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■ 国際派日本人養成講座 ■
敗戦直後からソ連崩壊まで、朝日新聞はソ連の忠実な代弁者として発言してきた。
■1.我が国の自由民主主義を破壊するプロパガンダ
朝日新聞が「慰安婦問題」での32年も前の「誤報」を認めた事から、新聞、週刊誌、ネットが大炎上している。「誤報」と括弧つきで書くのは、弊誌にはそれが意図的な「誤報」、すなわち政治宣伝(プロパガンダ)だったとしか思えないからだ。
朝日が、慰安婦は日本軍によって強制徴用された「性奴隷」だと誤認し、人道的な観点から謝罪や補償を訴えたのなら、まだ救いがある。その事実誤認が分かり次第、自ら謝罪して、正しい事実を広めようと誠実な努力をする限り。(その姿勢が全く見られないから、大炎上しているのだが)
しかし、仮に朝日が韓国や中国の意向を受けて、誤った事実と知りながら、世界に訴えてきたとしたら、どうだろう。それは意図的な虚報によって、日本の国益・名誉を損ない、中韓を外交的優位に立たせる行為である。
これを世に「売国行為」と言う。しかし、弊誌ではそのような悪罵よりも、確かな事実と自由な言論に基づく議会制民主主義を破壊して、かつてのソ連や現在の中国のような全体主義社会をもたらしかねない危険なプロパガンダであると批判する。
弊誌では、20年近く前から、28号「平気でうそをつく人々」[a]や42号「中国の友人」[b]を初めとして朝日のプロパガンダを批判してきた。「慰安婦問題」に関する「誤報」は、中ソの代弁者として活動してきた朝日新聞の戦後70年の歴史のほんの一幕に過ぎない、と弊誌は見る。
以下、その歴史を振り返ってみれば、この点は明白となろう。
■2.国際共産主義団体コミンテルンに協力した朝日記者
朝日が中ソの代弁者となる予兆は、すでに戦前からあった。朝日新聞記者・尾崎秀實(ほつみ)は特派員として昭和2(1927)年から上海に駐在し、リヒャルト・ゾルゲと親交を結ぶ。ゾルゲはドイツ共産党を通じて、モスクワの国際共産主義団体コミンテルンに所属していた。
尾崎はその後、朝日を退職して近衛内閣の嘱託となり、日本と蒋介石政権を戦わせて共倒れにさせ、ソ・中・日の「赤い東亜共同体」を実現しようとするコミンテルンの方針に協力して、さかんに日本軍の中国大陸進出をけしかける記事を発表した。[a]
その後、ゾルゲは在日ドイツ大使の私設情報官となり、尾崎と緊密な連携をとって、日独の機密情報をソ連に流した。二人は昭和16(1941)年に逮捕されて、死刑に処せられる。
尾崎秀實の所行は、朝日新聞社とは関係のない、あくまで異端分子のものだろうか。当時は、ソ連が誕生したばかりで、共産主義の理想が巧みに宣伝されて少壮軍人や革新官僚などを洗脳していた。
当時の知識人が集まっていた朝日の中にも、ソ連シンパが潜んでいたとしても不思議はない。戦後の朝日の報道ぶりを見れば、尾崎は氷山の一角だった、という事が見えてくる。
■3.朝日の共産主義運動への参加宣言
敗戦から3ヶ月足らず後の昭和20(1945)年11月7日付け一面で、朝日は「国民と共に立たん/本社、新陣容で「建設」へ」という宣言を掲げた。戦争中、軍部に協力した報道責任をとるために、社長以下全重役、編集幹部が辞職し、今後は「あくまで国民の機関たることをここに宣言する」と述べた。
同日の社説では、この「国民」とは「支配者層と判然区別せられたる国民でなければならない。それは一言にして言えば、工場に、職場に、農山村に働く国民のいひである」として、「新聞の担(にな)ふべき究極の使命は、働く国民の間から生まれるべき日本民主主義戦線の機関たることでなければならない」と明言した。
朝日の言う「国民」とは、支配者層と区別された「労働者階級」であり、その「民主主義戦線」とは当時の日本共産党が唱えていた「民主戦線」に他ならない。「共産主義」の言葉こそ隠しているが、これは朝日の共産主義運動への参加宣言であった。
この「宣言」の起草者は、後にマルクス・レーニン主義に強く傾き、毛沢東信奉者となる森恭三であった。戦時中の経営者層の退陣と同時に、尾崎秀實の後継者たちが実権を占めるようになったのである。
■4.サンフランシスコ講和条約への反対
ソ連の代弁者としての報道が本格化したのは、日本が独立を回復したサンフランシスコ講和条約に際してである。当時はすでに朝鮮戦争の最中で、米ソの対立が表面化していた。ソ連は東欧に鉄のカーテンを降ろし、中国大陸を赤化し、今また中国軍を使って朝鮮半島に触手を伸ばしていた。
この講和条約の意味する所は、時の吉田茂政権が、日本は米国を中心とする自由主義陣営に立ってソ連の侵略から国を守る、という道を選択したことであった。[d]
