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6月の声を聞くと

この季節が来ると、思い出すのは、平成2(1990)年6月8日のこと。
プロレス好きな人なら、すぐピンと来ると思うが、三沢光晴が初めてジャンボ鶴田からピンフォールを取った日である。

当時は地上波でも放映があったし、解説上手の若林アナがいて、全日本プロレスは盛り上がっていた時期だった。
衛星放送が認知されているとはいえ、現在のプロレスの置かれている環境を見ると、プロ野球ほどではないが、地上波の有無は決定的に違うことを感じさせられる。
当時、私も少し年上の三沢に触発されて、何かやることはないかと思い、
「フルマラソンを走ろう」
と無謀なことを思い立ち、翌年から3年間、何とか完走した。
スパルタンXのテーマは、死ぬまで忘れないだろう。

それから19年経った同じ季節に、三沢は亡くなった。
この間、三沢の師であった馬場、乗り越えた壁の鶴田という全日本プロレスの象徴であった二人も逝っている。

三沢の死後、ノア発足に至る間の彼らしいエピソードが、後から出されてきている。
加えて、落下技全盛の時代を生きてきた彼の体がとっくに限界を超えていたことも。
「リング上の「事故」」とされているが、ある意味必然ではなかったか? とも思う。

三沢がいなくなってから、2年経った。
5つ年上の三沢の享年に近づきながら、私は生きている。
書いた人 nippon | comments(0) | - |




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