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求道者イチローの原動力(国際派日本人養成講座から)

今回は、偉大なるサムライ、イチロー選手についてです。
彼をよく知る人から聞いた話では「ホントにフツーの人と変わらない。ただものすごく礼儀を大切にする」ということでした。
今回の内容にも、そういったエピソードがありますね。

注)以下はメールマガジン「国際派日本人養成講座」からの引用です。
興味のある方は、メールマガジンを受信すれば、定期的に読むことが出来ます。


■■ Japan On the Globe(616)■■ 国際派日本人養成講座 ■■

人物探訪: 求道者イチローの原動力

前人未踏の道を行くイチローを駆り立てているものは何か。

■1.「満足できるための基準はだれかに勝ったときではない」■

 9月13日、9年連続シーズン200安打のメジャー新記
録を達成したイチローは「解放された。最高ですよ」と安堵の
笑顔を見せた。

 108年前のウィリー・キーラ−が記録した8年連続を塗り
替える前人未踏の大記録だが、「人の記録を意識しながらやる
のは、気持ちのいいものではない」とも語った[1]。このコメ
ントにイチローの野球に向かう姿勢が如実に表れている。

 自分にとって、満足できるための基準は少なくともだれ
かに勝ったときではない。自分が定めたものを達成したと
きに出てくるものです。[2,p10]

 イチローの目標は、キーラーの記録を破るというような「だ
れかに勝つ」ことではない。あくまで「自分が定めたもの」が
目標なのだ。

 2004年にジョージ・シスラーの年間257安打という記録を
84年ぶりに更新した時、記者から「これからの目標は」と聞
かれた際の回答にも、この姿勢が現れている。

 野球がうまくなりたいんですよね、まだ。そういう実感
が持てたらうれしいですね。これは数字には表れづらいと
ころですけど、これはもう僕だけの楽しみというか、僕が
得る感覚ですから。ただそうやって前に進む気持ちがある
んであれば、楽しみはいくらでもありますから。ベストに
少しでも近付きたいですね。[2,p34]

 今回、イチローが「解放された」と喜んだのは、これでマス
コミの騒ぎから解放されて、自らの「ベストに少しでも近付く」
道に戻り、一人静かに楽しみながら、歩んでいけるからだろう。

■2.首位打者を狙ったら妙な打算が入る■

 打率で首位打者のタイトルを人と争うよりも、安打数にこだ
わる所に、イチローの姿勢が見てとれる。

 妙な打算が働くから、打席で雑念が入りバットを振るこ
とに悪影響を与える。[2,p123]

 というのが、その理由だ。高打率を維持しようとすると、時
にはボールを待って四球を狙おうというような「雑念」が入る。

 ノースリー以外の状況で(フォアボールを取りにいくよ
うな)そういう心理状態が表れたら、僕はその打席は負け
だと思います。[2,p138]

 また「他人の打率が落ちてくることを知らないうちに願って
いる自分なんて想像したくない」[3,p184]という理由もある。

 バッターとしての真価は、一打席でも多くピッチャーに立ち
向かい、一本でも多くのヒットを打つことだというのが、イチ
ローの姿勢である。

 イチローは日本でのプロ3年目の平成6(1994)年にレギュラ
ー選手となるとともに、日本球界初の年間200安打を打ち、
パ・リーグ新記録となる打率3割8分5厘で首位打者を獲得し
た。この時に、イチローはこう語っている。

 皆さんは打率3割8分のことを評価しますが、僕の心の
中にはまだ6割以上の打ち損じがあるという思いがありま
す。それを少しでも減らしていくのが今後の目標です。
[2,p91]

 3割8分という高打率で首位打者のタイトルをとっても、そ
れはたまたま他の打者より打率が高かったという、人と比較し
ての外的な基準に過ぎない。「ベスト」への道は果てしない。

■3.ライバルではなく同行者■

 2002年、メジャーでの2年目のシーズンの前半終了時点で、
イチローは3割5分7厘で、打率2位の位置につけていた。気
の早い日米のファンは、メジャーでの2年連続首位打者、日本
時代からの通算では9年連続首位打者間違いなしとの予想を立
てていた。

 折り返し時点のオールスターで、メジャー屈指の強打者マニ
ー・ラミレスが、ロッカールームでイチローにアドバイスを求
めてきた。「スウィングで足を踏み出すと体が投手方向に突っ
込んでしまうのはどうしたら良いのか」と聞くのである。

