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私の勤務評価

今日は年度末ということで、来年度のことも含めて上司と面談。

私のこの一年間の勤務評価は、メチャクチャ低かったです(笑)

あまりに仕事の量が多く予定から遅れることも多かったので、一時期、上司の指示で部分的に分業にしてたのだが、ある日こんなことが。

他部署の人間「あのさあ、データの数字また変わってるけど、どこがどうなったの」
「いや、ちょっとすぐには」
他部署「どうして担当なのにわからないの? じゃあ、正確な数字は誰に聞けばいいの? いつになったらきちんと仕上がるの?」

で、かなり相手が大騒ぎしたもんだから、「他の部署ともめ事を起こして迷惑をかけた」と。


もうひとつは、あるプランを計画して、評価した上司も含めたチーム全体で話し合って「これで行こう」ってことになったが、後々中身に問題点があったことが発覚。

これも「独自の判断で周囲に迷惑をかけた」とか。
工エエェェ(´д`)ェェエエ工工 全部オレだけのせいかよう。
まあ、主担当だったから仕方ないけどさ。

そもそも、膨大な量の余計な業務を私に押しつけてきたことからスタートしているのに、そちらをやり遂げた評価は全くなし('A`)

もう仕事するのイヤになったわ(笑)


まあ、数々不満を並べてはみたが、それで生活しているってことはプロであるということで、プロである以上、自分の仕事はきちんとできて当たり前。

今年度はクオリティーの高い仕事をやりたいです、ハイ。

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マサムネが

マサムネとは会ったこと無いけど、同じパンクルーツだから、何かわかるような気がする。

パンクは世の中に許容されないんだよな。
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ZIPPO



つい最近ZIPPOを新調した。
それまでノーマル2、スリム2の4つ所有していたが、ノーマル・スリム各1が行方不明。スリム1はもともとつきが悪く、インナーなどを調整して一時期なんとかつくようにはなったが、元々私が力業でフリントホイールの角度付けなどをしていたせいで、廃棄せざるを得なかった。

部屋でふと火をつけたくなったときに、ライターがないときがままある。
前日着ていた服やカバンの中、また100円ライターなど探せば家のどこかにあるのだろうが、毎回というのは非常に面倒で性格が悪くなる。
その点、オイルは部屋に常備しているので、ZIPPO本体を置いて、1台は絶対持ち出さないようにすればいいのだと結論づけた。

写真中央が今回2、000円で買ったもので、1941年タイプのレプリカらしい。
角が丸く、底面がフラットである。
私にしては珍しくピカピカの鏡面仕上げタイプ。
(単に模様無しで安かったものを選んだだけだったりする)
古いモデルのレプリカのせいか、すでにかなり鏡っぽくなくなっているが、これはこれでよかった。

個人的には、ZIPPOの完成度は神様が与えてくれたものだと常々思う。
金槌代わりに使ったり、寒い日に手を暖めてみたりと使い方は様々だ。
(よい子も大人もマネしないでね)

左は十年以上使用しているもの。
中学の頃、雑誌の特集で「表面が剥げてくるまで使える頑丈さ」という記事があったが、毎日は使っていないので、なかなかそこにはたどり着けそうにない。
右側は最近見つけだした、ガンダムのZIPPO風ライター。
ヒンジの作りがちゃっちくて、ともするとひん曲がりそうなのだが、火をつける機能は今のところ申し分ない。

ノーマルタイプ以外なら、角張っている1932年タイプが好み。
以前持っていたが一瞬にして酒場で紛失 ・゚・(ノД`)
少し重いけど、据え置きで使うなら問題ない。
でも倍以上するので今回は見送った。
とか言いながら、実はこの後にも、変なオイルライター買っちゃったんだけどな。


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国民の幸を願われ20年(国際派日本人養成講座から)

注)以下はメールマガジン「国際派日本人養成講座」からの引用です。
興味のある方は、メールマガジンを受信すれば、定期的に読むことが出来ます。

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国柄探訪: 国民の幸を願われ20年

 両陛下は180回のご巡幸で全都道府県514市
町村を訪問され、770万人の奉迎を受けられた。


■1.「人々の幸願ひつつ国の内めぐりきたりて十五年経つ」■

 ちょうど20年前に即位された当初、今上陛下は「なるべく
早く全都道府県をまわりたい」と仰っていた。それが実現した
のは、平成15(2003)年11月の鹿児島県御訪問であった。訪
れられた自治体数は401、ご移動距離は12万キロ、地球3
周分の距離である。

