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ジェル入りサドル

ロードバイクスタート時に、
「最初から固いのは無理だろう」
ということで、ジェル入りを選択。

私はとにかくじっと座っているのが苦手だが、さらにクッションの悪いところではもうダメです。
床や畳にあたる骨の部分が痛くて痛くて。


2年くらい経過した昨年から、ジェル無しを使ってたけどどうしても慣れず。
乗っててケツが痛いほど苦痛なことはありません。
で、元々持っていたモデルを探して購入。
90kmのライドを走って痛かったという記憶がないので大丈夫でしょう。

こいつは大型スポーツ店の自転車エリアでも見かけたことがあるくらい普及モデル。
かつては「velo」ブランドだったかいつの間にか「AKI WORLD」に。







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今日のヒルクラ20150530

昨日は同い年のK君が高知FDのナイターを観に行こうというので合流。
プロレスと野球の話で楽しく歓談したはいいが、やはり飲み過ぎてしまい、今朝は休日というのに珍しく起きられず。

午後は天気が下り坂の予報だったので、なんとか起きねばと10時に出発。
このところ8時〜9時くらいに出ることが多いので、かなり遅め。

昨夜は、仕事場に自転車を置いたままにするか、球場まで乗っていって帰りは押して歩くかの選択で後者にしたが、前者なら間違いなく走りに行かなかったろう。

これまでもっとも気が乗らないというか、体がイヤイヤするというか、最低限の大日神社コースで2時間弱。
そこそこ涼しかったんで、もう少し走りたかったがなあ。。。


初夏の大日神社



大日神社から上方
中央の山と山の切れ目が峠
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氣志團 布袋

出て消されてなんだけど、布袋さんのよさはこうゆうとこで

将来のリンク切れはスマソ


YOUTUBEリンク





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シャープナー

手動の鉛筆削り機を30年ぶりくらいに買い換えた。
色鉛筆を削っていると芯が折れ続けてしまうためである。
安心と信頼のスタエドットラーにした。
いやよく削れる。
削るのが楽しい。
今後は数年おきに買い換えよう。



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資生堂 送料無料中?

資生堂の通販サイト「ワタシプラス

登録している人には、ちょくちょく
「クーポンの期限が切れますよ」メールが来る

数ヶ月前に
「それなら使わねば」
と思って貧乏人根性で何か買おうとしたら、開設当初は完全無料だった送料がいつの間にか有料になってて、一定額以上買って送料無料にしないと300円or500円のクーポンがまったく無意味だったのでよした記憶がある。
「お前はジャパンネット銀行かよ!」
と。

今回、たまたま切れたものがあったので、店舗で定価で買うのとどちらが得か見るだけ見ておこうと思ったら、「送料無料」。
3周年記念のせいか?
私の勘違いか?



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ハッシュパピー

ボンステップの靴が好きなんだけど、タマが少ないんだよねー、好みのデザイン的にも、バーゲン品的にも。
将来を考えたら、同じ大塚製靴が作ってるハッシュパピーも視野に入れないとということで、今回展示品を60%OFFでゲッツ。


ハッシュパピーは、ボンステップと同じく歩きやすさ重視のブランド。

内羽根ストレートチップというフォーマルにも使用可能な一足。
つま先も割と長めになっている分、歩きやすさは万全とはいかないが、デザイン優先で作られている靴よりはずっといい。

が、今後私がフォーマル専用にしたりすると、今回もたまにしか履かない靴が増えただけみたいな。。。




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今日のヒルクラ20150524

天気予報を見て、今週は走るのは土曜日だけと考えて予定を組んでいたので、たまたま天気がよくなった今日はおまけってことで短時間勝負。

いつもなら山岳スタート地点から奥へ行って一周して戻るルートだが、今日は逆ルートで普段降りてくるだけの坂を上がって降りてというコース。

 いつものルート 3.3% 8.8km
 今日の逆ルート 5.6% 5.5km

初めてここらに来はじめた2年前の夏は途中で上れなくなって何度か挫折したんだけど、今日はすんなり。
あくまでこれはまだ涼しいからだけであって、前みたいに「もう無理」状態はないにしても、夏場はこうはいくまい。


いつもの峠より下の位置から


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今日のヒルクラ20150523

今日は昼から用があり、朝7時半に出発。

通勤、通学のジャマにならないよう、最初はウオームアップしながら。
いつものコースを最短(折り返し等無し)で走って、時間を計ったら2時間半弱だった。

明日は雨予報だからか、今日走る方々が多くて、皆さんは9時出発だったのか、帰りに計11名とすれ違った。


そろそろ田植えのいつもの峠
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20150520 WL公式戦 松坂投手初登板

空振りだろうが、大きく外れようが、あのテンポのいいピッチングは健在。


千両役者松中選手は9回表同点ホームラン打つし、いいゲームでした。
打たれたもう5、6年今ひとつの小松投手が心配だが。




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頑固一徹スイスに学ぶ(国際派日本人養成講座から)

注)以下はメールマガジン「国際派日本人養成講座」からの引用です。
興味のある方は、メールマガジンを受信すれば、定期的に読むことが出来ます。



■ 国際派日本人養成講座 ■

No.900 沖縄の祖国復帰を果たした県民の思い

 沖縄が「グアム」化や「香港」化の道を避け、日本復帰を果たしたのは県民の祖国愛の賜だった。



■1.「グアム」化も「香港」化も避けた沖縄

 沖縄は昭和47(1972)年5月15日に返還された。戦争で失った領土が平和的な話し合いで短期間のうちに祖国に復帰したのは世界史上でもあまり例がない。

 一度失った領土を外交交渉で取り戻す事がいかに難しいかは、北方領土や竹島の現状を思い浮かべれば、容易に理解できる。香港はアヘン戦争の結果、1898年にイギリスとの間で99年間の租借条約が結ばれ、中国に返還されたのは1997年であった。

 まして米軍は沖縄戦で7万5千人もの死傷者を出した。アメリカ軍の中には、「沖縄は我々の青年の血で贖(あがな)った戦利品である」と発言する者もいた。

 昭和22(1947)年6月、マッカーサーは「沖縄人は日本人ではない」と発言した。この時点で、アメリカは、本土と沖縄を切り離して永久支配することを考えていた。いわば、今日のグアムのような形態である。