 大リーグにおいては大先輩のラミレスが、2年目の新参者に
アドバイスを求めてくる所に、自分と同様、真摯に野球に取り
組む姿勢をイチローは感じとった。

 イチローは「体がつっこんでも構わない。(グリップ部分の)
手が後ろに残っていればいい」と助言した。この助言を得て、
ラミレスは後半戦を3割5分4厘と打ちまくり、イチローを抜
いて、自身で初めての首位打者のタイトルを手にした。9年連
続の首位打者を逃したイチローは、後悔もせずにこう言った。

 自分がアドバイスした通りにラミレスがやって、それで
結果が出れば嬉しいじゃないですか。僕もアドバイスで言っ
たことを同じようにやってきた。自分の考えていたことが
それで正しかったということになる。[3,p20]

 ラミレスは首位打者を争うライバルではない。共に打撃の道
を極めようとする同行者なのだ。

■4.好敵手を失ったショック■

 一本でも多くの安打を打とうとするイチローにとって、好敵
手はバッターではなく、投手である。2001年の開幕戦、イチロ
ーがメジャー公式戦で初めて対戦したピッチャーが、オークラ
ンド・アスレチックスのエース、ティム・ハドソンだった。前
年のアメリカン・リーグでの最多勝投手である。そのハドソン
にイチローは3打席を完全に抑え込まれ、試合後「あんなピッ
チャー見たことない」とコメントした。

 150キロ超のストレートがよく動くムービングファースト
ボールを自在に操り、フォークボール、チェンジアップの制球
も抜群だった。打者のひざより下のゾーンにしかボールが来な
い時もある。空振り三振を狙うよりも、ゴロで打ち取るタイプ
だった。イチローが一本でも凡打を少なくしようとするのに対
し、ハドソンは一本でも多く凡打を打たせようとする、いわば
対照的な好敵手だった。

 そのハドソンは「チームの勝敗とは別の次元で、僕の技術を
上げてくれるピッチャーだった」とイチローは評価する。それ
からの4年間でハドソンとは50打席以上勝負して、2割3分
と大苦戦していた。2004年は15打数6安打で4割と、ようや
くハドソンを打てるようになってきた。

 さあ、これからという時にショッキングなニュースが舞い込
んだ。球団経営の苦しいアスレチックスがハドソンをナショナ
ル・リーグのアトランタ・ブレーブスに放出したのである。リ
ーグが違って、ハドソンとの勝負ができなくなってしまった。

 ショックでしたよ。去年(2004)のオールスターで初めて
一緒になって、コミュニケーションも少しですが取れるよ
うになっていた。これからもっとお互いを意識しながら対
戦できると思っていたのに、、、。彼のように、打者とし
ての僕の可能性を上げてくれる、という意識を持たせてく
れるピッチャーはそんなにいない。ハドソンには、技術だ
けでは対応できない、志の大きさのようなものがありまし
たから。[3,p33]

■5.「いま小さなことを多く重ねること」■

 イチローは打席に立つと、狙いを定めるようにバットをセン
ター方向に向け、左手で右袖の上をつまむ。イチローのトレー
ドマークとして、全米でもすっかり有名になった仕草である。
実は、こういう仕草にも、イチローが野球に取り組む独自の姿
勢が表れている。

 打席に入る前には、マスコットバットを大きく振り回し、上
半身と脇腹の筋肉をストレッチする。その後は股割りを左に2
回、右に2回。試合用のバットを手に取り、打席に入る直前で
一度屈伸。打席に入ると、上述のルーチンに入る。一連の決まっ
た動作を、ほぼ同じリズムで繰り返す。

 単純な一連の動きの中に自分を投ずることにより、余計なこ
とを考えず、無心の状態を作り出すためだ。高校時代、スポー
ツ心理学の専門家から集中力アップのアドバイスを受けたのが
発端で、以後、自分流の改造を積み重ねて、現在の形ができた。

 原型が完成したのは、レギュラーとして活躍を始めた平成6
(1994)年だった。

 それまでは打席でやっぱりいろいろ考えてしまった。で
も、プロに入ってからやっぱりこれではダメだ、と。ただ、
(無心の状態をつくることは)口で言うほど簡単ではない
ことですけど。[3,p113]

 イチローの目指す道は、こうした細かい工夫の積み重ねにあ
る。こういう努力の末に、シスラーの年間257安打を84年
ぶりに更新した試合の後で、イチローはこう語っている。

 いま小さなことを多く重ねることが、とんでもないとこ
ろに行くただ一つの道なんだなというふうに感じてますし。
激アツでしたね、今日は。[2,p12]

