このところ愚痴ばかり書いている。
今日も愛車BianchiADVANTAGEで走っていたところ、交差点で指示器もつけずに急に左折してきた車がいて、いわゆる左折巻き込みされるところだった。
一瞬巻き込まれてやろうかと思ったが、わたしのBianchiは旧車のうえ、同じフレームサイズを探すのは一生かかっても難しい。
新しい現行車は買ってもらえるかもしれないが、この旧車は何物にも代え難い。
これまた一瞬の判断で、完璧にブレーキングした次第。
「助かった」と思えよ、アンタ!
パチンコに行く機会が無くなって以来、飲みに出る機会も激減、というかまったく行っていない。
(※私はただ「パチンコをしにいく」という行為は10年来したことがない。「飲みに行ったついで」という口実を作る性癖がある)
このところ仕事が遅いし、9月中は土日すべてが外出する予定で埋まっており、金曜日などはさっさと家に帰りたいという事情もある。
最近の私のイライラ状態を考慮すると、飲酒という行為も一定のストレス解消になっているのだと思う。
家でも多少は飲むが、さすがに翌日
「お酒のない国に行きたい」
と思うレベルにまでは行かない。
外で飲んでいて、酩酊量に達した時点というのは、起きていながら煩わしいことは忘れているし、気は大きくなっているし、そういった状況が精神的にいいのではないか。
学生時代、「お茶の来た道」という特別講義を受講したことがある。
講師の守屋毅先生(故人)が、
「古代、お酒や煙草は日常と違う感覚なることによって、神に近づくためのものだった」
といったようなことをおっしゃっていた。
先生も同じだったように、私も神様に近づく修行を日々ぬかりなくやっているのだが、時々強度なエクササイズも必要みたいだ。