My First T-Blog

虎式ブログサービス
最近のエントリー

最近のコメント

カテゴリー

バックナンバー


海防人(うみさきもり)の戦い(下)(国際派日本人養成講座から)

注)以下はメールマガジン「国際派日本人養成講座」からの引用です。
興味のある方は、メールマガジンを受信すれば、定期的に読むことが出来ます。

□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□

■1.工作船自爆

「『あまみ』と『きりしま』が被弾」との報告から、1、2分後、今度は「工作船が爆発」、そして「沈没」との連絡が相継いでもたらされた。

 北朝鮮本国から工作船に対し、「自爆せよ」との命令が無電で伝えられていることが、後に暗号解読から判明した。すべての証拠隠滅のためには、船ごと沈めてしまうのが良いとの判断であろう。自国の兵士の生命は使い捨てである。

 堀井船長率いる巡視船「みずき」が現場に近づいた頃には、工作船の乗組員と思われる人影が、夜の波間に数人浮かんでいるのが見えた。堀江船長は語る。

__________
 それを見たときには、もう救助するという考えはありませんでした。自ら船を爆破したような相手ですから。こちらにもそんな余裕はありませんでした。むしろ逆に船に乗り込まれて爆弾を使われたらそれこそ大惨事ですから、そういう心配をしました。[1,p190]
 ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄

 韓国の海上保安機関から海上保安庁に伝えられている情報によれば、北朝鮮工作船の乗組員は各自手榴弾を所持して、逮捕したら相手もろとも自爆する危険があった。[2,p40]


■2.扇千景・国土交通相のビデオ公開指示

 工作船が自爆して沈没したという報告を受けた扇千景国土交通相(当時)は、即坐に海保幹部に「映像を国民に広く見てもらうべきだ」と指示した。10人いたとみられる工作船の乗組員全員が死亡し、「海保の攻撃で船が沈没したのでは」という憶測が広まるのを避ける意図もあり、「政治主導」で全面公開を決定した。

 2日後の12月24日、工作船からの攻撃で巡視船が被弾する様子など緊迫した状況が、テレビで広く国民に公開された。

 工作船からの銃撃は約1分間行われ、巡視船「あまみ」には船体・船橋合わせて100発以上の銃弾が浴びせられた。船橋の窓ガラスが7枚割られたほか、レーダー、GPS、気圧計、後部監視カメラ用モニターが破壊されるという凄まじいものだった。

 巡視船「いなさ」も攻撃を受け、正当防衛のため応戦した。「撃て」「撃て」と繰り返し命令する船長の肉声が記録されている。3名が負傷したが、幸いにも軽傷だった。ある海保OBはこう語っている。

__________
 実際、工作船沈没のニュースが報じられた直後には、「なぜ(工作船の船員たちを)生きたまま捕らえられなかったのか!」という怒りの声が、いくつも本庁宛に寄せられていたのです。

 しかし、そうした声も、あの銃撃の映像をテレビで公開して以降は、ピタリと止んでしまいましたからね。[1, p191]
 ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄

 巡視船「あまみ」が攻撃されている様子を撮影した映像は、まさに「百の論より一つの証拠」となった。

 ビデオ撮影した職員は、激しい銃撃を受けている最中も、怯むことなく冷静にテープを回し続けた。テープを交換する際にも、平常通りの声で「テープを交換します」と自らの声を記録していた。


■3.工作船引き揚げ

 扇千景国土交通相は沈没した工作船の引き揚げを「捜査資料として絶対に必要」と主張した。しかし、沈没した海域は中国のEEZ(排他的経済水域)に入っていた。

__________
 ここでも当初、外務省は中国に気を使うあまり引き揚げには慎重になっていたのです。結局、中国側に対して(引き揚げ作業をすることが)中国の漁業の妨げになるという意味から、その期間の損害に準じた協力金を支払うということで合意しました。この協力金は最終的には1億5千万円で折り合ったのですが、中国側は当初7億円近い金額を吹っかけてきたといいます。[海保OB,1, p192]
 ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄

 この交渉は、小泉総理大臣の指示を受けた海上保安庁と外務省の担当者が中国に赴いて行ったが、中国側の法外な補償要求のために、およそ1ヶ月もかかった。

 ようやく交渉がまとまったのが、6月18日。そのわずか1週間後に引き揚げ作業が始まった。奄美大島の西方400キロ沖、水深90メートルの海底から、79日をかけて、全長約30メートル、幅約5メートルの工作船が引き揚げられた。後に、一般公開された工作船をみて、石原東京都知事は「あれは工作船ではなく、工作艦だ」という感想を述べている。