 朝鮮半島、中国大陸、東南アジアを睨む沖縄の地政学的な重要性を考えれば、ここをアメリカの直轄地として、自由に使えるようにしておきたい、と考えるのは当然であった。

 しかし、沖縄は「香港」にも「グアム」にもならず、平和裏に祖国に復帰できた。この世界史上での奇跡がどう実現したのか見てみよう。


■2.祖国防衛に尽くした沖縄

 沖縄が祖国防衛のために果たした役割は計り知れない。

 昭和20(1945)年2月のヤルタ会談で、ルーズベルト大統領は、日本を壊滅させ、無条件降伏させる方針を確認した。4月中に沖縄を占領した後、南九州上陸を狙うオリンピック作戦、続いて関東平野に侵攻するコロネット作戦が計画されていた。スターリンのソ連は北海道、東北地方に侵出することが決定されていた。[1,p19]

 このシナリオ通りに展開したら、本土決戦でさらに数百万人規模の日本人が犠牲となっていたろう。さらにドイツと同様、無政府状態となったまま、米ソに分割占領されていたはずだ。

 その悲劇を阻止したのが沖縄戦であった。日本軍の洞窟陣地を利用したゲリラ戦術により、米軍は太平洋戦争で最大の損害を受けた。日本軍守備隊の戦死者約6万5千人に対して、米軍は地上戦闘での死傷、神風特攻による艦船の沈没・損害、激烈な戦闘による神経症での戦線離脱などで合計7万5千人もの死傷者を出している。[a]

 日本軍の5倍の兵力を投入しながら、1ヶ月の作戦が3ヶ月もかかった。米軍は実質的には沖縄戦は敗北だったとの認識をしていた。[1,p17]

 そして、その被害の大きさに、このまま本土侵攻に進んだら、米軍も100万人規模の犠牲を出すであろうと予想された。ここから、米政府は無条件降伏の方針を撤回し、有条件降伏を勧めるポツダム宣言を出した。

 戦場となった沖縄で、日本軍は島民の三分の一、20万人を本土や安全な島北部に疎開させた[b,c]。それでも軍属として戦った青壮年、従軍看護婦らも含めて、10万人規模の住民犠牲者が出ている。

 沖縄戦での軍民の尊い犠牲により、本土決戦を避け得て、その何倍もの国民が救われ、国家と皇室の護持ができたのである。


■3.沖縄の「グアム」化を避けた昭和天皇のご提案

 この事情を踏まえてであろう、昭和天皇は沖縄県民に対して格別のお気持ちを抱かれていた。それは昭和62(1987)年に病に倒れられた際に、「(沖縄訪問は)もうだめか」と言われ、次の痛恨の御製を詠われた事から窺える。

 思はざる病となりぬ沖縄をたづねて果さむつとめありしを

 昭和22(1947)年、占領下ながら、昭和天皇はアメリカに対して沖縄に関する重要な提案をされた。ひとつは、アメリカが沖縄を永久支配しようとしているのに対して、沖縄の潜在的主権は日本が持ち、施政権のみをアメリカが預かる形にして欲しいということ。

 もう一つは、共産主義勢力から沖縄を守るために、アメリカの軍事力を展開して欲しい、ということだった。この慧眼は、現代においても、沖縄の米軍基地が中国の覇権拡大を食い止め、東アジアの平和維持に必要不可欠の存在になっている事実からも窺える。

 昭和27(1952)年、サンフランシスコ講和条約で日本が独立を回復するが、その際にアメリカは昭和天皇のご提案を受け入れ、潜在的主権は日本が持ったまま、施政権はアメリカが預かる形とした。これにより「グアム」化への道は避けることができた。

 次の問題はアメリカが沖縄の施政権をいつまで持つのか、という点となった。イギリスが香港を99年間租借したように、アメリカも沖縄を長期間支配すべしというのが、当時のアメリカ国民の意見だった。このままでは沖縄は「香港」化する恐れもあったのだが、それを食い止めたのが沖縄の祖国復帰運動だった。


■4.「沖縄の祖国復帰が実現しない限り、我が国の戦後は終わらない」

 後に沖縄の祖国復帰運動の中心となった小学校教諭・仲村俊子さんは復帰前の沖縄県民の祖国への思いを次のように回想している。

__________
 復帰前の沖縄には、アメリカ施政下の琉球政府がありましたが、県民感情としては祖国日本が懐かしいのです。米軍統治下で物質的には恵まれていましたが、私たちの代で復帰を果たさないと、子供たちは自分の祖国がどこなのかさえわからなくなってしまうと危惧されていました。[1,p34]
 ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄

 祖国復帰運動に立ち上がったのは、沖縄教職員会だった。これは日教組とは違い、純粋な教育団体だった。その初代会長・屋良朝苗(やら・ちょうびょう)氏は、復帰後に初代の沖縄県知事となった人物である。この屋良会長の時に、学校教育を通じて日の丸掲揚を広げる運動が始まった。

 昭和27(1952)年に屋良会長名で次のような通知が出された。「各家に国旗を掲げるように奨励いたしましょう。国旗の注文はいつでも学校ごとにまとめて地区委員会を通じて申し込んでください」。毎年1万本の申し込みがあったという。本土側でもこれを支援して、大量の国旗を沖縄に送った。

__________
 当時、私は平敷屋中学校に勤務していましたが、初めて日の丸が学校で届いたときには、胸に響くものがあり、涙が出ました。[1,p35]
 ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄

 昭和30年代から40年代には、教職員が復帰運動の中核となった。「沖縄を返せ」と歌いながら、デモ行進を行った。沖縄全県で日の丸が掲揚された。

 こういう県民の想いに応え、佐藤栄作首相は昭和40(1965)年8月、戦後の首相としての初めての沖縄入りを果たし、那覇空港での第一声で「沖縄の祖国復帰が実現しない限り、我が国の戦後は終わらない」と語った。この声明は祖国を願う県民を大いに勇気づけた。佐藤政権も政治生命をかけて沖縄復帰に取り組んだ。


■5.ニクソン政権の沖縄返還決断

 沖縄での祖国復帰運動の盛り上がりを背景にした日本政府の返還要求は、ニクソン政権を揺るがした。キッシンジャー大統領補佐官はニクソン大統領にこう提案をした。

__________
 日本の返還要求の圧力はもはや押し戻すことのできないところまでに来ている。この交渉を拒否すれば一切の基地を失ってしまうことになってしまう。[1,p23]
 ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄

