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コロナ禍の中で

自粛期間を経て、多少落ち着きを見せていたコロナウイルスだが、第二波に近い状況になってきた。
都市部でかなり増えてきているので、地方にも広まってくることも懸念される。
検査数を増やしたからだとか、感染者数は多いが重症は少ないという話もあり、これらについては、この先の推移を見守るしかない。


今月五日に、私の実の母の再婚相手である義父が亡くなった。

昨年末に見舞いに行ったのだが、その後インフルエンザやコロナウイルスの感染防止を理由に面会させてもらえず、ほぼ毎日病院に通っていた母ですら直接話ができるのが月1回程度という状況が続いていた。
それから半年が過ぎ、6月末になり、やっと面会規制が緩和された矢先のことだった。

実のところ、昨年末に
「もう長くはないだろうから、近しい人は今のうちに」
と医者に言われていたこともあり、姉も立て続けに帰省し、葬儀の準備にもいったん入っていた。

当時かなり食欲をなくしていたこともあり、そういう判断だったようだが、その後持ち直したのだった。


ちょうど三年前に家人の父が亡くなり、翌年春に実父が亡くなり、今回で私の三人の「父」は皆鬼籍にいることとなった。

今回亡くなった義父とは中高のうち三年程度一緒に暮らしたが、先の戦争では少年兵とはいえ軍隊経験もあったせいか、殴られはしなかったがかなり指導が厳しかったため、私が限界を感じ家を飛び出してしまった。
当時は正直死んでしまえとよく思っていたが、今思えば、基本的な生活上の作法を教わったことは、社会人になって以降、結構生きている部分が多いのでその点ではよかった。



私が最初に結婚をしようとしていたときに、当時はほとんど会うことすらない状態だったが、
「あいさつはしないと筋が通らないだろうな」
と思い、二人で義父宅を訪問したところ
「勝手なことばかりしておいて、今さら挨拶にきて誰が許すんだ」
と怒声で追い返され、それもあって破談に。
その後、私は失われた十年を過ごすこととなる。

その件があって五年後に母方の祖母が亡くなり、何度か顔を合わせることがあったが、私のすさんだ生活の様子を母から聞いたのか、
「結婚するんだったら資金面でも応援するから」
と小声で伝えてきた。

さらに五年ほどたって私が結婚してからは、元旦のあいさつから始まり義父宅に行く機会も多くり、関係が「普通」になった。
ここ十年あまりは体のこともあり外に出なくなっていたので、たまにもらう小遣いで、いろいろな食べ物を仕入れて持って行った。
食欲のない時期でも、鰻などは喜んで食べてくれたそうである。

見舞いに行っても、晩年は耳を悪くしたので筆談しかできないこともあり、会話がそう長く続かない。
そういった場合は
「忙しいだろ。もう帰っていいぞ。嫁さんにもよろしく」
と気を遣ってくれた。

過去にはいろいろあったが、私のことを考えていてくれたのかもしれない。
私が中高の頃、義父は口癖のように
「親には感謝しないといけない」
と言っていた。

そのとおりである。

書いた人 nippon | comments(0) | - |




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