 鹿児島を離れるに際し、陛下は次のようにお述べになった。

 今回の訪問で即位後47都道府県の全てを訪れたことに
なりました。各地を訪れ、戦争の痛手から立ち上がり、今
日を築いてきた日本の人々の努力に深い感慨を覚え、非常
に心強く感じております。[1,p86]

 翌年の歌会始では、次の御製(天皇の御歌)を発表されてい
る。

人々の幸(さち)願ひつつ国の内めぐりきたりて十五年経
(へ)つ

 その後もご巡幸は続き、平成19年末までの行幸は180回、
514市町村に達した。平成20(2008)年9月の新潟県ご訪問
までの奉送迎者数は約770万人にのぼる。[2,192]

 皇室は世界で最も古い王室だが、同時に世界で最も「国民と
ともにある」存在とも言えよう。

■2.苦しみ、悲しみ、辛さを背負っている人こそ■

 侍従長として10年以上もお側に使えた渡邉允(わたなべま
こと)氏は「両陛下はいわゆる名所旧跡へは全くいらっしゃい
ません」と語る。まず国民と会うことを第一義に考えられてい
るからであり、特に地震などの被災地へのお見舞いや、障害者
施設、老人ホームなどへの御慰問などが多い。

 国民の中で、他の人は背負っていないような苦しみ、悲
しみ、辛さを背負っている人こそが、両陛下にとって慰め
なければならない人たちなのだと思います。[3,p55]

 特に平成3年の雲仙岳噴火、平成5年の奥尻島を襲った北海
道西南沖大地震、平成9年ロシア船タンカーからの日本海重油
流出事故、平成12年三宅島大噴火、平成16年新潟県中越地
震などの被災者に両陛下は思いを寄せられた。

 平成7(1995)年1月17日の阪神・淡路大震災では、両陛下
は1月31日に現地を見舞われ、その後も次のようにたびたび
ご訪問されている。

・平成13(2001)年4月 復興状況ご視察
・平成17(2005)年1月 10周年追悼式典にご参加
・   同    8月 世界心身医学会開会式の際にご視察
・平成18(2006)年9月 第61回国民体育大会の際にご視察

 以下、兵庫県の被災者と両陛下との交流の様を見てみたい。

■3.希望の象徴■

 大震災直後に、陛下は次のような御製を詠まれている。

なゐ(地震)をのがれ戸外に過ごす人々に雨降るさまを見
るは悲しき

 一刻も早く被災地をお見舞いされたいと思われたのであろう、
2週間後に両陛下はヘリコプターで現地入りされた。その時の
ことを被災地の人々は座談会で次のように思い起こしている。


中山 バスが一台来まして、警察の方がたくさん立ってお
られましたので、どうなさったんですか?って聞い
たら、今、天皇皇后両陛下がお越しいただいていま
すと。それでちょうどアーケードの焼けたところで
皇后陛下が水仙の花を持ってそうっと手向けてくだ
さっているんですよ。そこで手を合わされていまし
た、あの時は、わぁーとこう心に伝わるものがあっ
てね。いやこれは頑張らねばあかんねっていう気持
ちをもったのが、私、今だにわすれられませんわ。
・・・

小畑 後に皇居で秋篠宮妃殿下にお会いした時に、「あれ
はお堀の側の水仙を摘んで持って行かれたんですよ」
       ってお聞きしたのです。自ら摘んで持ってきていただ
いたということでまた感動でした。

 米国の週刊誌タイムは泣き崩れる若い女性を優しく抱かれた
皇后様のお写真を掲載して、「被災地の人々は村山首相の視察
には冷淡であったが、天皇皇后を希望の象徴としてお迎えした 」
と報道している。

