注)以下はメールマガジン「国際派日本人養成講座」からの引用です。
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親学のすすめ(下)乳幼児編
〜 母の愛で子は育つ
「ぼく、生まれてきていけなかったの?」と3歳の子は母親に聞いた。
■1.「ぼく、生まれてきていけなかったの?」
「ぼく、生まれてきていけなかったの?」と3歳になる息子が、布団の中で、突然、母親に聞いた。母親は驚いて
「えっ、どうして、そんなことを言うの」と聞き返した。息子はこう
答えた。
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だって、お母さんはいつも言っているよ。子どもを育てるのは大変
だって。友達といつも電話で話しているよ。
子どもがいて、自分の自由な時間がないって。ぼく、お母さんに迷惑をかけているの?
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62歳になる祖母は、娘である母親からこの話を聞いて、孫がかわいそうで涙が止まらなかったという。
現代の子育ての難しさを象徴するエピソードである。
米国の精神分析学者E・H・エリクソンは、乳児期の発達課題を「基本的信
頼」と呼んだ。「自分は見捨てられていない」「ここにいていいんだ」「自分には価値がある、受け入れられている」という基本的な信頼感を、乳幼
児は求めているのである。
■2.「しっかり抱いて、下に降ろして、歩かせろ」
『ちょっとだけ』(瀧村有子作・福音館書店)という絵本がある。
「なっちゃんのおうちに、赤ちゃんがやってきました」と、お話しは始まる。
主人公のなっちゃんは、まだ幼くてお母さんに甘えたいのだが、赤ちゃんが生まれて、ママはとても忙しい。
だから、なっちゃんは一生懸命、自分で自分のことをしようとする。
ミルクをコップに注いだり、髪をとかして二つにしばったり、まだ上手にはできないが、「いつもママがやってくれるのをみていたので、ちょっとだけ成功しました」と繰り返される。
最後に「ちょっとだけ抱っこして」というなっちゃんに、「ちょっとだけ?
ちょっとだけじゃなくて、いっぱい抱っこしたいんですけど」と答えるママの愛情が、なっちゃんを安心させ、自分のことは自分でしてママを助けたい、という気持ちにさせる。
「自分には価値がある、受け入れられている」という基本的信頼があればこそ、幼児は甘えたい気持ちを自制し、独り立ちに向けて、成長していけるのである。
「しっかり抱いて、下に降ろして、歩かせろ」という子育ての言い伝えが我が国にはあったそうな。
エリクソンの説に従えば、「しっかり抱いて」があればこそ、子供は「下に降ろして、歩かせろ」の次の段階に進める、と言えよう。
■3.母親への愛着が精神的発達の基盤
エリクソンの「基本的信頼」の考え方は、英国の精神医学研究者ジョン・ボルビーの「愛着理論」に通ずる。
イギリスの精神医学の研究者ジョン・ボルビーは、44人の非行少年の生い立ちを丹念に調査したところ、その子供たちは例外なく幼児期、6歳ぐらいまでの間に親に捨てられていた。
そこでボルビーは、親に捨てられるという別離体験が、思春期の子供の行動系をゆがませるという説を打ち出した。これが「愛着理論」の出発点となった。
子どもの健全な精神的発達のためには、少なくとも一人の養育者との親密な関係が必要であり、それが欠けると、子どもは社会的、心理学的な問題を抱えるようになる。
逆に、養育者を信頼し、愛着への欲求を満足している場合は、幼児は不安を忘れ、自分の遊びに集中したり、周囲のものに好奇心を抱く。これが幼児の知能的な発達をもたらす。
こうした説をボルビーが小児科医らに紹介すると、彼らは「3歳までの子供は親と一緒にいることが大切」と賛同し、乳児院や小児病棟に母親の付き添いや担当保母の制度を導入するなど、大変革を起こした。現在、愛着理論
は世界的に定着している。
松山市の小学生たちが親に対する気持ちを詩に詠んでいる。
「母がいる、そばにいる、それだけですごくうれしい」(小学校6年生)