 時あたかもベトナム戦争の最中であり、日本国内でも「ベトナム戦争反対」や「日米安保反対」と学生運動の嵐が吹き荒れていた。日本を自由主義陣営に留め、沖縄の基地を維持するためには、沖縄を返還せざるを得ないと考えたのであろう。昭和44(1969)年11月の日米首脳会談で「核抜き、本土並み、3年後返還」が合意された。

 しかし沖縄が日本に復帰して一体化・安定化し、米軍基地がそのまま残ったのでは、中国やソ連など共産陣営にとっては極めて都合の悪い。分断されたまま、住民が反米感情を抱いていた方が米軍の動きを制約できるし、いざとなれば沖縄だけ独立させて共産陣営に取り込む道も残る。


■6.「沖縄を日本革命の基地にしよう」

 そんな意向を受けたのであろう、左翼陣営から祖国復帰反対運動が起こされた。昭和43(1968)年、屋良会長が琉球政府の行政主席に当選し、事務局長だった喜屋武(きやむ)氏が会長に就任した頃から沖縄教職員会が変わり始めた。

__________
 学校に「日の丸に賛成か、反対か」と言うアンケートが配られ、驚いて思わず「本当に喜屋武先生の名前できているのか」と聞いたほどです。私の勤務していた那覇市の城岳小学校はしっかりした人が多く、「賛成」が多数でした。

すると「やり直し」と言われてアンケートが返ってきたのです。指導を受けて「反対」を多くすると、ようやく通りました。この一件でおかしいと感じ始めました。

 名護で開催された教職員婦人部の会では「今の日本に復帰するのではないから、復帰は言わずに安保反対だけを言え」という主張がなされていました。・・・

学校には「70年安保に向けて」というパンフレットが回ってくるようになり、街には「沖縄を日本革命の基地にしよう」という教職員会のポスターが貼られるようになりました。[1,p36]
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■7.「沖縄県民が望まないのに無理してまでも復帰させなくてもいい」

 学校でも闘争資金集めがあり、「この組織には絶対についていけない」と感じた仲村さんは、昭和44(1969)年11月に仲間5人と教職員会を脱会した。

 脱会声明を「沖縄タイムズ」と「琉球新報」に乗せ、連絡先として中村さん宅の電話番号を記した。新聞社は「相当の圧力が来るかと思うが大丈夫か」と心配してくれたが、翌朝、立て続けにかかって来たのは抗議ではなく、「よく頑張った」という激励だった。

 昭和46(1971)年6月に「沖縄返還協定」が調印され、11月に批准、翌年5月に返還という運びとなっていたが、そこに東京から「復帰が危ない」という連絡があった。前年に参議院議員に当選していた喜屋武会長が、与野党に「批准に反対してくれ」と説いて回っている、との由。

 また沖縄でも安保反対のデモがあり、東京からは県民の大多数が復帰そのものに反対しているように見えたので、「沖縄県民が望まないのに無理してまでも復帰させなくてもいい」という話が国会でも出ているとのことだった。

 仲村さんは居ても立ってもいられなくなり、組合を一緒に脱退した仲間たちと10月31日に「沖縄返還協定批准貫徹県民集会」を開いた。千人以上の県民、市町村の首長や議員も集まってくれた。仲村さんもクビを覚悟で、登壇して意見発表をした。

画像



■8.「祖国復帰とは、必死に祖国を守るために戦われた英霊の御心に応えること」

 11月3日、仲村さんら8人の陳情団が上京した。沖縄出身の議員を始め、関係する政治家を回って、早期批准の陳情を行った。竹下登・官房長官などは祖国返還を願う仲村さんたちの訴えを涙ながらに聞いてくれた。

 さらに6〜13日は都心部やターミナルなどでビラまきをし、沖縄返還協定批准を願って「祈・批准」と書いたタスキを掛けて、整然としたデモ行進を行った。

 一方、返還反対運動は過激化して、沖縄ではゼネスト、渋谷では暴動事件が起こり、両方で火焔瓶が投げられて、警察官が死亡するという事件まで起きた。

 しかし、県民集会や陳情が奏功して、「沖縄返還協定」は11月24日に衆議院で自民党による単独採決で批准された。

 沖縄に戻った時は、年休の2週間を超えていた。学校で60人あまりに吊し上げられ、組合の分会長からは「お前たちが陳情に行ったから、沖縄返還が強行採決されたんだぞ」と、ノートでテーブルを叩きながら、怒鳴り散らされた。

 しかし、仲村さんは「私のクビ一つだけで沖縄が復帰できれば安いものだ」と吹っ切れた気分で出勤していた。何日か経って、校長とともに那覇市の教育委員会に呼ばれたが、理解ある教育長で、クビにはならずに済んだ。

 仲村さんと一緒に上京して活動した富川春子さんは、沖縄戦で現地召集兵の父親と幼い弟を亡くしている。富川さんは上京時の思いを目を真っ赤にしてこう語っている。

__________
 祖国復帰とは、必死に祖国を守るために戦われた英霊の御心に応えることなのです。
 上京時の私たちはわずか7名でしたが、背後には十数万柱の英霊がついていて下さると思うと、不思議と怖くありませんでした。
 沖縄戦で亡くなられた英霊を思えば、赤化していく沖縄の状況を到底座視することはできませんでした。[2]
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 今また、沖縄は中国とその手先となっている左翼勢力により祖国から奪われる危機に瀕している。
(文責:伊勢雅臣)


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京都Cホテル




ここはいい感じですね。

何度でも泊まりたい。


楽トラにわけのわからない批判投稿するアホな人々には泊まってほしくないです。

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シークレットレースは小説的に面白い



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★安倍総理の米議会演説は、成功か?失敗か?(国際派日本人養成講座から)

注)以下はメールマガジン「国際派日本人養成講座」からの引用(今回分は転載)です。
興味のある方は、メールマガジンを受信すれば、定期的に読むことが出来ます。



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★安倍総理の米議会演説は、成功か?失敗か?



全世界のRPE読者の皆さま、こんにちは!



皆さんご存知のように、安倍総理は4月29日、

アメリカ上下両院合同会議で演説しました。


これについて「賛否両論」でているようですが、どうなので
しょうか?