■5.『みんなが見守ってくれているんだ』■

 この年以降、陛下はお誕生日前の記者会見で必ず被災者の身
の上を案ずるお言葉を述べられるようになった。

 遺族や、今も厳しい不自由な生活をしている被災者、特
に高齢の人を思うと本当に心が痛みます。(平成8年)

 間もなく三年を迎えようとしている阪神・淡路大震災の
被災者が、まだ二万所帯以上仮設住宅に住まっていること
を思うにつけても、日本の厳しい自然を年頭に置き、自然
災害に対する備えが一層充実していくことを願ってやみま
せん。(平成9年)

 陛下の被災者へのお言葉は、仮設住居の入居者が完全になく
なる平成11年まで5年間、続けられた。

 この間、平成13(2001)年4月には復興状況ご視察に来県さ
れている。さらに皇太子同妃両殿下、秋篠宮同妃両殿下、紀宮
様、常陸宮同妃両殿下も加えると、震災後10年間で17回と、
まさに皇室をあげてのお見舞いがなされた。

 貝原俊民・前兵庫県知事は、こう述べている。

 被災者は、なぜ自分だけがこんなにひどい目にあうのか
と非常に落ち込むものです。・・・ですから、被災者一人
一人にとっても、被災地全体としても『みんなが見守って
くれているんだ』と感じうることが非常に大きい支えにな
るのです。

 両陛下にはたびたび兵庫にお越しいただき、いろいろな
お言葉をかけていただいたことは、まさに被災者は自分一
人ではないんだ、皆さんに支えていただいて復興していけ
るんだ、という勇気をもつことに繋がったと思います。


■6.「笑み交わしやがて涙のわきいづる」■

 平成17年1月、両陛下は「阪神淡路大震災10周年の集い」
を機に、三度目の被災地お見舞いをされた。前述の座談会では
この時のことも話題に上っている。

戸田 みな水仙を持って、両陛下のお車がお通りになる沿
道でお待ちしていました。やがて、先導車が来られ
たんで、われわれぱーっと水仙を高く掲げて振りま
したら、普通ならそのまま真っ直進んでいくはずだっ
たお車が私らの方にまで近づいて目の前でゆっくり
進めれたのです。

池内 天皇陛下が奥で皇后陛下が手前でしたが、寄り添っ
て覗くように水仙をご覧いただきましたので、われ
われもそれにお答えして。

中山 もう一生懸命水仙の花が折れるくらいお振りしまし
た。後で見たら、水仙折れてました。一生懸命やっ
たのでしょうね。

 皇后様は翌年の歌会始で次の御歌を発表された。

笑み交わしやがて涙のわきいづる復興なりし街を行きつつ

 この御歌に関して、

戸田 これは私らの勝手な予想なんやけど、先ほどの中央
区の沿道で水仙でお迎えした私らの前をゆっくり車
でお通りになったときの歌ちゃうか、と思うたくら
いな感動を受けたんですよ。

小畑 皆この御歌がスラスラっ言えますからねぇ。そんだ
けこう心の中にずっとしまっていますわ。大事にし
てますよ。

 神戸市長田区では水仙が復興のシンボルとされ、水仙をあし
らった照明灯をつけたコミュニティー道路(スイセン通り)、
そして約千本の水仙を植えた公園が設けられた。

 この皇后様の御歌の歌碑が神戸市役所の南の東遊園地に建立
された。縦1メートル、横2.4メートルの黒御影石に刻まれ
たもので、この御歌に感動した生田神社宮司・加藤隆久氏が中
心となり、賛助金も瞬く間に集まって完成したのである。

■7.「人々の築きたる街みどり豊けし」■

 震災直後、避難所や仮設住宅などで多くのボランティア活動
が展開され、その参加者数は1年間で138万人に達した。平
成7年は「ボランティア元年」と呼ばれた。

 陛下はこの事をことのほか喜ばれ、同年のお誕生日のご会見
で次のように語られた。

 被災者が互いに助け合い、冷静に事に処している姿と、
各地から訪れたボランティアが、懸命に被災者のために尽
くしている姿に深く感銘を受け、我が国の将来を心強く思
いました。