母親への愛着を満たされた子供の幸福感がよく感じられる詩である。
こうした子供は、母親のために何かやってあげたいと思うようになる。
「大好きなお母さん、おぶるのぼくの夢」(小学校3年生)
他者への感謝や思いやりというという人間らしい心は、まずは母親からの愛着の欲求を満たされた所から始まる。
■4.「三つ子の魂百まで(も)」
最近の脳科学は、3歳までに脳の神経細胞の6割ができあがる事を明らかにしている。
脳の各部は「言葉を話す」など、いろいろな機能を受け持っているが、それぞれの部分が発達する「臨界期」があり、その時期を外すとその機能は発達しなくなる。
1920(大正9)年にインドで、オオカミに育てられた8歳ぐらいの少女が発見された。
オオカミと同じように手と膝をついて歩き、皿に口をつけて食べ、夜になると遠吠えをした。
17歳まで生きて、なんとか2本足で歩けるようにはなったが、覚えた言葉は40語足らずだった。
通常の3歳児だと9百語ほど覚えるが、ちょうど言葉を覚える臨界期にオオカミと生活していたために、その後でいくら教えても、言語能力が発達しなかったのである。
逆に、アメリカに14歳で医学部の大学生になった子がいる。
父親が日本人、母親が韓国人で、知能指数は200もある。その妹も同様だという。親は生後8カ月から毎日、10冊ぐらいの本を読んで聞かせたそうだ。
脳が育つときに、大量の読み聞かせをすることによって、人の話を理解し、
自らも考え
る能力が発達する。
言語能力や思考能力だけではない。思いやりや共感など、他者との関係を築く能力は、母親がにっこり微笑み、
子供も応えて笑う、という情感のキャッチボールから育っていく。
「三つ子の魂百まで(も)」という言い伝えもある。3歳までに身に
つけた心は百歳になっても変わらない、という意味である。
かつては、こうした3歳までの教育の重要性を、「女性を育児に専念させ、家庭に縛り付けるための3歳児神話」だと否定する考え方もあったが、現代の脳科学はこの「神話」が、実は真実であることを証明しつつある。
■5.世界のよろこび、感激、神秘を分かち合う大人が必要
人との共感能力、知的能力と並んで、自然の美しさを感じたり、その不可思議さに驚く感性も大切だ。1960年代に環境保護運動のきっかけを作ったアメリカの生物学者レイチェル・カールソンは、自然の美しさ、神秘を感じ取
る感性を、「センス・オブ・ワンダー」と呼んで、こう説いた。
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生まれつきそなわっている子供の、センス・オブ・ワンダーをいつ
も新鮮にたもちつつづけるためには、わたしたちが住んでいる世界のよろこび、感激、神秘などを子供といっしょに再発見
し、感動を分かち合ってくれるおとなが、すくなくともひとり、そばにいる必要があります。
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こんな話がある。ある日の夕方、母親は来客の接待のため、台所で支度をしていた。
そこに小学生の子供が飛び込んできて、興奮しながら母親にこう言った。
「お母さん、お母さん! 夕焼けがすごくきれいだよ。ねえ、見に来てよ」
母親は、子供にこう答えた。
「まあ、そうなの。お母さんも見たいけれども、今お客さんで見られないの。だから、お母さんの分まで見てきてね。」
子供は、「うん」と言って、また外に飛び出していった。そして、夕焼けの様子を後でお母さんに話そうと思って、頭の中にしっかり焼き付けた。
こんなお母さんなら、後で、子供が一生懸命に話す夕焼けの美しさを真剣に聞き入ったろう。そうした感動を分かち合ってくれるくれる母親の存在が、子供の感性を伸ばすのである。
逆に、母親が「今、忙しいんだから、夕焼けなんて見ている暇はないの」と子供に答えたら、どうなるか。自然の美しさ、不可思議さには、無頓着な人間に育っていくのではないか。
■6.「子育てを負担に思う」が8割超
乳幼児の精神的、知能的、感性的な発達に、母親の存在がいかに重要である
か、が科学的にも明らかになってきたわけだが、この事は同時に、母親としての責任の重さを示している。