▼まず「背景」を把握しよう



どんな話をするにも、まず背景を知っておくことが大事です。


日本はどんな状況なのか?


アメリカはどんな状況なのか?


世界はどんな状況なのか?



08年、リーマンショックから「100年に1度の経済危機」が起こ
りました。


これ、本当に「1929年からの世界恐慌」に匹敵する危機だった
のです。


しかし、人類は1929年当時より賢くなっていたので、前回ほど
の悲劇は起こりませんでした。


世界の大国は、軒並み大幅なマイナス成長になった。


その中で、中国だけは、09年9.2%、10年10.4%、11年9.3%
の成長を果たし、まさに「ひとり勝ち状態」になりました。


(正確にいうと、インドも勝ち組)


これが、中国を「増長」させます。



「アメリカは没落した。

わが国は、これから自由に国益を追求できる!」



と確信したのです。


2010年9月、尖閣中国漁船衝突事件が起こりました。


これをきっかけに、中国は「尖閣はわが国『固有の領土』であり、

『核心的利益』である!!!」と全世界に宣言します。


(中国の領土要求は、1970年代はじめからあったが、大声で騒い
ではいなかった。)



日本も対抗措置をとらざるをえず、2012年9月、政府は尖閣を「国
有化」しました。


これに激怒し、中国では超大規模な「反日デモ」が起こったのです。


問題はこの後です。


中国は、どうやって日本に逆襲するのか?


尖閣国有化から2ヵ月後、中国の代表団が、(事実上の)同盟国
ロシアの首都モスクワにやってきました。


そして、「中国、ロシア、韓国、【アメリカ】で、


【反日統一共同戦線】


をつくろう!」と提案したのです。


ポイントは、「【アメリカ】も反日統一共同戦線に引き入れる」と
宣言したことです。


「トンデモ、トンデモ、トンデモ〜〜〜」


そんなあなたの声が聞こえます。


しかし、これは絶対証拠つきの事実です。


疑っている方は、ぜひこちらを熟読してください。

http://diamond.jp/articles/-/66110



そして、ずる賢い中国は、この戦略を成就させるために、全世界で
大々的な「反日プロパガンダ」をはじめました。


韓国は、中国の先陣を喜んでつとめています。


ここ2〜3年、「慰安婦問題」が大騒ぎになっていますね。


これも要するに、中国の「反日統一共同戦線構築戦略」の一環な
のです。


中国が罠をしかけたことを知らない安倍総理。


2013年12月26日、靖国を参拝しました。


すると、中韓だけでなく、アメリカ、イギリス、EU、ロシア、オー
ストラリア、シンガポール、台湾などなど、

それこそ全世界から非難されたのです。



日本政府は、中国の対日戦略を知らないので、「なんでそうなるの??」
とわけがわからなかった。


だって、「小泉総理は在任中6回靖国を参拝したのに、騒いだのは中韓
だけだったじゃないか????」と。



特にアメリカの怒りはすさまじく、ブルームバーグは、「尊大な安倍を
懲罰せよ!」などと主張していた。


中国の戦略は、まさに成功しつつあった。


そんなとき、安倍総理に「神風」が吹きます。


そう、プーチン・ロシアが2014年3月、クリミアを併合してしまった。


これで、アメリカは、日欧を巻き込んで「対ロシア制裁」を課す必要が
でてきた。


安倍叩きは、ひとまずおさまりました。


しかし、中国の「反日統一共同戦線」戦略はいまも継続中です。


中国は今年、「安倍談話」と「憲法改正」問題を大騒ぎすることで、
日米を分断させようとしている。


そして、今回の米議会演説については、保守派を支持基盤とする安倍
総理ができないのを知りながら、


「慰安婦問題で謝れ!」「アジア侵略について謝れ!」と圧力をかけて
いた。


中国のプロパガンダに侵食されたアメリカサイドから、そういう要求が
でていた。


安倍総理は、演説を前に再び苦境に陥っていたのです。


しかし、また「神風」が吹きました。


それが、「AIIB」事件。


中国主導で設立される「アジアインフラ投資銀行」(AIIB)。


アメリカが「入るなよ!」と命令していたのもかかわらず、イギリス、
フランス、ドイツ、オーストラリア、韓国などが入ってしまった。


なんと57カ国が参加し、大国で不参加はアメリカと日本だけにな
ってしまった。


これで日本は、アメリカにとって、「唯一裏切らなかった忠実な友」
になった。



中国は、「覇権を狙うアメリカの主敵」。

韓国は、「裏切り者」。


こういう「追い風」の中で、安倍総理の演説は行われたのです。



▼演説の目的は



2012年11月に明らかにされた中国の「反日統一共同戦線」戦略。


プーチンロシアは、日本との関係を良好に保ちたいので、のらなかった。


韓国は、喜んでプロパガンダの急先鋒をつとめている。


アメリカは、AIIB事件前、かなり中国よりになっていた。


結局、中国世界戦略の最重要課題は、「日本とアメリカを分裂させ
ること」なのです。


GDP世界1のアメリカと3位の日本を分裂させる。


そうすれば、尖閣・沖縄を容易に強奪できる。


大きなところでは、中国がアメリカを蹴落として覇権国家になるこ
とができる。


中国の戦略の要= 【日米分断】 にある。


そうであるなら、日本の戦略の要は、【日米関係強化】 にある。

(プラスアルファで、米中分断 をするべきだが。)


というわけで、安倍演説の目的は、


「日本とアメリカの関係を強化すること」
~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~

だった。


「成功」か「失敗」かは、「演説によって日米関係が強化されたか?」

で判断されるべきなのです。



▼失敗する演説、成功する演説



演説に先立ち、RPEでは、「こんな演説はダメ!」「こんな演説なら
よい!」

と解説。

草案も出し、総理にも送らせていただきました。

(詳細はこちら↓
http://www.mag2.com/p/news/12846



失敗する演説については、こう書きました。



<【間違い1】日本の実績、安倍内閣の実績を延々と話してしまう


セールスマンの商品説明でもそうですが、「自分が優れていること」
を伝えることは大事です。

しかし 、あんまり延々とやると、アメリカの議員さんたちは「うんざ
り」することでしょう。

自慢話は、ほどほどにしましょう。

では、何をするの?


皆さん、台湾のことが好きですね?

