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英霊たちの帰国(国際派日本人養成講座から)

注)以下はメールマガジン「国際派日本人養成講座」からの引用です。
興味のある方は、メールマガジンを受信すれば、定期的に読むことが出来ます。


■ 国際派日本人養成講座 ■

 英霊たちの帰国

 平和に栄える祖国を見ようと、65年ぶりに帰還した英霊たちを待っていたのは、、、

■1.英霊たちの帰還

 8月15日午前1時12分、東京駅地下ホーム。最終電車が出た後に、軍用列車が入ってきた。列車から出てきたのは、先の大戦で南の海に玉砕し、海の底に沈んだ英霊たちのぼろぼろの姿だった。

 ホームに一斉に並んだ英霊たちは点呼の後で、部隊長・秋吉少佐から訓示を受けた。

__________
 休めッ。休んだまゝ聞いて欲しい。

 現時刻は昭和85年8月15日。マルヒトヒトロク(01時16分)。現在地は東京駅ホームである。

 今から65年前の本日正午。我等が祖国日本は、畏れ多くも(一同直立)天皇陛下の大詔(たいしょう)を拝し、萬斛(ばんこく)の涙をのんで無条件降伏を余儀なくされた。休め!(一同休メの姿勢に)爾来(じらい)65年の星霜が流れたわけである。

 この65年。敗戦の責を負う我々帝国軍人は、故国に残した家族、友人、子孫に対し、合わす顔なき英霊として南の海に漂ってきた。

 しかし。祖国は逞しく蘇り、我等の悲願した平和国家を世界に誇るまでに再建したと聞く。

 本日我々の帰還した目的は、僅かな時間乍(なが)ら、その平和を目の当たりに目撃し、かの海にまだ漂う数多(あまた)の水漬(みず)く魂に、以って瞑すべしと伝えることである。

 今から解散、自由行動をとるが、敗れたりといえども諸君はよく英霊としての軍紀を遵守し、民間人に不要な接触、或いは姿を見せる等の恥ずべき行動をとってはならない。

 集合時間はマルヨンマルゴ。場所は現在地。軍規に反したものは置いていくことになり、英霊としての籍も剥奪される。

 では、僅かの時間だがそれまでの間、心おきなく故国の姿を各自充分に見聞することを祈る。以上!
 ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄


■2.大宮上等兵と妹あけび

 帰還した英霊たちの一柱、大宮鉄次上等兵は、大正8年岩手県八戸郡遠野村に生まれた。父母を幼い時に亡くし、妹あけびと親戚をたらい回しにされたあげく、東京・浅草の見世物小屋の客引きをしていた。以来、ヤクザとの出入りに駆り出されて、負け知らず。

 その後、徴集され、2等兵として北支やラバウルに従軍したが、上官を殴るなど問題を起こしては、本国に送還された。昭和20年6月9日、秋吉大隊の一員として、沖縄に向かう途中、輸送船が撃沈され、行方不明。戦死と認定された。享年26才。

 大宮は、妹のあけびを訪ねた。すでに老女になっていたあけびは都内の病院にいた。意識はあるが、体中の筋肉が動かず、5年以上、人工呼吸器で生かされていた。

 あけびには、一人息子の健一がいた。浅草オペラ館で踊り子をしていた際、熱烈なファンだった帝大生が学徒動員で出征する前夜、体を捧げて授かった子どもだった。

 あけびは戦後、進駐軍の米兵士の囲い物になったり、飲み屋で働いたり、地方周りのストリッパーをしながら、健一を育てた。

 その健一は、すでに65歳。大学教授となり、金融問題の専門家としてテレビに出たり、政府の財政顧問として活躍していた。夫人とその両親、長男夫婦と田園調布で幸せに暮らしていた。

 しかし、あけびの病院には、治療費は送ってくるものの、ほとんど見舞いには来ない。大宮上等兵は、妹のあまりの変わりように、ベッドのそばの椅子に座ったまま、動けなくなっていた。


