを忘れるばかり熱中することこそ尊いことよ。王位などとは口惜しいものじゃ。行って聞くことも出来ぬとは。[1,p70]
 ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄

 宮中からお召しがあったら、その名を世に響かせるチャンスになっていたはずだが、二人にとっては、そんな事はどうでも良いことだった。ただただ、良い音楽を作り出せれば、それで満足であったのだ。

 堀河院自身にしても、自ら管弦を愛し、その腕前も優れていたと言われており、天皇の位にあることよりも、彼らの優れた音楽を聞きに行くことすらできない、という事を口惜しく思われている。


■2.「古(いにしえ)の学者は己がためにし、今の学者は人のためにす」

「古(いにしえ)の学者は己がためにし、今の学者は人のためにす」という孔子の言葉がある。古の学者はただただ己の道の探求のために学問をしたが、今の学者は世間に知られんがために学問をする、というほどの意味である。

 世間に知られる事を求めるのは、名誉や冨を得るためである。とするならば、名利が目的で、学問はそれを得るための手段である、ということになる。

 それが昂じれば、名利さえ得られれば、学問の方は手を抜いても良い、ということになろう。そういう姿勢からは一流の学問も、また本当の学問の喜びも生まれない。

 時光と茂光が名手名人となったのは、宮中からのお召しという名利よりも、ただただ良い音楽を求める、という己の道に没頭していたからであろう。

 そして、そのような名手・名人こそが一流の芸術や学問を創り出す。「己がため」にすることが、結果的には「世のため人のため」になるのである。

 我が国には、ひたすらに「己の道」を探究して、一流の芸術や学問を創り出した先人が実に多い。今回は、そうした人々を紹介したい。


■3.刀の目利きにかけては自分こそが天下の権威という誇り

 本阿弥(ほんあみ)家は、代々刀剣の鑑定などを家業としていたが、その一人、本阿弥光徳(こうとく、1556−1619)が、徳川家康から正宗の脇指(わきざし)を見せられたことがあった。

 代々足利公方家の宝とされてきたもので、足利尊氏直筆の添状(そえじょう)までがついており、家康のかねて自慢の品であった。
 ところが光徳がその刀をよくよく見ると、焼き直しものでとうてい使い物にならない。そう正直に申し述べると、家康はとたんに機嫌が悪くなり、「なにとてさようなことを言うぞ」と心外ならぬふうであった。

 光徳は、尊氏公の添状があったとて何の用にも立たない、尊氏公が刀の目利きであったという評判もない、と断乎として言ってのけた。家康は、慮外な奴と、二度と光徳を召し出すことはなかった。

 刀の目利きにかけては自分こそが天下の権威という誇りは、天下第一の権力者を前にしても、変わることがなかった。


■4.「いかほど高値(こうじき)でもわれらが引き取りましょう」
 本阿弥家には、これとは逆の逸話もある。有名な本阿弥光悦の孫、空中斎光甫(くうちゅうさい・こうほ、1601-1682)は、江戸滞在中のある日、安芸広島藩の屋敷に呼ばれていくと、刀奉行の今田四郎左衛門という人から、古びた鞘(さや)に入った錆び刀を見せられた。

 国元から、代金2枚で売ってくれと頼んできたので、方々へ見せたが、買い手がつかない。光甫の手でどこかへ売ってくれないか、という。

 光甫が刀をつくづくと見ると、銘もなく、錆びて見るかげもなくなっているものの、刀はまさしく正宗である。そこで光甫は、「いかほど高値(こうじき)でもわれらが引き取りましょう。が、あとで後悔めさるるな」と言った。

 その場に居合わせた重臣たちが、興味を持って、「この刀いったい何であるか」と尋ねるので、光甫は「正宗に間違いありませぬ」と断定して、一同を驚かせた。

 光甫はその刀を預かって、京に帰り、研ぎ上げてみると、見ればみるほど良い刀となった。一族の長・光温(こうおん)は判金250枚という値段をつけてやった。

 光甫は、目利きたる自分が正宗と断じたものを、相手が知らぬからと言って、安い値で引き取るような所業を恥とした。そんな卑しい金儲けよりも、刀の目利きにかけては自分たちこそが天下の権威であるという誇りと自負を護ることが大事だったのだ。

 その誇りと自負を支えるためには、どれほど日頃の精進があったことか、想像に難くない。

 本阿弥家が長きにわたって、刀剣鑑定にかけては天下の権威として君臨したのも、権力者に媚びず、利に流されず、ひたすら己の道に打ち込んだ故であろう。


■5.「一点の俗悪の気なし」

 江戸時代中期の文人画家、書家の池大雅(いけのたいが)も金銭には目もくれない人だった。書画を書いて謝儀を受け取っても、扇を開いて受領し、封も切らないままにそばの箱の中に入れておく。金額を見れば、多少の欲心が出てよくない、と言っていたそうだ。

 米味噌などの代金を受け取りに商人が来ると、「この内に天より給いたる品あれば取りていくべし」と言って、勝手にその箱から持って行かせた。自分の書画のわざは天の与えたものであって、それで米味噌など必要なものをいただければ、充分と考えていた。

 8、9畳ほどの粗末な小さな部屋に妻と二人で住み、時々は大雅が三味線を、妻が琴を弾いて、楽しんでいた。

 ある時、金屏風を描いて大金をいただいたが、その包みをそのまま床の上においておいた。夜中に盗人が壁を切り抜いて、その包み金を持ち去った。朝、妻が切り抜かれた壁を見て、驚いて、昨日いただいた金はどこに置きましたか、と尋ねると、大雅は驚く様もなく「床の上に置いたが、なければ、盗人が持っていったのだろう」と答えた。