なぜですか?

台湾が、自慢話をしたことを聞いたことがありますか?

私はありません。

しかし、台湾はいつも、「私たちは日本が大好きです」といいます。

それだけで、日本は台湾のことが 好きなのです。

だから、安倍総理は、自分の実績自慢はそこそこにして、


「私は、アメリカを尊敬している!」


「私は 、アメリカが大好きだ!」


「私は、アメリカの味方だ!」


「アメリカはすごい国だ、人類の希望だ!」



などと繰り返すべきです。

そうすれば、「右翼」「歴史修正主義者」などと呼ばれなくなるでしょう。




【間違い2】中国、韓国の悪口をいってしまう

自分の自慢話をするのと同様、中国と韓国の悪口をいうのも感心で
きません。

演説の中で、中国や韓国 を名指しして批判することは絶対避ける
べきです。

なぜかというと、アメリカの議員さんの中には、中国、韓国からたっ
ぷり金をもらい、中韓の利益のた めに動いている人がいる。

中韓を名指しで批判した途端、反発が強まり、安倍バッシングがは
じまります。



【間違い3】歴史問題で弁明してしまう

これもありがちな間違いなのですが、中韓の反日プロパガンダに議
会演説で対抗してしまう。

議会演説で説得力のある証拠を提示することは不可能。

それで、総理が何をいおうと、すべて「醜い言い訳」ととられます。

歴史問題には触れることなく、できれば記者会見なども開かない方
がよいでしょう。


何か聞かれたら、「日本は第2次大戦について非常に強く反省して
いる。日本はその反省の上に、70年間平和を維持してきた。今後も、
日本が他国を侵略することなどありえない」


などと、日本にもアメリカにも、中韓にもいいようにうまくいうべきです。>

簡単にいえば、


・自慢話はそこそこに


・中韓の悪口をいうな


・歴史問題で弁明するな


・とにかく、アメリカを褒めまくり、「アメリカが大好きである!」
ことを示せ



とまあ、こういう話だったのです。


で、実際の演説はどうだったのでしょうか?



▼安倍総理は、「アメリカ大好き民主主義者」であることを宣言した



安倍演説について、中韓メディアは、もちろん批判しています。

日本のメディアも「謝罪がなかった」などと批判しています。

しかし、皆さんは、是非安倍総理の演説全文を読んでいただきたいと
思います。


できればアメリカ人の気持ちになって。

www.nikkei.com/article/DGXLASFS29H1E_Z20C15A4M10600/




まず、これを読むとわかりますが、総理は上記三つの間違いをしませ
んでした。

終始一貫して、「アメリカを褒めること」に徹しています。

見てみましょう。


<議長、副大統領、上院議員、下院議員の皆様、ゲストと、すべて
の皆様、1957年6月、日本の首相としてこの演台に立った私の祖父、
岸信介は、次のように述べて演説を始めました。



「日本が、世界の自由主義国と提携しているのも、民主主義の原則
と理想を確信しているからであります」。


以来58年、このたびは上下両院合同会議に日本国首相として初めて
お話する機会を与えられましたことを、光栄に存じます。>




これは、「私は民族主義者じゃなくて、あなたたちと同じ価値観の
持ち主なのだ」といっているわけです。




<私個人とアメリカとの出会いは、カリフォルニアで過ごした学生
時代にさかのぼります。

家に住まわせてくれたのは、キャサリン・デル・フランシア夫人。

寡婦でした。

亡くした夫のことを、いつもこう言いました、「ゲイリー・クーパ
ーより男前だったのよ」と。心から信じていたようです。


 ギャラリーに、私の妻、昭恵がいます。

彼女が日ごろ、私のことをどう言っているのかはあえて聞かないこ
とにします。

デル・フランシア夫人のイタリア料理は、世界一。

彼女の明るさと親切は、たくさんの人をひきつけました。

その人たちがなんと多様なこと。「アメリカは、すごい国だ」。

驚いたものです。


 のち、鉄鋼メーカーに就職した私は、ニューヨーク勤務の機会を
与えられました。

 上下関係にとらわれない実力主義。地位や長幼の差に関わりなく
意見を戦わせ、正しい見方ならちゅうちょなく採用する。

 この文化に毒されたのか、やがて政治家になったら、先輩大物議
員たちに、アベは生意気だと随分言われました。>



この部分。

安倍さんは、「私は実際にアメリカに住んでみて、アメリカを尊敬
しているし、大好きなんだ。

あまりにアメリカが好きなので、アメリカナイズされた」という意
味。

これを聞いたアメリカ人は、「全然軍国主義者じゃないし、俺たち
の仲間じゃないか」と思ったことでしょう。




<私の名字ですが、「エイブ」ではありません。

アメリカの方に時たまそう呼ばれると、悪い気はしません。

民主政治の基礎を、日本人は、近代化を始めてこのかた、ゲティズ
バーグ演説の有名な一節に求めてきたからです。


農民大工の息子が大統領になれる──、そういう国があることは、
19世紀後半の日本を、民主主義に開眼させました。

日本にとって、アメリカとの出会いとは、すなわち民主主義との遭
遇でした。

出会いは150年以上前にさかのぼり、年季を経ています。>




ここで総理は、「リンカーン」を尊敬し、「民主主義」を非常に
大切にしていることを明らかにしています。


「アメリカとの出会いは民主主義との遭遇」だった。


「浦賀に来航したペリーは、『開国しなければ、攻撃するぞ』と恫喝し
たのです」

とはいわず、「民主主義との遭遇」とした。

「目的」から考えればまったく正しいことです。




▼安倍総理は、戦争で亡くなったアメリカの兵士に謝罪した



つづいて総理は、第2次大戦の話をされます。


< 先刻私は、第2次大戦メモリアルを訪れました。

神殿を思わせる、静謐(せいひつ)な場所でした。

耳朶(じだ)を打つのは、噴水の、水の砕ける音ばかり。

一角にフリーダム・ウォールというものがあって、壁面には金色の、
4000個を超す星が埋め込まれている。

その星一つ、ひとつが、斃(たお)れた兵士100人分の命を表すと聞
いたとき、私を戦慄が襲いました。


 金色(こんじき)の星は、自由を守った代償として、誇りのシン
ボルに違いありません。

しかしそこには、さもなければ幸福な人生を送っただろうアメリカの
若者の、痛み、悲しみが宿っている。

家族への愛も。


 真珠湾、バターン・コレヒドール、珊瑚海……、メモリアルに刻ま
れた戦場の名が心をよぎり、私はアメリカの若者の、失われた夢、未
来を思いました。

歴史とは実に取り返しのつかない、苛烈なものです。

私は深い悔悟を胸に、しばしその場に立って、黙とうをささげました。


 親愛なる、友人の皆さん、日本国と、日本国民を代表し、先の戦争
に斃れた米国の人々の魂に、深い一礼をささげます。

とこしえの、哀悼をささげます。>



ここで明確に、第2次大戦で亡くなったアメリカ兵士にお詫びして
います。


「中韓に謝罪しなかったこと」を理由に演説を批判する人がいます。


しかし、アメリカにいってなぜ「中韓」に謝罪しなければならない
のでしょうか?