 通常の漁船は、漁労作業をするときに船上が安定するように船底が平らになっているが、この工作船は高速走行を可能とするためにV字型となっていた。

 燃料タンクの容量では24トンで、5千キロ以上の航続距離を持ち、平壌−新潟の1148キロを往復し、さらに日本近海で十二分に活動することが可能であった。


■4.小さな軍隊

 引き揚げられた工作船を調べる過程で、最も海保を驚かせたのが、船内に残された武器類であった。口径40ミリのロケット・ランチャー2挺、口径82ミリ無反動砲1挺、携帯型地対空ミサイル2挺、その他2連装機銃、軽機関銃、自動小銃など計7挺である。

 これらは船内に残っていたものだけで、これ以外にももっと多くの武器が海底に沈んでいるものと考えられている。

 ロケット・ランチャーは実際に巡視船に向けて発射されていたが、もし命中していたら、沈んでいたのは巡視船の方だったろう。

 工作船の武器装備に関しては、韓国の海上保安当局からの情報で、ある程度把握できていたが、携帯型地対空ミサイルは想定外であった。有効射程距離は5千メートルであり、低空飛行する海上自衛隊のヘリコプターやP−3C警戒機をも撃墜できそうだ。

 この重装備では、工作船とは言え、小さな軍隊と向かい合っていたわけである。海保職員の背筋に冷たいものが走った。


■5.金正日も北朝鮮の関与を認めた

 これらの武器の多くが、ロシア製のものを北朝鮮で模倣し、製造したものであった。さらに北朝鮮国民がつけていると言われる金日成バッジや北朝鮮製のタバコも発見された。こうした証拠から、海上保安庁はこの工作船が北朝鮮のものと断定した。

 引き揚げが完了した直後、平成14(2002)年9月17日に北朝鮮・平壌で開かれた日朝首脳会談の席上、朝鮮労働党書記長・金正日は、今回の工作船事件について、一部の北朝鮮の当局者が関与していることを認める発言をした。

 さすがにこれだけの物証が、テレビなどで国内外に公開されては、金正日も北朝鮮の仕業であることを否定できなかったのだろう。

 逆に言えば、工作船を引き揚げたからこそ、ここまで金正日を追い詰めることができたのである。工作船が自爆して船自体を沈めてしまったのであるから、その時点では物証は何もなかった。ビデオでの交戦映像だけでは、北朝鮮は「我が国には関係ない」としてしらを切り続けることもできたはずである。工作船の引き揚げは扇・国土交通相の英断であった。

 ただし、金日成は一部の人間の個人的な行為とし、政府としての関与は否定しているという。そのような言い抜けは国際社会で誰も信用しないだろうし、北朝鮮軍内の勝手な行為だとしても、国家としての北朝鮮の責任は免れない。


■6.覚醒剤密輸と工作員の密入出国

 また船内からはたくさんの携帯電話が発見されたが、そのなかに残されていた発信履歴には、都内の暴力団事務所の固定電話の番号、また暴力団組員個人の携帯電話の番号が複数、確認された。

 平成10(1998)年8月、高知県沖の海上で漁船に乗った暴力団組長ら6人が覚醒剤密輸未遂で逮捕されたことがあった。彼らに覚醒剤約300キロ(末端価格約180億円相当)を渡した北朝鮮の「第12松神丸」は、今回の工作船と同一であることが、造船の専門家から認定されている。北朝鮮は、国家事業として覚醒剤を製造し、その工作船を使って日本の暴力団に売り渡していたのであろう。

 また、工作船は船尾部分が左右に開閉可能な観音開きになっており、その中には漁船のように見える長さ11.1メートル、幅2.5メートル、2.9総トンの小型船が収納されていた。

 この小型船は、世界でも一流とされるスウェーデン・メーカー製のガソリン・エンジンを3機備えていた。エンジンの総出力からの推定では、時速50ノット(約93キロメートル)のスピードを出すことが可能であり、競艇のボートのように、海上を滑走できたと考えられている。