 復興の一環として進められたのが、緑豊かな街づくりを目指
す「ひょうごグリーンネットワーク」(代表・安藤忠雄氏)で
ある。震災後の街は緑も失われ、ほこりっぽい潤いのない光景
が広がっていた。10年間で25万本を目標に、阪神間では鎮
魂の願いを込めて白い花の咲くコブシ、ハナモクレン、ハナミ
ズキなどが植えられた。

 平成13年4月のご視察で、両陛下が植樹をされた際には、
すでに目標を上回る30万本の植樹が達成され、陛下は安藤氏
に「よくここまで緑が戻りましたね」と声をかけられた。

六年(むつとせ)の難(かた)きに耐えて人々の築きたる
街みどり豊けし

 翌年年頭にご発表になった御製である。6年の苦難を乗り越
えて、人々が力を合わせて街を築いた。その豊かな「みどり」
は人々の復興への意思と助け合いの象徴である。

■8.「提灯を通して両陛下と私たちが一つになった」■

 平成18(2006)年9月、第61回国民体育大会が神戸市で開
催された。兵庫県では3回目の開催であったが、今回は特別な
意味が込められていた。震災から11年、兵庫県が立ち直った
姿を示し、全国各地の復興支援への感謝の気持ちを示そうと
「"ありがとう"こころから・ひょうごから」とのスローガンが
掲げられた。

 震災後4度目のご訪問となる両陛下を歓迎しようと、井戸敏
三・兵庫県知事、矢田立郎・神戸市長が名誉顧問となって奉迎
委員会が設立され、沿道での奉迎に14万本の日の丸の小旗が
用意された。神戸に向かう途中に立ち寄られた三木市では人口
の五分の一にあたる2万人の人々が沿道で奉迎した。

 両陛下がご宿泊されたホテルオークラの前のメリケンパーク
では、その晩に千人の人々が提灯を掲げて歓迎をした。両陛下
はホテルの33階のお部屋から8階まで降りてこられ、午後7
時20分から約10分間、提灯を振って答礼をされた。前述の
加藤宮司は次のように語っている。

 両陛下は、ゆっくりと上下左右に何度も提灯をお振りに
なり、私たち約一千人もそれと軌を一にして提灯を振りま
した。提灯を通して両陛下と私たちが一つになった感覚を
しみじみと感じました。奉迎者の中から「天皇陛下、皇后
陛下万歳」の声が澎湃として沸き起こり、提灯の他に日の
丸の小旗も打ち振られました。君が代を何度も斉唱し、本
当に感無量でした。

■9.「私たちは一人ぽっちではない」■

 両陛下がお心を寄せられたのは、阪神淡路大震災だけではな
い。平成16年の中越地震では、陛下はヘリコプターで被災し
た山古志村をご訪問になり、次の御製を詠まれた。

地震(なゐ)により谷間の棚田荒れにしを痛みつつ見る山
古志の里

 両陛下に励まされた山古志村村長・長島忠美氏は次のように
語っている。

 私たちはあのとき絶望の中にいました。場合によっては
一人ぽっちになるかもしれないと思っていました。しかし、
両陛下がお出で下さった。日本を象徴する方が来て下さっ
た。私たちは一人ぽっちではない。これだけで勇気に繋がっ
たと思います。・・・

 天皇皇后両陛下は、私たち政治家ではできないことをずっ
とやってきて下さっていると思うのです。それは大きな御
心で国民全体を愛するということです。その気持ちが国民
に伝わるから、勇気になったり、感謝の気持ちになったり
するのだと思います。

 天皇が国土を巡られることを、ご巡幸と言う。「幸」という
のは、古代シナの「天子が赴くところ幸いが生ず」という信仰
から来ている。

「人々の幸」を願い、祈る両陛下の御心が国民に伝わって、
「私たちは一人ぽっちではない」という感謝、そこから湧き上
がる勇気、そして互いに助け合おうという思いやりの心が生ま
れる。国民一人ひとりがこうした心を持てることが、真の「幸」
ではないか。

 両陛下は、このような幸を願いつつ、全国を巡幸されている
のである。
(文責:伊勢雅臣)