これは、アメリカ大統領に、「中国にいったとき、『広島に原爆を
落して申し訳ない』と謝罪しろ!」というほど、おかしなことです。




▼総理は、日米の和解を劇的に演出した




この後、演説の見所がやってきます。



<みなさま、いまギャラリーに、ローレンス・スノーデン海兵隊中
将がお座りです。

70年前の2月、23歳の海兵隊大尉として中隊を率い、硫黄島に上陸
した方です。

近年、中将は、硫黄島で開く日米合同の慰霊祭にしばしば参加して
こられました。

こう、おっしゃっています。



 「硫黄島には、勝利を祝うため行ったのではない、行っているの
でもない。

その厳かなる目的は、双方の戦死者を追悼し、栄誉をたたえること
だ」



 もうおひとかた、中将の隣にいるのは、新藤義孝国会議員。

かつて私の内閣で閣僚を務めた方ですが、この方のおじいさんこそ、
勇猛がいまに伝わる栗林忠道大将・硫黄島守備隊司令官でした。

これを歴史の奇跡と呼ばずして、何をそう呼ぶべきでしょう。


 熾烈(しれつ)に戦い合った敵は、心の紐帯(ちゅうたい)が結
ぶ友になりました。

スノーデン中将、和解の努力を尊く思います。

ほんとうに、ありがとうございました。>




硫黄島で実際に戦ったスノーデンさん。


栗林大将のお孫さんである新藤さん。


この二人ががっちり握手する姿を見て、大きな拍手が起こりました。


その場にいたアメリカ議員さんたちも、感動したことでしょう。




▼戦後、日本はアメリカ側につくことで繁栄した



つづいて総理は、「大戦の反省」を述べます。




<戦後の日本は、先の大戦に対する痛切な反省を胸に、歩みを刻み
ました。

自らの行いが、アジア諸国民に苦しみを与えた事実から目をそむけ
てはならない。

これらの点についての思いは、歴代首相と全く変わるものではあり
ません。>




アメリカを除けば、先の大戦に関する言及はこれだけです。

それで、中韓も、日本のメディアの一部も批判しています。


しかし、アメリカの反応を見れば、この部分は「十分だ」といえる
でしょう。



< アジアの発展にどこまでも寄与し、地域の平和と、繁栄のため
、力を惜しんではならない。自らに言い聞かせ、歩んできました。

この歩みを、私は、誇りに思います。

焦土と化した日本に、子ども達の飲むミルク、身につけるセーター
が、毎月毎月、米国の市民から届きました。

山羊も、2036頭、やってきました。


 米国が自らの市場を開け放ち、世界経済に自由を求めて育てた戦
後経済システムによって、最も早くから、最大の便益を得たのは、
日本です。

下って1980年代以降、韓国が、台湾が、東南アジア諸国連合(AS
EAN)諸国が、やがて中国が勃興します。

今度は日本も、資本と、技術を献身的に注ぎ、彼らの成長を支えま
した。

一方米国で、日本は外国勢として2位、英国に次ぐ数の雇用を作り
出しました。>




ここで総理は、「日本が戦後発展したのはアメリカのおかげです」
といっている。

確かに、ソ連に占領されていれば、戦後の発展はなかったことでし
ょう。




▼日本の改革は、「アメリカの利益」でもある



この後、安倍総理は、TPPの意義について語りました。


この部分は、省略させていただきます。


そして、総理は、「日本の改革の意義」について語ります。



< 私たちは、アジア太平洋地域の平和と安全のため、米国の
「リバランス」(再均衡)を支持します。徹頭徹尾支持すると
いうことを、ここに明言します。>




アメリカの「リバランス」とは、「アジア重視」のことです。


「アジア重視」とは、要するに「中国に対抗する」こと。


ですから、日本がこれを支持するのは当然ですね。




< アジアの海について、私がいう3つの原則をここで強調させて
ください。

第1に、国家が何か主張をするときは、国際法にもとづいてなすこ
と。

第2に、武力や威嚇は、自己の主張のため用いないこと。

そして

第3に、紛争の解決は、あくまで平和的手段によること。


 太平洋から、インド洋にかけての広い海を、自由で、法の支配が
貫徹する平和の海にしなければなりません。

そのためにこそ、日米同盟を強くしなくてはなりません。

私たちには、その責任があります。>



これは、名指しはさけているものの、明確に、「日米で中国の野望を
粉砕しましょう」といっている。


中国が「アメリカから覇権を奪おう」と行動している。


ですから、アメリカにとって、安倍総理の言葉はありがたかったこと
でしょう。


そして、日本としても、「アメリカが中国を封じ込めてくれなければ
勝てない」という切実な問題がある。


つまりこの件で、日米は「利害を共有している関係」にあるのです。



< 日本はいま、安保法制の充実に取り組んでいます。

実現のあかつき、日本は、危機の程度に応じ、切れ目のない対応が
、はるかによくできるようになります。

この法整備によって、自衛隊と米軍の協力関係は強化され、日米同
盟は、より一層堅固になります。

それは地域の平和のため、確かな抑止力をもたらすでしょう。


 戦後、初めての大改革です。

この夏までに、成就させます。

ここで皆様にご報告したいことがあります。

一昨日、ケリー国務長官、カーター国防長官は、私たちの岸田外相、
中谷防衛相と会って、協議をしました。

いま申し上げた法整備を前提として、日米がそのもてる力をよく合
わせられるようにする仕組みができました。

一層確実な平和を築くのに必要な枠組みです。


 それこそが、日米防衛協力の新しいガイドラインにほかなりませ
ん。

昨日、オバマ大統領と私は、その意義について、互いに認め合いま
した。

皆様、私たちは、真に歴史的な文書に、合意をしたのです。>



まさに「歴史的」です。

これで、日本はもっと米軍をサポートできるようになる。

このことはアメリカの利益であると同時に日本の利益でもある。


なぜか?