 門人たちが来て、壁の穴は見苦しいので修繕したら、と勧めたが、大雅は、ちょうど夏で涼風が入るから、このままで結構と取り合わなかった。

 また、ある時、祗園祠の修繕が計画され、門前の人々は財産に応じて、費用を出すよう求められた。見るからに貧しそうな生活ぶりの大雅は、300銭しか割り当てられなかった。

 しかし、大雅は押入れに銭が貯まっているが、使うこともないのに貯めておくのも無益なので、祗園祠に奉納するに如かずと、数えてみたら300貫余もあった。夫婦で喜んで、銭を担いで奉納すると、近所の人はみな奇特な人だと讃えた。

 こうした生き方を貫いた大雅が描いた書画は「一点の俗悪の気なし」と讃えられている。


■6.「たのしみは」

 池大雅の風格を慕った幕末の歌人が橘曙覧(たちばな・あけみ)である。曙覧は福井の人で、30代半ばにふと決心して、祖先伝来の家業財産を弟に譲り、山中に引きこもって、貧乏暮らしも気にせずに、歌を詠んで生きた。

 曙覧の歌で、最も有名なのは「たのしみは」で始まる『独楽吟』であろう。

 たのしみは妻子(めこ)むつまじくうちつどい頭ならべて物をくふ時

 たのしみはまれに魚煮て児等(こら)皆がうましうましといひて食ふ時

 たのしみはそぞろ読みゆく書の中に我とひとしき人を見し時

 貧しい中にも、いかにも心豊かな生活が窺われる歌である。

 福井藩の名君・松平春嶽は曙覧の歌才を重んじ、その家を訪ねた事があったが、壁は落ちかかり、障子は破れと言った様に驚いている。しかし、その机にはおびたたしい書物が積んであった。

 春嶽公は、次のような意味のことを書き記している。

__________
 自分は富貴の身で大廈高楼(たいかこうろう)に住み、何ひとつ足らぬものとてない身上であるけれども、その屋に万巻の書の蓄えもなく、心は寒く貧しく、曙覧に劣ること言うまでもないから、自然とうしろめたくて顔が赤くなる気持がしたことであった。

 これからは曙覧の歌ばかりでなく、その心の雅を学ばねばならぬと思った。[1,p119]
 ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄

 陋屋の有様などは気にもかけずに、自らの心の貧しさに顔を赤らめる春嶽公もまた、名利にとらわれず己の道を歩んだ人であったろう。


■7.庶民の生き方

 以上、芸道の達人・名人を取り上げてきたが、名利に囚われず、ただ己の道を究めようとする生き方は、市井の庶民にもできることだ。その一例として、以上の例を引用させて頂いた『清貧の思想』[1]の著者・中野孝次氏は、自身の両親の生き様を紹介している。

__________
 わたしの父は職人−家を建てる大工−でしたが、父の関係で知った様々な職人には、職人気質という一つの生き方の規範がありました。

 かれらはその小さな家に必ず神仏を祀(まつ)り、朝夕敬虔にそれを拝し、神仏の存在を信じていました。たとえ法や人の目に触れなくとも間違ったことをするのは神仏に対して許されぬ、という心の律を持っていたのです。・・・

 そしてその暮しは・・・身を粉にしても貧しいもので、しばしばそのことを嘆いてもいましたが、人間はまっとうに働いて生きるべきもので、盗みや詐欺や収賄や投機や、そんな手段で成功するのは間違っていると信じていました。・・・

 かれらは仕事と自分の業に誇りを持ち(本阿弥一族と同じです)、金儲けよりもよい仕事をすることを望んでいました。[1,p224]
 ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄

 母親の生き方も欲得を離れたものであった。

__________
 わたしの母なぞは炊事、掃除、縫い物など、すべて家族のために身を捧げるような毎日でしたけれども、家の内はつねに清潔に保ち、みずからに対して求めることはまったくなかったのでした。・・・

 母は狭い庭に花の咲く灌木や草や盆栽を育てていて、それらの花が咲くと近所の友だちと茶を飲みながら、今年はよく咲いたと、生きてふたたび花に逢えたことを一緒に楽しんでいたものでした。[1,225]
 ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄


■8.「己の道」を歩んでいけば

 こうした、名利にとらわれずにひたすら己の道を歩んだ庶民が、かつての我が国にはあちこちにいたのだ。こういう生き方から見れば、現代の、経済成長率がどうの、株価がどうのとばかりいう世界は、あまりにもお金に囚われ過ぎているように見えてくる。

 そして、目先の利益だとか、経済成長にとらわれて、顧客や社員のためになる事業を追求したり、技術を磨いたり、という「己の道」を怠れば、結果的に経済も衰退してしまう。近年の我が国の経済不振も、このあたりが原因かも知れない。

 それよりも、中野氏の父親のような一徹の職人、母親のような家事や育児に没頭する婦人、さらには実業家、技術者、教育者、政治家、自衛官、警察官などが、それぞれの「己の道」を追求している国の方が、立派な社会を築き、経済も発展するだろう。

 その結果、池大雅のように、知らないうちに押入れに大金が貯まっていて、困っている他国を助けてあげる、ということもできるかもしれない。

 名利にとらわれて「己の道」を見失えば名利も逃げていく。名利を忘れて、ただ「己の道」を歩んでいけば、心豊かな生き方ができるし、時には名利も勝手についてくる。我が国の先人たちは、こういう事を教えてくれているようだ。

(文責:伊勢雅臣)

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