日曜日は、平日帰りが遅いためまったく手が付けられないこまごまとした用事をいくつか片付けた。
で、夕刻からは実家のある地区の人との懇談会。
本来は地区の運動会の慰労会なのであるが、運動会は雨天中止。
当然誰もがこの日は予定を開けているわけなので、次週にすると来られない人が出てくることも想定され、夜の部は開催するとの判断。
市街地へは自転車で通えるくらいの場所ではあるが、山沿いで土地が限られていることもあって、若い世代はほぼおらず、私が最も年下の部類。
過去のべろんべろん泥酔確率75パーセント。
帰り道で転んでケガをして、翌日病院のお世話になったこともある。
無理矢理勧められる酒を断ることができない、近年の私にとってはあまりない状況の宴席である。
今はもう別の場所に引っ越していったが、かつて近所に大工のAさんという人がいて、普段は挨拶程度であまり話をすることもなかったが、私が高校生時代にふと家に来て
「明日アルバイトに来てくれないか。飯付きで5000円だ」
と誘われた。
作業の内容は、大工の技術試験で出るかんなくずなどを片付けるものだった。
昼は幕の内弁当。
おかずの品種が多め、ご飯が少なめのものであった。
「これは一杯やる用の弁当やのう」
とAさんが言う。
一時間少々の帰り道、晩秋だったのですっかり暗くなった中、私は疲れていたのか車内で結構眠っていた。
私たちの家までもう10分ほどというところまで来て、信号待ちをしているときに目が覚めた。
前の車には、生きたニワトリがたくさん乗せられていた。
「鳥運んでますね」
と私。
「さっきからあれで一杯やったらうまいろうのうと思いよった」
とAさん。
宴席は続き、晩酌の話になった。
私より6つ年上のIさんが
「毎晩どれくらい飲むの」
と女性に尋ねられ、
「眠くなるまで」
と即答。
こんな人たちに囲まれて私は育った。