日本はアメリカのお墨つきをえて、軍事力を強化していくことができる。

つまり、アメリカから抵抗を受けずに【軍事的自立】に近づくことがで
きるのです。




▼安倍総理は、日本の「世界観」と「政策」を示す




< 自衛隊員が積み重ねてきた実績と、援助関係者たちがたゆまず
続けた努力と、その両方の蓄積は、いまやわたしたちに、新しい自
己像を与えてくれました。

いまや私たちが掲げるバナーは、「国際協調主義にもとづく、積極
的平和主義」という旗です。

繰り返しましょう、「国際協調主義にもとづく、積極的平和主義」
こそは、日本の将来を導く旗印となります。


 テロリズム、感染症、自然災害や、気候変動──。日米同盟は、
これら新たな問題に対し、ともに立ち向かう時代を迎えました。

日米同盟は、米国史全体の、4分の1以上に及ぶ期間続いた堅牢
(けんろう)さを備え、深い信頼と、友情に結ばれた同盟です。

自由世界第一、第二の民主主義大国を結ぶ同盟に、この先とも、
新たな理由付けは全く無用です。

それは常に、法の支配、人権、そして自由を尊ぶ、価値観を共に
する結びつきです。>



この部分、非常に重要です。

日本の世界観は、「法の支配」「人権」「自由」である。

つまり、「アメリカと同じですよ」といっている。


それを実現するために、


「国際協調主義にもとづく、積極的平和主義」


でいくと。

これは、別の言葉でいえば、「どんどん自衛隊を海外に出します」と
いうことでしょう。

批判も多いでしょうが、私はよいことだと思います。



「平和憲法さえあれば日本は安全だ」なんて、「夢物語」です。


中国はそんなにあまくないですよ。




▼総理は、「アメリカは世界の希望である!」と宣言し、アメリカ
を味方につけた



そして、いよいよ演説のクライマックスがやってきます。



< まだ高校生だったとき、ラジオから流れてきたキャロル・キン
グの曲に、私は心を揺さぶられました。


 「落ち込んだ時、困った時、……目を閉じて、私を思って。

私は行く。

あなたのもとに。たとえそれが、あなたにとっていちばん暗
い、そんな夜でも、明るくするために」



 2011年3月11日、日本に、いちばん暗い夜がきました。

日本の東北地方を、地震と津波、原発の事故が襲ったのです。

そして、そのときでした。

米軍は、未曽有の規模で救難作戦を展開してくれました。

本当にたくさんの米国人の皆さんが、東北の子供たちに、支援の手
を差し伸べてくれました。

 私たちには、トモダチがいました。

被災した人々と、一緒に涙を流してくれた。>




RPEの草案にも書きましたが、総理はラストで、東日本大震災後のサポート
に感謝しました。


しかし、ここから、さらに感動的なラストにむかっていきます。





<そしてなにものにもかえられない、大切なものを与えてくれた。


希望、です。


米国が世界に与える最良の資産、それは、昔も、今も、将来も、希
望であった、希望である、希望でなくてはなりません。

 米国国民を代表する皆様。私たちの同盟を、「希望の同盟」と呼
びましょう。

アメリカと日本、力を合わせ、世界をもっとはるかに良い場所にし
ていこうではありませんか。


希望の同盟──。

一緒でなら、きっとできます。

ありがとうございました。>



なんと、「アメリカは、世界の【希望】だ!」というのです。


AIIBでは、イギリス、ドイツ、フランス等欧州の大国、オーストラリア、
イスラエル、韓国までがアメリカを裏切った。


世界的に孤立し、不安を感じているアメリカのエリートに、安倍総理は、


「アメリカは世界の希望だ!!!」


という。


こんなにありがたく、うれしいこと言葉はなかったことでしょう。




▼安倍演説は、「歴史的」であった



詳しくみてきました。


覇権を狙う中国の最重要戦略は、「日米分断」である。


だから日本は、「アメリカを味方につけなければならない」。


これが演説の「目的」でした。


そして、安倍総理は、そのミッションを見事にはたされました。


一日本国民として、総理のすばらしい演説に、心から感謝申し上げ
ます。


北野幸伯

●PS

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北野 幸伯

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●面白かったら、拡散お願いいたします。>





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タコ刺しと言えば

最近いい刺身にあたってなかったが、久しぶりに鰹がアタリだった。


タコはいわゆる地タコなので、あれば必ず買っている。
スーパーのタコと何が違うかというと赤い部分。
普通にタコをぬめりを取ってゆでただけなら、このようにあざやかではない色合い。
切っていると、まな板に赤っぽい部分がいっぱいくっつく。





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今日のヒルクラ20150510

今シーズン開始第2週目で土日両方走る気満々だったが、土曜日は雨天のため、本日のみ走行。

いつもの平家の滝(オレンジ橋)へ行って、少し下った後、いつもの梅ノ木経由で旧市村境峠まで上って、少し下った後大日神社のちょい急坂コースにトライして、行川入口まで下った。
いつもならここから8kmアップダウンなしコースを通って帰るところだが、3時間では物足りず、鏡ダム〜円行寺経由で帰ることに。

これだけ鏡方面に通っているが、ダムのほうへ右折するのは初めて。
理由はルートラボで見たら坂の傾斜が緩いから。
その先の工石方面まで行けば標高は稼げるがいかんせん家から遠くなりすぎ。

最後に車で通行したときからでも十数年ぶりの道を進む。
記憶があったのは古ぼけたガソリン計量器程度。

オーベルジュ分岐を過ぎ、土佐山中学校の交差点からは車でも通ったことのない
道へ。
円行寺に抜ける道があるのを知っていただけで、まったく予備知識無し。
川が進行方向と逆向きなので上っているだろうことは想像できた。
坂はさほどきつくもなく、家も良心市もところどころにある。
売っているのは花と梅干しが多い。
北山スカイラインと標識にあるが、風景はちょっと似つかわしくない。