最近の厚生労働省の調査では、「子育てを負担に思う」と答えた親が8割を超している。その第一の理由は、自分の自由時間が奪われるから、というのである。
30年ほど前の昭和56(1981)年のアンケート調査では、子育てを負担に思う親は10%だった。
10年前の平成12(2000)では、まだ30.8%だった。
外で働く女性が増えると共に、育児との両立に悩む母親が増えているのである。
母親の意識も大きく変わっている。平成4(1992)年の出生動向調査では「子供が小さいうちは、母親は仕事を持たずに家にいるのが望ましい」と答えた人が88%もいた。
それが10年後の平成14(2002)年にベネッセ教育研究所が行った母親調査では「『3歳までは母の手で』という意識がとても気になる」と答えた人は25%しかいなかった。
同じ調査ではないので単純な比較はできないが、「3歳までは母の手で」という意識が薄れ、子育てになるべく手間をかけたくない、という意識が母親に広まっているようだ。冒頭に紹介した「子育てで、自分の自由な時間が
ない」とこぼす母親は、その典型である。
■7.「子育てはすごく楽しい」
一方、こんな興味深いデータもある。平成15(2003)年に厚生労働省が未就学児童を持つ全国2千世帯を対象に行った「子育て支援に関する調査」では、「子育てはすごく楽しい」という回答を、父親の77%、母親の68%
が行っている。
その理由として「付き合いがひろがった」「子供から学ぶものが多い」「自分の存在がかけがえのないものだと思えるようになった」などが挙げられている。
子育ては大変であるとともに、楽しいものである、というのは、家庭における食事を例に考えてみれば、分かりやすいだろう。
食事の準備をするのは主婦にとって、手間暇もかかり、自分の自由な時間を奪われる苦役だと考えれば、家族ばらばらにコンビニで好きなファーストフードを買ってきて、好きな時間に食べるのが、最も効率的だということになる。
しかし、それでは母親が家族のために愛情を込めて作った手料理を皆でいただく一家団欒の幸せや、それをもたらした母親の喜びは失われてしまう。
子育ても同じだ。たとえば、赤ちゃんが数回おしっこをしても、取り替えなくても良い、というハイテク紙おむつが売られている。それだけ母親の手間が減らせ、赤ちゃんを放っておける時間ができるというわけである。
アフリカのある地域では、赤ちゃんをおむつもせずに袋に入れて、ショルダーバッグのように首からかけて、片時も肌身離さずに育てる。赤ちゃんがオシッコをしたくなったら、母親にはそれが分かるので、袋から出して用を
させるのである。
育児で保育園というコンビニを使い、ハイテク紙おむつなどでファーストフード化しては、手間暇をかけて、その喜び楽しみを味わうというプロセスが無くなってしまう。それは子供にとっても、親にとっても、重大な不幸なのである。
■8.子育ては「興国の大業」
とは言え、働かなければ生活していけない母親も少なくないし、核家族で育児を相談できる相手のいない母親も多い。
母親が育児に専念できるような社会の支援が必要である。
ノルウェー、フィンランド、デンマークなどでは「在宅育児手当」を支給し、親の「子育てをする権利」を保障する政策の充実を図っている。
日本は保育所の整備など、母親が「家庭を離れて働ける事」を支援している
が、それよりも「3歳までの子を持つ母親が働かなくともよいよう」に支援をした方が、子供の健全な成長にははるかに効果的であるし、母親として
の幸福にもつながる。
また、保育所も子供を預けっぱなしにするばかりではなく、母親が幼児を連れてきて、子育てのポイントを学んだり、母親どうしが交流できるような場にしていく、という方策もあろう。
さらに、若い母親のために、育児経験の豊かな熟年女性が「お祖母さん」のかわりになって、助言したり手伝ったりする、という仕組みも考えられる。お祖母さんがいるのは、他の動物にはない人間だけの特権なのであ
る。
育児とは、次世代の立派な国民を育てるという「興国の大業」であ
る。
子育てに失敗した国に未来はない。国をあげて、子育てをしている母親を支えるべきである。