しかし、朝日を中心とする左翼勢力は、これを「単独講和か、全面講和か」という問題にすり替えた。「全面講和」とは、ソ連と共産圏諸国を含めた全関係国との講和という美辞麗句で、現実に米ソが対立している以上、それは実現不可能な空想であり、それではいつまでも独立回復などできない事は明らかであった。
一方の「単独講和」とは、米国を中心とする自由主義陣営との講和であるが、講和に賛成したのは48カ国、反対したのはソ連、チェコ、ポーランドの3カ国だけだったので、実質は「多数講和」である。これを「単独講和」と呼ぶのは、日本国民に国際社会の現実を見せまいとするプロパガンダそのものであった。
朝日は、講和会議でのグロムイコ・ソ連首席全権の発言をそのまま伝えている。
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日本は米国の軍事基地に転換されつつある。対日講和条約の目的は米軍を日本に駐在させることにあり、米国は「老練な戦争誘発者」たるダレスの指導下に「侵略者の連合組織」を打ち立てようとしている。[1,p69]
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「全面講和」などという日本人の琴線に触れる虚構で、ソ連にとって好都合な世論誘導をしてくれる、まことに得がたい代弁者が登場したのである。
■5.「日本を他国の戦争にまきこむ危険」
米ソ対立の中で、日本の進路の第二の岐路は「60年安保闘争」であった。これは日米安保を、単に米軍に基地提供するだけの条約から、日米共同防衛、また在日米軍の配置や装備に関する両国での事前協議など、より対等の同盟に近づけようとする改訂であった。
これに関して、朝日は昭和34(1959)年10月9日付けの社説「なお消えぬ安保改定への疑念」で次のような主張を展開した。
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核兵器の持込みを含む、在日米軍の装備の重要変更と日本領域外における作戦行動は、これを「事前協議」するとしているが、なぜこれを単なる協議でなく、同意を必要とすると明記できないのか。・・・
「事前の協議を」を必要と認めた政府が、日本の安全を第一に考えなければならない安保条約に、日本を他国の戦争にまきこむ危険をもつ、日本領域外の米軍の作戦をどうして認めようとするのか。[1,p80]
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「日本を他国の戦争にまきこむ危険」とは、前節のソ連による「日本は米国の軍事基地に転換されつつある」と同じ見方である。そこには、ソ連の侵略からどう国を守るか、という視点が欠落している。以後、この「捲き込まれ論」は日米同盟反対の一つ覚えの論法として繰り返される。最近の集団的自衛権での騒ぎでも同様である。
朝日の主張するように、もし在日米軍の作戦行動に日本の同意を必要とするとしたら、いかなる作戦行動であろうと、社会党が国会でごねて在日米軍を一歩も動かせなくなる。ソ連から見れば、在日米軍の動きを阻止する上で、実に効果的なくびきとなったろう。
■6.ソ連軍事増強よりも「我が国の防衛力強化」を懸念
昭和50年前後には中国はソ連と対立するようになり、日米接近を図った。ここで朝日は親中派の広岡知男社長の旗振りで「日中友好」に大きな役割を果たしたが、これについては後編に譲る。
昭和52(1977)年に、モスクワ特派員の経験もある親ソ派・秦正流が専務取締役編集担当となると、ふたたび親ソ派が社内で実権を握った。そして「ロシア・ソビエト国宝絵画展」「全ソ民族舞踊アンサンブル」「建国60周年記念ソビエト連邦展覧会」「ロシア美術館名品展」「ソビエト映画フェスティバル」と親ソ行事を次々と主催または後援して、ご機嫌取りに奔走する。
昭和54(1979)年10月初め、ソ連が日米中の接近を威嚇して、国後、択捉島に5、6千人の約1個旅団と約50両の戦車などを配備したと防衛庁が発表すると、朝日は「もはや軍事力を背景にして、外交を展開する時代ではないのではないだろうか」と、まるで他人事のような前置きをした後、こう言い切った。
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われわれは、今回のソ連側の動きに対して、国内で不必要な反応が生じることも防がねばならぬ。・・・ 今回のソ連軍基地増強が、我が国の防衛力強化論につながるおそれがあるからだ。[1,p130]