かなり進んで、道がキレイになって坂がきつくなったところで右前方に何か大きい良心市?が
おお、こんなところに道の駅が。トイレ行きたかったわ。
トイレ休憩&スポドリの500mlを対面販売で補給。
少し上ったらトンネルがあり、ここが峠と知る。
このトンネルは交通量オレ以外ないしめっさ長いし寒いし今どきトンネルみたいにすっげー明るいわけでもないし出口見えないしソロだし昼間以外通りたくないなここ(笑)
今回とは逆に上ってくるのは絶対イヤだ(笑)

トンネルを出たらいい景色が見えるかと思ったが。高度と地形で円行寺盆地がち
らちらと見える程度。
路側は木が生い茂っていて道からはほとんど何も。
というか、景色がたいしたことないから木も切らないのかもしれない。
まあ山の南側は一応スカイラインっぽいが。

通常8kmが22kmに、時間にして1時間半くらい余分にかかったか。



主な上り
5.7% 3.3km ヘアピン分岐〜オレンジ橋
3.7% 6.0km ヘアピン分岐〜梅の木〜峠
6.0% 1.5km 大日神社〜峠手前
4.3% 3.3km 土佐山中〜網川トンネル


体が現在のコースに慣れてきたこともあり、タイムが早くなって乗っている時間が短縮されてもの足りなくなっている。
工石山方面に行くのも考えないといけないようだ。

市街地とか交通量の多い国道がキライなのでねえ。



いつものオレンジ橋


いつもの峠


レンゲがいっぱい


鏡ダム湖


スカイライン()標識
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米粉は麺になり難い

いつものように手打ち中華麺を打とうとしていたところ、米粉が余っていたので、さっさと使おうとしたが、成り行きで二割程度入れてしまった。
加水はいつもどおり100gに対し43cc程度。
初期段階で予感はしていたが、案の定ボソボソで。
5%くらいでいいかな。

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フロントディレーラーの調整

5月2日、3日は山へ自転車で、4日は実家で草引き、5日、6日は県外へ旅行に行って結構歩き、酒も酔っぱらうほど飲むこともなく、なかなか健康的な連休だった。


3日に自転車に乗った際、一部変速が甘く、シフトレバーとテンションボルトで微調整したりしながら走っていたのだが、もっとも気になったのは、フロントのアウターとインナーの間にチェーンがはさみ込んだりしたこと。

走行中は事情が飲み込めず、フロントアウター時に上から見るとFDをチェーンが通過する際、妙にすき間が場所によって違うので、
「マジかよ。知らないうちにアウターギヤ曲げちゃったのか???」
などと思いつつ、4日に実家で調整に。

やはり、フロントアウター時にFDの位置をいくら調整してもどこかがチェーンにこすれる。
「?????????????」
のままガチャガチャやっていたら
アウターギヤとクランクがしっかり固定されてなくてガタガタなのに気づいた(汗

このときにアウターギヤを取り外してクリーニングした後、
「この5つのボルト(画像)はアーレンキーサイズ? 専用工具サイズ?」
と思った記憶があるので、後で調べてきちんとしようと思い仮締めのまま取り付けてそれっきりらしい。
それ以降はずっと街乗りだったので、特にフロントなどギヤチェンジなんかしないもんだからまったく気づかなかったが、今回ひんぱんにチェンジしたもんだからガタつきが増して気づいたという感じか。


ちなみに今まで主にロー側調整しかしたことがなかったので、ハイのボルトを回しすぎて
「どうして9番、10番(軽いほうね)に入らないんだよぉぉぉ」
としばらく悩んでました。




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今日のヒルクラ20150503

昨日の帰りに多少右のふくらはぎがつってる感じがあったんだが、今日はフツーに筋肉痛というか肉離れ的痛みが。
初日序盤に調子に乗ってこぎすぎたのを反省。

天気予報は元々一日中晴れ→夜崩れる→昼から崩れるとどんどん変わって、結局十時過ぎには降ってきやがった。

足は痛いし、雨は降るし、フロントライトの電池は切れ気味だし、メカは調整不足でところどころ異音はするしで長居は無用と判断し、オレンジ橋行ってからいったん下って梅ノ木ルートでそのまま峠に上がって終了。

昨年8月10日前後の大雨で崩れた鏡的渕の現状は画像のとおり。


鏡的渕 現在の斜面の状況


表土のズレ感知サイレン


いつものオレンジ橋


いつもの峠
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今日のヒルクラ20150502

今シーズン第1回目ですよ。

去年の8月上旬のライド中止以降まったく走ってなくって、気がついたら9か月ぶり

なんで去年は秋に走らなかったかと考えてみると、これに傾倒してたからなあ。

そんなこんなでエディメルLXMと初長距離。


最初の城ノ平の上りで若いしにブチ抜かれて
「こいつの上りのスピード、オレの平地よりはええ」
などと思いつつ、平家の滝の見える六畳大橋まで。

その後いったん下った後、ヘアピン分岐から旧市村境までの峠までの上り6km/3.5%を2往復して終了。

久しぶりで脚も呼吸も苦しかったが何より苦しかったのはケツ。

ずっと通勤で使ってたのでアスピデでも大丈夫かと思ってたが、やっぱダメでした

夕方実家にintermaxにつけていたVELO gelを取りに行って交換。
こちらは長距離実績はかなりのもの。
明日は痛み無く終わってほしい。


オレンジ橋から平家の滝を望む


いつもの峠


行川小中前の鯉のぼり

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ヒルクラの準備

今年は毎年参加している8月のライドに向けて早めに始動したいと思っていて、5連休初日に出動すべく、金曜日の夜にひび割れの多いタイヤを交換。

今回も、いつもの Vittoria RUBINO PRO 3。

本来、フレームカラーに合わせていたのだが、今回は赤より黒のほうがかなり安く出てたので(汗)、黒に。
どっちかといえば赤がよかった。
2台併用なんで2〜3年乗るんだからそこまでケチらなくてもと後で思った。。。

ちなみに今回外した赤は、外側はひび割れてはいるが、裏側まではダメージはないので、まちなか通勤程度なら全然問題無い感じ。


ドラストにスポドリ買いに行ったところ、ロングセラーのエネルゲンを発見し、買い占め(っつっても2箱)。






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