■3.「大好きな鉄次兄ちゃんもきっとあっちで待っているわ」

 隣の病室に茜(あかね)という少女がいた。あけびがこうなる前から親しくしていて、年中、遊びに来ていた。あけびの頬っぺたの筋肉がまだかすかに動いた時、ボードを使って交信していた。あけびは、ボード交信もできなくなったら、死なしてくれるように病院に伝えてくれ、と何度も茜に頼んだ、と言う。

 大宮上等兵が椅子に座っている時に、その茜が部屋に入ってきた。茜には大宮の姿は見えない。

__________
 おばあちゃん。聞こえる。私の云うこと判る? 私ね、約束を果たしに来たの。あばあちゃんに云われてたあの約束。

 人口呼吸器止めてあげるからね。怒られたってヘッチャラよ私。だって私ももうじき行くンだもン。待っててね。天国の入口で。

 きっとあっちは良いとこよ、とっても。あばあちゃんの大好きな鉄次兄ちゃんもきっとあっちで待っているわ。
 ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄

 大宮は、涙をポタポタ流しながら、何度も何度もうなづく。

 茜は機械のダイヤルを回し、「もうじき又逢えるわ。それまで。サヨナラ」と部屋を出て行った。

 大宮は最敬礼で、茜を見送った。「ありがと! お嬢ちゃん! 感謝する! ありがと!」

 大宮はあけびを抱きしめた。


■4.「これで漸く、肩の荷が下りた」

 病院からの電話で、健一は母親の死を、財務総合研究所のオフィスで知った。深夜だったが、スクリーンいっぱいに世界の株式市場の動向が映されていた。

 健一は秘書の小泉に電話して、適当な斎場を手配して、密葬の段取りをするよう指示した。「俺はもちろん、ちょっとは顔を出す」

 甥の受け答えをそばで聞いていた大宮上等兵は、怒りで体中の血が煮えたぎった。しかし、ここで事を起こしたら、南の海の底にも帰れなくなって、本当に今度こそ行き場がなくなる、と必死に自分を抑えた。

 健一は妻にメールを打ち始めた。大宮はそばに寄り、メールの中身をのぞき込んだ。

__________
 おふくろが死んだ。朝になったら正彦たちに知らせろ。

 小泉に連絡して後の処置は頼んだ。大仰にする必要、全くなし。余所には洩らさず、密葬ですませ。

 子供らはそれぞれ受験勉強があるから。出なくてよろしい。

 これで漸く、肩の荷が下りた。
 ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄

 最後の一文で、大宮の堪忍袋の緒が切れた。訳も分からないうちに、その右手は腰の牛蒡剣(ごぼうけん)を引き抜き、健一を刺した。


■5.「あんまりじゃないか君。あんまりじゃないか」

 大宮は不思議と後悔は湧かず、今日初めて見た自分の甥に静かに語りかけた。

__________
 なぁ君。俺たちは戦ったんだ。

 軍隊の中で、叩かれいじめられ、懸命に耐えて戦地に送られ、−−輸送船の中で爆撃を受け、敵の顔も見ずに海に投げ出され、うねる海上で板きれにつかまって水も食い物もなく波に翻弄され、戦友がどんどん溺れて行く中で、たった一人で海の上にいた。

 それでも俺は6日間生きた。お天道様が上がるのを6回、目にした。その6日間俺が波の中で、何を考えてがんばったか判るか。

 浅草の景色だ。六区の賑わいだ。オペラ館で踊るあけびの姿だ。

 なあ君。君の知っているおふくろの肌はしわが刻まれて醜いのかもしれない。だがそのしわは、君の為に、君を生かす為に刻まれたしわだ。君の生まれる前その肌はピチピチと、青春の光に輝いていたんだ!