 この小型船は工作員の密入出国にも使われていたのだろう。ある北朝鮮の元工作員は「日本への浸透作戦はピクニックに行くようなものだ」と述べているが[a]、世界第6位の長大な海岸線を持つ我が国に、こうした高速の小型船で自在に出入りしていたのであろう。


■7.「現実にはわれわれができることは限られています」

 さて、今回、中国漁船が海保巡視船に衝突してきた尖閣諸島海域に関しては、今回の事件が起こる以前から、海保幹部は次のように述べていた。

__________
 尖閣諸島には、巡視船が一隻、どんなときにも張り付いていなければならないというのが原則です。ですから、必ず24時間体制で船を浮かべているわけです。天候の安定しない海域ですから、それだけでも大変なのですが、毎日何もない海に停まっていることは、乗組員には大きなストレスでしょう。

 一旦何かことが起きれば、責任を追及され大問題になる注目の海域であることはわかっていますが、現実にはわれわれができることは限られています。未来永劫いまの体制で尖閣諸島を守っていけるとはとても考えられません。[1,p38]
 ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄

 この海保幹部は、「われわれができること」として次のように述べている。
__________
 例えば、尖閣諸島に近づこうとする船をわれわれが侵入を防ごうとするとき、もし相手が停戦に応じなければわれわれが現状でできることは相手の船の針路を巡視船を使って妨害することだけです。

 そうなれば相手も進路をさがして蛇行し、その方向にまたわれわれも船を回すといういたちごっこを演ずることとなります。そんな追いかけっこを海上で繰り広げれば、衝突という事故が起きる確率はどうしても高くなります。

 衝突すればたちまち大問題になって大騒ぎです。かといって遠慮していては侵入を防ぐことはできない。もし衝突を回避しながら侵入を防ぐのだというのが命令なら、それは難しいと答えるしかありません。[1,p48]
 ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄

 しかし、北朝鮮の工作船なら口径40ミリのロケット・ランチャーや、射程距離5千メートルの地対空ミサイルまで装備している可能性がある。それを「相手の船の針路を巡視船を使って妨害すること」しかできない、となれば、機関銃を持ったギャング相手に素手で体を張って進路を妨害するのと同じである。いつ、蜂の巣にされても不思議はない。我が海上保安官たちは、そのような理不尽な危険に身を曝(さら)しているのだ。

 この事件で、工作船に対してRFS(Remoto Firing System)20ミリ機関砲で全弾命中させ、しかもそのビデオを即坐に国内外に公開し、さらには沈没した工作船を引き揚げしてまで、北朝鮮の工作であるという物証を国内外に見せつけたことは、北朝鮮の工作船活動に対して、大きな抑止力となったはずだ。

 もはや北朝鮮工作員たちも「日本への浸透作戦はピクニックに行くようなものだ」とは思わなくなったろう。このような抑止力が高まるほど、我が海の安全度は高まるのである。


■8.「未来永劫いまの体制で尖閣諸島を守っていけるとはとても考えられません」

 しかし、これまでの努力を一瞬にして無にしてしまったのが、今回の中国船衝突事件であった。

 北朝鮮工作船事件の際には、警告を無視して逃げる工作船の船体に射撃をしている。だから、今回も衝突してきた中国漁船に対して、正当防衛として相手の船体に警告射撃をするぐらいはできたはずである。「政治主導」の決断さえあれば。

 その上で、扇大臣が指示したように、すぐにテレビで国内外に中国漁船の方からぶつけてきた時のビデオを公開していれば、世界に中国船の無法ぶりを見せつけられたはずだ。

 それを民主党政権は証拠となるビデオすら「国家機密」として公開しなかった。さらにせっかく海保巡視船が危険を冒して逮捕した中国船船長を、中国の圧力に屈して釈放してしまった。

 今回の中国漁船は、従来のものよりもかなり大きいこと、現場から特殊な通信を発していた事から、工作船であるとの疑いが持たれている。[2]

 工作船が漁船に扮して、紛争をしかけ、それに対して日本政府が何もできないと分かれば、中国側は次はより大胆に攻めてこよう。それだけ我が国の領海を守る海保巡視船の危険が増す。

「未来永劫いまの体制で尖閣諸島を守っていけるとはとても考えられません」という我が領海防衛の最前線に立つ海防人たちの声に耳を傾けねばならない。

(文責:伊勢雅臣)