■6.バット職人への謝罪■

 イチローの細かな工夫は当然、バットにも及ぶ。長さ85セ
ンチ、重さ約900グラム。芯で確実にボールを捉えるために、
贅肉を削ぎ落とした極細形状である。

 オリックス時代2年目から使っているこのバットを作ってい
るのは、ミズノテクニクスの久保田五十一(いそかず)氏。厚
生労働省の「現代の名工100人」に選ばれている。

 久保田氏によると、プロ野球選手が使うバットはアオダモ角
材1000本から300本程度しかとれない。それがイチロー
仕様のバットになると12本くらいしかとれない、という。

「あれだけのバットを作ってもらって打てなかったら自分の責
任ですよ」とイチローは語る。[3,p130]

 2004年にマリナーズのキャンプを訪れた久保田氏は心に残る
シーンを見た。フリー打撃を終えた選手たちがそれぞれのバッ
トを芝生の上に放り投げているなか、イチローだけがバットを
クラブでそっと包み、まるで眠った赤ん坊をベッドに横たえる
ように置いていた。

 凡退してバットを地面に叩きつける打者の姿はよく見るが、
それに対して、

 打てなかったあとに道具にあたるのもあまりいい感じは
しませんね。だってバットが悪いわけじゃないんだから。
モノにあたるくらいなら自分にあたれと思います。
[2,p170]

 そう語るイチローも一度だけバットを叩きつけたことがある。
平成8(1996)年7月6日、近鉄戦で左腕・小池秀男に三振を喫
したときのことである。その後、イチローは我に返って久保田
氏宛に謝罪の手紙を書いた。久保田氏はこう語る。

 何人かの選手から、自分が手がけたバットについてお礼
を言われたことは過去にもありました。でも、バットへの
行為そのものを謝罪されたのはあの一度だけですね。
[3,p130]

■7.「監督に感謝するためにも、いい成績を残したかった」■

 これほどの細かな工夫を日々積み重ねてまで、イチローを
「ベストへの道」に駆り立てているものは何なのか。富や名誉
ならもう十二分にあるのだから、それらがいつまでもモチベー
ションになっているはずがない。

 オリックスに入団した当時、「なぜそんなに厳しいトレーニ
ングを自分に課しているのか?」と記者に聞かれて、こう答え
ている。

 僕がこんなにトレーニングをしている理由は簡単なこと
です。僕を獲ってくれたスカウトの方に失礼があってはい
けませんから、、、[2,p45]

 このスカウトとは、イチローをドラフト4位で指名した三輪
田勝利氏である。三輪田氏は入団当初もいろいろ悩んでいたイ
チローに温かい言葉をかけて励ましてくれた。三輪田氏はその
後、ドラフトをめぐるトラブルに巻き込まれて自ら命を絶ち、
今は神戸港を臨む山あいの墓地に眠っている。

 イチローは毎年のシーズンオフに三輪田氏の墓を訪れ、花束
とセブンスター、缶ビールを供える。そのたびに、「僕を獲っ
てくれたスカウトの方に失礼があってはいけませんから」とい
う思いを新たにしているのではないか。

 イチローにはもう一人の恩人がいる。当時のオリックス監督
仰木彬(おおぎあきら)氏である。仰木監督はイチローの才能を
見抜き、選手名を「鈴木」から「イチロー」として、レギュラ
ーの2番打者に抜擢した。

 僕は仰木監督によって生き返らせてもらったと思ってい
ます。監督はたとえ数試合、安打が出なくても、根気よく
使ってくれました。その監督に感謝するためにも、いい成
績を残したかった。[2,p44]

■8.「感謝の心」こそ原動力

 スポーツ心理学では、選手が感謝の心を持ち、誰かのために
一生懸命練習し、プレーすることで、とてつもないエネルギー
を発揮できることを明らかにしている。

 今年3月23日、野球世界一を決めるWBC(ワールド・ベ
ースボール・クラシック)での韓国との決勝戦。同点で迎えた
延長10回2死2、3塁で、イチローは鮮やかなヒットを放っ
て勝利を決めた。

 日本代表チームの主将に任命されたイチローは「日の丸に恥
じないように」を合い言葉とし、チーム一丸となって戦ってき
たが、イチロー自身はそれまで打率2割1分1厘と不調に苦し
んでいた。しかし最後の最後で、応援してくれている日本中の
ファンに感謝し、その期待に応えようとする気持ちが歴史的な
ヒットを生んだ。

「感謝の心」こそ、求道者イチローの原動力なのである。
(文責:伊勢雅臣)
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