 俺があの海で、最後に夢想し、その後の歳月もずっと夢見てきた、日本の平和の姿っていうのは、−−こういう残酷なものだったのかい。

 あんまりじゃないか君。あんまりじゃないか。
 ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄

 大宮上等兵の目から涙が噴き出した。


■6.「俺たちは今のような空しい日本を作る為にあの戦いで死んだつもりはない!」

 午前4時、東京駅。英霊たちが再び集合し、点呼をとっていた。英霊たちは現在の日本を見て、それぞれの悲しみや失望を味わっていた。

 大宮上等兵の姿はその中にはなかった。報告を受けた秋吉部隊長は、こう聞いた。

__________
 戦後65年、日本はあの敗戦から立ち直り、世界有数の豊かな国家として成功したんじゃなかったのか。家族をかえり見ぬ人間達の社会が、それでも豊かと云えるのか?

 俺たちは今のような空しい日本を作る為にあの戦いで死んだつもりはない!

 俺たちの仲間、海に沈んだまゝの英霊は、30万体を越えている。俺たちの唯一のささやかな愉しみは、うねりの強い人気(ひとけ)のない夜、海面に浮き上がって月を見ることだ。

 月を見ながら故国のことを想う。あの月の下で俺たちの子孫は、倖せな眠りを眠っているだろうか。家族の寝息がきこえるだろうか。
 そして時折悲しい過去を−−その為に死んだ俺たちの世代を、思い出し感謝して、いや! 感謝などしてくれる必要はない。思い出してくれゝばそれで充分だ。

 そう思うことを心の支えにし、冷たい海底に又沈んでいく。そうして65年を過ごした。無残に戦死したあのまゝの心で、ひたすら故国の倖せを祈っている。
 ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄

 しかし、その英霊たちの祈りを、現代の日本人はほとんど忘れ去っている。大宮上等兵の甥・健一のように。

 秋吉部隊長は「出発!」と命じた。大宮上等兵の為に、葬送ラッパを吹かせながら。


■7.「僕はどっかでまちがっちゃったンです」

 大宮上等兵は、靖国神社の鳥居の下にぽつりと立っていた。そこに既に死の世界に入った健一が現れた。

__________
 おじさん。さっきから考えていたンですが−−。僕はどこでまちがってしまったンでしょう。最初の頃はちがったンです。最初はおふくろを大事にしてた。何より一番大切に思ってた。

 僕の為に散々苦労したおふくろを、楽にしてやりたい、倖せにしてやりたい、その為に必死でがんばったんです。がんばって来たつもりで−−。ずっと。−−いたンです。それが−−どこで僕はまちがってしまったンでしょう。

 小学校の頃おふくろに連れられて、初めて食べたラーメンの旨さを、−−今でも突然思い出します。こゝのはおいしくて量が多いよ、って僕の耳元でおふくろが囁いた。

 僕はおふくろにあぁいうラーメンを御馳走できる身分になりたかった! その為にがんばって。−−がんばってるうちに、そういう初心からどんどん離れた。僕はどっかでまちがっちゃったンです。
どこでまちがったンでしょう。
 ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄

■8.「大丈夫もうよぅく判っているよ!」

 鉄次は、健一に近付いて、いきなり殴った。健一はすっとび、折れた歯を押さえて苦悶した。

「あけびの代わりだ。痛かったか。悪かった。すまねぇ。昔のクセが出ちまった」

「イエおじさん−−僕は−−嬉しかったです。−−久しぶりに、急に−−目が醒めた気がします。」

「目が醒めたンなら一つだけ覚えとけ! −−恥を知れ。人間としての恥を知れ。おふくろンとこへすぐとんで行け! とんでいって、キッチリ謝って来い。」

 そこにあけびの声がした。「許してやってもう。鉄次兄ちゃん! その子、元々やさしい子なンだよ! 大丈夫もうよぅく判っているよ! ありがと兄ちゃん。とっても嬉しいよ」

「どこにいるンだ、あけび。出てきて兄ちゃんに面を見せろ!」という大宮に、あけびは泣き笑いながら、「いやだよ兄ちゃん。兄ちゃんは若いままなのに、私はトシとってしわくちゃなんだもン」

 雀の声が聞こえてきた。朝の東京の喧噪が始まった。階段を駆け下りるサラリーマンの足音。駅のアナウンス。

(文責:伊勢雅臣)




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