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何をやっても

このところつまらない日々が続いている。

先週末、酒席に。
送別会だったため出席したが、それ以外なら断っている。
大半は2次会に行ったようだったが、気分に加え、体調も今ひとつだったので速やかに帰宅した。

「気にしすぎ」
と言われるかも知れないが、いまだに
「暖かいものが食べられれば」
といった話を聞くと、何を食べても美味しく感じられない。

早く全員が、すべて整った施設や病院に入ったことが確認できればと思う。
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変わらないこと

今朝、いつものように乗用車で通勤していたところ、対向してくる自転車に乗った女性を見て、
「どっかで見たことあるなあ」
と、思った。

数十秒後、
「そうか、あのときの赤手袋のおねーちゃんだ」
と気づいた。

ちょうど8年前の今頃、仕事で帰りが遅かったため、今と同じように乗用車通勤をしていた時期があった。
毎朝私と反対方向に進む自転車の中に彼女の姿があった。
まあ、今の私の中の感覚で言えば大島優子というところか。
社会人1年目のような感じで、なかなか初々しく人目を引くところもあり、真っ赤な手袋をしてるのが印象的だった。

私は家族の都合で小学校を2回転校し、中学以降も何回か引っ越しをした。
同級生の家に遊びに行って、祖父母、父母と同居していて、小中高校とずっと同じ家から通っている者がいると、ひどくうらやましく思ったものだった。

彼女はどうなのだろう。
私も通勤時間帯が変わったりしたこともあったし、通勤手段もまちまちである。
8年間、彼女も同じ道を通勤していたのかも知れないし、一度結婚して最近出戻ったのかも知れないし、たまたま今朝自転車で通りかかっただけかもしれない。
もう一人、毎朝同じように対抗してくる年輩の女性がいるが、この女性はもう10年以上平日朝の同じ時間帯に私とすれ違う。

酒場もそうだが、私が社会人になってからずっと通い続けている店は3軒。
いつも変わらず日曜祝日以外は店を開けている。
また、これとは別に、多くの店が無くなってしまっているので、変わらずにということは、簡単なようで案外難しいものなのか。

今回の震災で、避難生活をしている人だけでも数十万人。
関係者を含めたら、その何倍もの人が、いや日本の多くの人々がごく普通の生活ができていないことと思う。

一人でも多くの人が一日も早く、いつもと変わらなかった普通の生活に戻れることを祈っている。



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これは現実か

ただただ、一刻も早く救助の手が届くことを祈るとともに、亡くなられた方のご冥福をお祈りするばかりである。

仕事場でも念のため交代で一人が詰めるようになったし、明日予定していた一年越しで準備してきたイベントも中止することとなり、今日・明日はその対応もしなくてはならない。

皆様も二次災害に遭わないように、またオーバーワークにならないようにお気をつけて。

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インターネットって高いよな

最近あちこちの広報担当から
「インターネット使えない人って、意外に多いんですよね」
という声を聞く。

彼らによると、
「年齢層がかなり高いと使わない。若い世代はお金がないので、携帯でネットの世界にはつながってはいるものの、自宅でインターネットをやるほど余裕がない」
ということらしい。

今どきお互いビジネスであれば、
「弊社のホームページの○○にありますので」
で用件が済むことが多いが、一般の方相手だとそうはいかないということだ。

考えてみれば、私もカード通信なので、少々割高の月々7千円を支払っている。
現在これに携帯電話、スカパー5千円弱との組み合わせなので、数十年前の固定電話だけだった時代と比較すると、1万5千円ほど多く支払っていることになる。

これらは、NTTやケーブルテレビなど色々比較しても大して変わらなかったので、この程度を支払っている家庭は多いと思う。
(いやオレはどーせ一人だよ。悪かったよな)

携帯(極力使わない。5千円くらい)+ネットで1万2千円くらいだから、携帯結構使うんなら両方はキツイよなあ。

まあ、どうしてもってときはネカフェ行くんだろうけど。
結局、誰しもお金のかけどころがどこかってところなんだろう。

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健康診断・問診

医 γとか中性脂肪が高いですねえ。お酒飲むでしょ

私 これだけが私に残された唯一の楽しみですから

医 生活も不規則なんでしょう。食事も夜中とか

私 ええ、12時ごろ

医 規則正しい生活をしないと

私 いや、土日も含めて毎日同じ時間なので

医 でも、寝る前に食べるのはよくないですよ

私 寝るのは2時ぐらいですから

医 ・・・・・・お忙しいのはわかりますが、運動もしないと

私 首が悪いので運動は主治医に止められてます

医 では、通勤の時に歩くとか

私 毎日10階まで2往復はしてますが

医 ほう、それはいいですね。ご自宅で? 会社で?