書いた人 nippon | comments(0) | - |




海防人(うみさきもり)の戦い(上)(国際派日本人養成講座から)

注)以下はメールマガジン「国際派日本人養成講座」からの引用です。
興味のある方は、メールマガジンを受信すれば、定期的に読むことが出来ます。

□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□

■1.「日本の海で起こっている出来事を見てもらいたい」

 尖閣諸島での中国漁船が海上保安庁の巡視船に衝突し、そのビデオ画像が流出して、多くの国民が現場の様子を直接目にすることができた。

 ビデオを流出させた海上保安官は、弁護士を通じて、次のようなコメントを公表した。[1]

__________
 政治的主張や私利私欲に基づくものではありません。一人でも多くの人に遠く離れた日本の海で起こっている出来事を見てもらい、一人一人が考え判断し、行動して欲しかっただけです。
 ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄

 海は我が国を外国と結ぶ通路であると共に、外国の利害と直接ぶつかり合う場でもある。「日本の海で起こっている出来事を見てもらい」たいとは、そこで体を張って国家の安全と利益を守っている海上保安官たち皆の正直な気持ちであろう。

 海上自衛隊を含め、我が国の海を守る防人(さきもり)たちが、どのような思いで、どのように我々を護ってくれているのか、国民として、その実態を知っておく必要がある。

 今回の事件については、まだ事実が明らかになっていないが、類似の事件として、平成13(2001)年12月に起きた北朝鮮工作船事件がある。これについては、『平成海防論 国難は海からやってくる』[2]に関係者のインタビューを含め、多くの事実がまとまっているので、これを頼りに、我が海防人たちの戦いの現場を見てみたい。


■2.「こんな失敗を二度と繰り返してはならない」

 平成13(2001)年12月22日午前1時10分、年の瀬の深夜、人通りの絶えた東京・桜田門にある海上保安庁・運用司令室に、海上自衛隊からの緊急電が入った。

__________
 海上自衛隊のP−3C機が工作船らしき不審な船舶を一隻発見。現在、奄美大島から約230キロメートルの九州南西沖を西に向かって航行中。
 ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄

 この情報は、直ちに鹿児島に本部を置く第10管区海上保安部に伝えられた。同時に、日本の海を取り巻く全管区にも「直ちに警戒態勢に入るよう」指令が飛んだ。福岡海上保安部所属の巡視船「みずき」の堀井和也船長も、指令を受けた一人だった。[2,p164]

__________
 あの日は2泊3日の勤務明けで家に帰ってゆっくりくつろいでいたのです。すると「みずき」船内の当直から私の携帯電話に「不審船が出現しました。緊急出航です」という連絡が入ったのです。時間は夜中の1時50分頃でした。

 やたらと寒い夜で、雪もちらちら降っていたのを覚えています。その雪のなかを船まで6、7キロメートルの距離を自転車で急行したのを覚えています。間もなく乗組員全員がそろい、午前3時50分ごろには20ミリ砲の弾の装填も終え、すべての態勢を整えて出港しました。
 ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄

 2泊3日の勤務明けの直後にもかかわらず、真冬の深夜、雪のちらつく中を、自転車で駆けつける海上保安官の姿は貴い。

 ちなみに日本全国に68の保安部、保安署が置かれているが、そのなかには巡視船が1隻しかないところも少なくない。その場合は、乗組員たちは、いつ何が起きても、すぐに駆けつけて出航できるような態勢を整えていなければならない。休みで陸にあがった時も、遠出はできない。


■3.「もし本当なら何が何でも停船させてやるのだ」

 堀井船長は、その当時、不審船情報があふれ返っていたので「今回は本当かな?」と思う反面、「もし本当なら何が何でも停船させてやるのだ」と決心していた。2年前に起きた『能登半島不審船事案』で、不審船を取り逃がして、海上保安庁への批判が集中した経験があったからである。

 この事件では、日本漁船の名を偽装した2隻の不審船が、能登半島沖で発見され、海上自衛隊を含め、巡視艇15隻、航空機12機を向かわせる大捕り物となった。

 巡視船は威嚇射撃を敢行したが、不審船は少しも怯むことなく、高速で振り切ってしまった。35ノット(時速65キロ)という高速で走る不審船に、そんなスピードは出せない巡視艇はみるみる引き離されてしまった。

