二十代半ばにきいた話で
「人間は今生努力した分を来生に持っていける」
という内容があった。
以来、私の日々の生活においてベースになっていることの一つでもある。
芸術的なものを何か一つ、また複数という人もいるだろうし、スポーツであったり、何かの趣味や語学など、何をどれだけ努力するかは人それぞれ。
かくいう私は特にこれっていうのがほとんどない。
二十代から三十代にかけては死ぬほど本を読んだが、内容を覚えていない者も多い。気がする。
料理だけは一般の人よりはというくらいか。
一時期ボランティアスタッフの食事をよく作っていた時期があったので、一人で大人数分をこなす手際のよさもこれに加わる。
このとき培った「組み立て」の技術が、そののち携わってきた数多くのイベント運営にも生きている気がする
まあ、イベント運営はさんざん失敗したうえに今があるだけなのだが。
先に亡くなられたノムさんも
「失敗と書いてせいちょうと読む」
とよくおっしゃてたらしいから、それはそれでいい経験だったのだろう。
先日、三月朔日参拝の際に、今後の目標として「部屋の整理整とん清潔」を発願した。
これも若い頃にきいた話で、
「部屋は開店前のデパートの服を売っているコーナーのようにあるのが一番よい」
というもの。
要するに、ピシッと整理され整然としており、掃除も行き届いているということ。
「それくらいでないと幸運の女神もほほえまないだろうな」
と常々思ってきたが、実際にやるのはなかなか。
そうしようとしていたところ、まずは持っているものを置く場所を部屋全体でそれ向きにしないとどうしようもないことがわかり、現在はその作業中。
掃除は気を付けているものの、まだ上述の作業をしていることもあり今一つ。
これはそうなるように努力するというより、そうでないと気が済まないくらいの強迫観念ぐらいにならないと難しい気がする。