私 会社の喫煙場所が2フロア上で、1日10回以上通ってるので

医 ・・・・・・・・・


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待っている

「やっぱり夜中に食べると太るから」
「そうねえ、今日は帰っても食べないようにしないと」
今日も職場でこんな会話が交わされていた。

ハァ?

「夜中に食べると太る」
などということは、迷信だと私は信じている。

論より証拠。
この半年間、私と一緒に深夜まで仕事をしている仲間のうち、確実に3人は
「帰宅してから食べる派」
なのだが、
「その人たちが太り続けているか?」
というと、まったくそんなことはない。
一緒に仕事をしていて、それにも気づかないとは、先入観とは恐ろしいものだ。


ただ、寝る前に食事をすることは、あまりよくないのは私もわかっている。
眠ったとしても、体は消化活動をしているので、完全な休息とはならないだろうし、早い時間に食事をとっている人と比較すると、翌朝の胃腸のすっきりしている度合いはまったく違うだろう。

そう頭でわかっていながらも、体はついていかない。
直会ではないが、仕事が終わってから、ご苦労様でした!をやらないと気がすまないのである。
また、閉店前のスーパーに立ち寄るのが日課なので、出来合いの総菜を買えば、20分は余裕が出来るだろうに、材料を買うことを私はやめない。

テマエミソだが、私の中に
「今日はどんなもの売ってるのかな。何買って帰ろうかな」
と思う人がいる。
そしてまた
「今日は何を作ってくれるのかな」
と、期待していつも待っている人もいるのである。

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戦いすんで........ない

相変わらず仕事が忙しい。
というか、忙しいというレベルを超えている。

月曜・火曜は会社を出たのが日付が変わってから。
当然スーパーは開いていない。
先週金曜日に買いだめして余力で土日を過ごしたので、冷蔵庫は空っぽ。
水曜日にやっと早めに (と言っても22時過ぎ)会社を出られたので、久しぶりに普通の食事にありつけた。
先週に引き続き、この土日も仕事で埋まりそうである。


このところ、忙しいのを知ってか、母親が頻繁に来て、台所の片づけや洗濯をしたりしてくれている。
(そこらのものを何でもかんでも洗ってしまうのだが(汗))

最近、たまに会うたびに、
「結婚してない人は、気配りができない部分がどうしても出てくる」
と、繰り返し言われている。

そういえば、職場にいるアラフィ○のお局様は、やたら響くブーツで一日中過ごしている。
普通のヒールなら
「コッ、コッ、コッ、コッ」
程度なのだが、これがまた
「ゴツ!ゴツ!ゴツ!ゴツ!」
と、世の中にこんなもの売ってるのか!? というほど五月蠅いのである。

私の場合、夏場クールビズの時に履いているスニーカーで、雨の日に多少
「キュッキュ」
と音がするモノがあるので、その靴はほとんど会社に履いていかなくなった。

件のお局様に一度注意してやろうかと思ったが、せっかく今季買ったかもしれないのに、「ずっと履くな」的になっても酷だろうし、大枚はたいて「一生もの」と思って買ったのかもしれないし、ましてや職場でこういう人にたてつくのはKYだし、気の弱い私は毎日イラッとしながらも言い出せない(笑)

まあ、他人のふり見て我がふり・・・ ってことか。







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友達がいなくなる

いやあもう仕事中心の生活がここんとこ続いてて、社会と隔絶されてるっていうか、この土日も朝から夜遅くまでデスクに拘束されてて、めっきり数少なくなった各種のお誘いにも答えられなくて、ますますダメじゃんって感じです、ハイ。
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つるつるツーデー ツルツルツーデー 2011


2011年4月2日(土)・3日(日)

讃岐うどんつるつるツーデーウオーク (2011)

チラシPDF
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