 また、海上自衛隊のP−3C機が荒海を高速で走る不審船の40メートル以内に、相手に当てないように8発ほど爆弾を投下する、という見事な腕を見せたが、正当防衛の場合以外、相手に「危害を与えてはならない」と法律で縛られた自衛隊には、それ以上のことはできなかった。

 不審船は、ゆうゆうと去っていった。海上保安庁には「何で撃沈しないんだ」という非難の電話が殺到した[a]。逆に、社会党の土井たか子党首(当時)は、「相手が発砲もしていないのに、威嚇射撃は尋常ではない」と非難した。

 こんな失敗を二度と繰り返してはならない、という気持ちは、海上保安庁の職員全体が共有していた。


■4.世界第6位の広大な海域を護る

 日本の海は広い。現場に最初に到着した巡視船「いなさ」(長崎海上保安部所属)が不審船を確認できたのは、すでにその日の昼過ぎ、不審船の第一報がもたらされた午前1時から実に11時間を要した。

 我が国の排他的経済水域(EEZ)と海岸線延長は、ともに世界第6位である。ある海保OBは、「現在の海上保安庁には1万2411人が在籍していますが、この人数で世界第6位を誇る広い海を守ること自体に無理があるのです」と言う。[2,p168]

 アメリカのコースト・ガードと比べても、日本の海保一人当たりが受け持っているEEZの面積は、アメリカの約6倍である。韓国のEEZの面積は我が国の約9分の1だが、それでも我が国と同規模の人員1万600人を抱えている。

 しかも我が国の周囲は、北朝鮮、中国、ロシアと係争を抱えた国に囲まれており、たとえば中国は我が国周辺で地球の27周分に相当する海洋調査を行うなど、ひっきりなしに日本の領海・EEZに入り込んでは、怪しい動きを繰り返している。そうした情報がもたらされるたびに、巡視船は現場に急行しなければならない。

 その日は悪天候で、波の高さは4メートルを超えていた。船が波に乗ると、3階建てのビルにのったような感覚であり、逆に波の谷間に入ると、3階から落下するような感覚を覚える。船の揺れも凄まじく、居室の本棚からはすべて本が落ちてしまう。テーブル上に開いた海図すら、しょっちゅうずり落ちてしまう有様だ。

 本庁からの「数時間前にだいたいこの辺りの海域にいた」という電話連絡だけを頼りに現場を目指す。本庁もジリジリして、30分も間を置かずに、「いまどのあたりだ?」「現場到着は何時になる?」と矢継ぎ早に電話が入る。いちいち受け答えしている余裕もないので、堀井船長は担当者の電話をとりあげて「30分しか経っていないのに状況が変わるはずがないだろう!」と怒鳴ったほどだった。


■5.海上保安庁始まって以来の船体への発砲

 12時48分、巡視船「いなさ」がようやく現場に到着した。深夜の出動命令から、すでに11時間が過ぎていた。

 午後1時12分、「いなさ」から工作船に向けて無線機、拡声器による停船命令が日本語、英語、中国語、韓国語で発せられた。同時に汽笛や旗流信号、さらには飛行機からも停戦命令が出された。

 工作船は中国の水域を目指して走り、その先には中国籍と思われる漁船群があった。工作船が日本の領海か、EEZ内にいる間に停戦命令を発していれば、中国のEEZ内に逃げ込んでも、日本側に追跡権が認められる。そのギリギリのタイミングだった。

 工作船は停船命令を無視するだけでなく、「いなさ」の進路を妨害するようにジグザグ走行をしながら逃げ続けた。逃走を諦める様子は微塵も感じられなかった。

 午後2時22分、「いなさ」が射撃警告を開始。15分後には、20ミリ機関砲で上空、および海面への威嚇射撃を行ったが、工作船は一向に動じる様子もない。

 やがて、堀井船長率いる「みずき」など、計3隻の巡視船が次々に現場に到着した。「みずき」が工作船の船影を捕らえたのは午後4時30分。本部からは「『いなさ』に代わって『みずき』が撃て!」と発砲命令が出た。「みずき」船内に一気に張り詰めた空気が広がった。

 午後4時58分、「みずき」は工作船の船体に向けて射撃を開始した。これは海上保安庁始まって以来、初めての船体への射撃だった。

「みずき」には、2年前の能登半島沖での不審船取り逃がしの反省から、高性能のRFS(Remoto Firing System)20ミリ機関砲が搭載されていた。目標物を自働追尾する性能を持っており、これによって揺れる船の上から撃っても、誤って船員を撃ってしまう、という危険が避けられるようになった。