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朝日にとっては、ソ連の軍事基地増強よりも、日本の防衛力強化の方が危険のようだ。ソ連から見れば、そうに違いない。
ソ連は日本側の世論工作のためか、同月末にノーボスチ通信社社長一行を派遣し、朝日新聞東京本社を訪問させた。中江編集局長が対談で、北方領土の軍事力増強について質問すると、トルクノフ社長はこう答えた。
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それらの情報は周知の通り、米国の軍事筋によってあおられたものであり、明らかに一定の目的を追求している。・・・いわゆる「ソ連の軍事的脅威」についてのペンタゴンのグローバルな宣伝キャンペーンだが、実際には存在せず、それを隠れ蓑にして米国と日本をふくむその同盟国の軍事力の増強が行われている。[1,p132]
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自国に脅威を与えている軍事増強に対して、中江編集局長は食い下がることもせずに、このトルクノフ社長の発言をそのまま記事にして流した。まさにソ連の忠実なる代弁者であった。
■7.ソ連の「立場を正しく理解することが必要」
昭和56(1981)年に、日本政府が2月7日を「北方領土の日」と定めると、朝日は猛烈に反対した。
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・・・東西の緊張が高まり、内外に右旋回が著しくなるなかで、「北方領土の日」をテコとした国民運動が誤った方向にねじ曲げられたら、所期の目的を達せられなくなるおそれがある。・・・いたずらに「ソ連脅威論」であおったり、右傾化のバネに利用してはならない。[1,p145]
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相変わらず、ソ連の脅威を論ずることは「右傾化、軍事力強化のテコ」という論法である。同時に、相互信頼の確立に不可欠なのは、北方領土に対するソ連の「立場を正しく理解することが必要」として、こう力説する。
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ソ連は第二次大戦において、世界で最も大きい人的、物的被害をこうむった。それゆえに第二次大戦の結果にソ連がこだわるのは、決して理由のないことではないのである。北方領土問題は、ソ連にとって国際法の問題というよりは、多くの犠牲のもとにえた結果を失えぬという、国益と感情問題なのである。[1,p148]
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史実を見れば、ソ連が第二次大戦で受けた被害のほとんどはドイツとの戦いによるものであり、北方領土は終戦間際に我が国との中立条約を踏みにじって、武力で奪ったものだ。この点での自国の「国益と感情」を押し殺して、ソ連の「国益と感情」を「正しく理解せよ」と説くことは、筋金入りの代弁者でなければ言えないセリフだ。
■8.ソ連崩壊で代弁者の豹変
ソ連は平成3(1991)年に崩壊し、新たな連邦「独立国家共同体」に生まれ変わった。
これは西側諸国との軍拡競争でソ連経済が耐えきれずに崩壊した結果であった。極東においては、自衛隊と在日米軍がソ連軍と対峙し、その消耗を加速させた。朝日のいままでの論調と正反対に、日米同盟と自衛隊強化が、ソ連という最大の軍事的脅威を取り除いたのであった。
ソ連の忠実な代弁者だった朝日は、この事態に豹変する。同年8月25日付け社説はこう述べた。
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「自由な共和国による揺るぎない連邦」。スターリンの時代以来、ソ連の指導層は自国をこうたたえてきた。それは建前にすぎず、実はどの共和国も、共産党とそれが支配する軍、KGB(JOG注:秘密警察)などの「鉄の腕」に締め上げられてきた。・・・
新連邦条約は何より、忌まわしい過去を清算し、これまで建前に過ぎなかったものに実質を与えるものでなければならない。[1,p163]
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「鉄の腕」「忌まわしい過去」とは、よくも言ったり。代弁者は、落ちぶれた依頼人を、手のひらを返したように見捨てた。しかし、朝日の代弁者としての本質は変わらない。
今度は新しい依頼人、「中国」のために奔走するようになる。
(以下、次号。文責:伊勢雅臣)