 射手の「全弾命中!」という声が室内に響き渡った。そして「何発撃ちますか?」と聞く。堀井船長は「船が停まるまで撃て!」と命じた。


■6.「驚いたことに工作船の方では少しも慌ててないのです」

 日が陰って暗くなった海に、曳光弾が光の線となって、工作船に降り注ぐ。午後5時24分、工作船が出火した。甲板上でガソリンらしき可燃物に引火したようで、炎が上がるのが確認された。

__________
 火は10メートルくらいの高さまで上がりました。火柱が立つのが見えると、やはり反射的に「救助すべきなのか」と迷いました。それで一応「みずき」だけが放水銃の準備を始めました。[2,p186]
 ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄

 反射的に「救助すべきなのか」と思ったのは、日頃、海難救助にあたっている習性だろう。しかし、救助を求めるような相手ではなかった。

__________
 しかし、驚いたことに工作船の方では少しも慌ててないのです。むしろ落ち着いていて、火が船橋に燃え広がらないようにわざわざ風上に向かって後進し始めました。前進しながらの消化では操舵室に火が延焼する恐れがありますからね。それと同時にTシャツを着た船員が出てきて消火を始めたのですが、その手際が実によくて、あっという間に鎮火してしまったのです。

 彼らの出火への対応を見たときの印象は、「みなよく訓練された船員たちなんだなあ」というものでした。
 ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄

 プロの工作員だから、おそらくは北朝鮮の軍人の中でも特に選ばれた強者たちであろう。


■7.「甲板上でたばこをふかしたり」

 悠然と消火作業を終えた工作船は再び逃走を開始した。巡視船の方は、威嚇射撃を続けながら停船させようと接舷を試みた。「きりしま」が工作船に接したのだが、工作船の船員たちがナイフや棒を振り回して抵抗したため、仕方なく「きりしま」は離舷せざるをえなかった。

 離れていく「きりしま」をみながら、工作船の甲板にいた船員らが、一斉に「万歳」のポーズをした。相手は余裕たっぷりで、甲板上でたばこをふかしたり、「カーラ、カーラ(朝鮮語で「向こうに行け」の意味)」と言いながら追い払うような手振りを見せたりもした。正当防衛でもなければ攻撃できない巡視船を舐めきっていたのだろう。

 工作船はその後、接舷に手間取る巡視船を尻目に、急に逃走のスピードを上げた。巡視船の乗組員の脳裏には、一瞬、能登半島沖の再現になるのでは、といやな予感が走った。

 速度を上げて走る工作船から、しきりに海面に向かって何かが投げ捨てられた。工作船の正体を隠すための証拠隠滅だろう。そして、なぜか今度は急に停船した。すでに午後10時を回り、あたりは真っ暗である。海は大しけで雨も強く降っていた。


■8.工作船からの銃撃

 停止した工作船を挟むように、巡視船「あまみ」と「きりしま」が両側から近づいた。「あまみ」の船体がまさに工作船と接しようとした。

 工作船の船橋にいた一人の男が合図らしきものを送った次の瞬間、船橋後部にあった毛布のかたまりのようなものが突然、ふわりと払いのけられると、その中から数名の男たちが飛び出してきた。

 その男たちは、一斉に巡視船に向けて自動小銃の弾を浴びせかけてきた。夥しい数の銃弾が巡視船に撃ち込まれる中で、ロケット・ランチャーが発射される音も聞こえた。

 銃撃が始まった瞬間、堀井船長率いる「みずき」はちょうど弾の充填のために工作船からおよそ5キロ離れた所に退避していた。そこに報告が届いた。

「あまみ」と「きりしま」が被弾----。

 部下の言葉に堀井船長は、我が耳を疑った。

__________
 私は瞬間的に「そんなはずはない。もう一度よく確認しろ」と命じましたが、すぐに「本当です。間違いありません」との返事が返ってきました。[1,p189]
 ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄

 これはもう本当の戦闘だった。

書いた人 nippon | comments(0) | - |



カレンダー
SUN MON TUE WED THU FRI SAT
   1234
567891011
12131415161718
19202122232425
262728293031 
<< December 2010 >>

Link

Profile

QRコード