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平和ボケを治す道(国際派日本人養成講座から)

注)以下はメールマガジン「国際派日本人養成講座」からの引用です。
興味のある方は、メールマガジンを受信すれば、定期的に読むことが出来ます。


■ 国際派日本人養成講座 ■

Common Sence: 平和ボケを治す道

米国務省日本部長が見た「平和ボケ」ニッポン。


■1.大震災でも「石橋を叩いても渡らない」

「沖縄はゆすり、たかりの名人」と発言したとする共同通信記事で、米国務省日本部長を更迭されたケビン・メア氏が自ら職を辞して、反論に立ち上がろうとした3月11日、東日本大震災が東北地方を襲った。

メア氏は国務省の対日支援タスクフォースのコーディネータに任命され、しばし辞職を思いとどまった。そして対日折衝の矢面に立って活躍したのだが、その過程でこんな思いを吐露している。

『歯に衣着せぬ言い方をすれば、日本は危機管理に弱くなっていると思います。その病巣はおそらく「平和ボケ」が治っていないことではないかと推測しています』


たとえば、原発事故で米国として日本に提供できる品目のリストを送ったところ、日本政府から返ってきたのは長々とした質問リストであった。たとえば、支援リストには無人ヘリが入っていたが、その性能や特徴に関する細かな質問や、放射能で汚染された場合の補償はどうなるのか、といった問い合わせであった。

『とにかく、震災・津波・原発事故処理という“戦争”に勝たねばならないのに、この期に及んでなお「石橋を叩いても渡らない」かのような平時のお役所仕事がまかり通っていました。米国側の支援リストに対する問い合わせをめぐるやりとりで、およそ二間が空費され、その間、われわれは何が必要なのか早く決めてほしいと言い続けていました。・・・
つまらない問い合わせの最中も、放射能は漏れ続け、陸も水も空も汚し、大地震と大津波を生き残った被災者たちは避難所で寒さと飢えに苦しんでいたのです』

■2.米政府の菅政権に対する不信感

平和ボケはお役所だけではない。危機にあたって官僚を使いこなすべき政治家自体が平和ボケに冒されていた。

「米政府の菅政権に対する不信感は強烈といってもよいものでした」とメア氏は語る。特に、自衛隊のヘリ一機がようやく日本時間17日午前、3号機に散水したが、その光景を見た米政府のショックは大きかった。

『日本という大きな国家が成し得ることがヘリ一機による放水に過ぎなかったことに米政府は絶望的な気分さえ味わったのです。・・・
いわば、菅首相の政治的パフォーマンスとしかわれわれには見えませんでした。・・・それでも、首相のパフォーマンスと知りながら、命令とあれば命を賭けて作戦に赴いた自衛隊員たちには敬意を表したいと思います。あの日、危険な任務に出撃した自衛隊員はまさに「武人の誉れ」でした』

国家的危機からいかに国と国民を護るか、ということよりも、政治的パフォーマンスで自らの立場を護ろうとする人間が、首相になっていた。そうした首相を選んだ民主党、ひいてはその民主党に政権を託した日本国民全体が平和ボケに冒されていたのである。


■3.「これって、ジョークだよね?」

 原発の安全性に関して、メア氏はこんなエピソードを紹介している。

ブッシュ政権の頃、2001年9月11日の同時多発テロ事件後、米国は原発に関するテロ攻撃の脅威を真剣に受け止め、その一環として同盟国日本の原発警備状況を把握しようとした。

ホワイトハウスの国土安全分野担当が東京を訪れ、日本政府当局者と意見交換する場に、メア氏も同席した。ホワイトハウスの担当者は、日本の原発警備の手薄さに驚き、銃で武装した警備要員の配置が必要であると力説した。

これに対する日本の当局者の答えがふるっていた。「日本の原発に、銃で武装した警備要員は必要ではありません。なぜなら、銃の所持は法律違反になるからです」

『ホワイトハウスの当局者は小声で傍らの私にたずねた。
「これって、ジョークだよね? だったら笑ったほうがいいかな」
 私は彼の耳元にささやいた。「たぶん、ジョークじゃない。笑わない方がいい」 ホワイトハウス当局者は神妙な表情でうなづき、日本政府当局者の発言をメモに取るふりをしていました』

■4.「憂いなければ備え無し」

米国では原発防御も対テロ戦の重要な項目となっていて、過激派に乗っ取られた航空機が原子炉に突入し、原発が全電源を喪失した事態を想定するシミュレーション訓練も定期的に実施している。

東電は福島第一原発の全電源喪失を「想定外」と言ったが、米国で電源喪失、中央制御室の機能喪失といった非常事態を想定した訓練を行なっていることを調べていれば、「想定外」などとは言えないはずだ。

たとえば、津波でなくとも、某近隣諸国のテロリスト集団が日本海沿岸の原発を攻撃するという事態は、素人でも考えつく。これも「銃の所持は法律違反なので、想定外でした」とでも言い訳するのだろうか?

今回の津波を想定して多くの人命を救った事例もあった。岩手県釜石市内の死者・行方不明者は約1300人にものぼったが、そのなかで釜石市立の14の小中学校全校では、学校管理下になかった5人を除く児童・生徒約3千人が無事に避難した。「釜石の奇跡」と呼ばれる事例である。

これは群馬大学大学院の片田敏孝教授が市の防災・危機管理アドバイサーをしていて、その指導で徹底した防災訓練をしていたからだった。

「備えあれば憂いなし」をひっくり返して、「憂いなければ備え無し」と語ったのが危機管理の第一人者、佐々淳行氏だ。今回の原発事故はまさに、この「憂いなければ備え無し」そのものであった。危機を想定する憂いがなければ、何でも「想定外」になってしまう。

そして憂いを持たないのは、国民の安全を真剣に念じていないからである。平和ボケの真因はここにある。


■5.「トモダチ作戦」を支えた「備え」

 今回の大震災では、自衛隊と在日米軍の共同作戦である「トモダチ作戦」が被災者救援で大きな効果をあげたが、メア氏はその舞台裏を紹介している。

『地震発生後に開かれたホワイトハウス、国防総省、国務省の指導部の会議では、対日支援をすべきか否かという問いは最初から発せられませんでした。対日支援作戦の発動は自明であり、そのため、現場に最も早く駆けつけられる部隊は今、どこにいるかということがまず議論されました。
その時、日本の最も近い海域に展開していたのは原子力空母ロナルド・レーガンを主力とする空母打撃群でした。大震災発生時、東南アジア方面に向かっていた強襲揚陸艦エセックスも急遽呼び戻され、東北地方沖に展開しました。』

駆けつけた米軍は20人くらいの小部隊に分かれて被災地の孤立した地域に出動して救援活動にあたったのだが、不意に米兵ばかりが姿を見せると、被災地住民が驚いてしまうのではないかという心配から、同行した自衛隊員が「先見要員」として避難所に赴き、この後米軍がやってくる事を知らせるという配慮をしていたという。

『私はこの話を聞いて、こんな繊細な心配りを伴う共同作戦が遂行可能なまでに日米部隊の一体運用のレベルは上がっているのだと思い、感動を覚えました』


メア氏の言う「日米部隊の一体運用」とは、平成17(2005)年10月の両国の外務・国防トップによる安全保障協議委員会(2プラス2)で、自衛隊と在日米軍の相互運用性の向上、共同訓練機会の増大、計画検討作業、輸送協力、情報共有などで合意し、以来、危機に対して共同対処態勢を強化してきたことを指す。

そうした積み重ねが「トモダチ作戦」の成功につながっている、とメア氏は言う。「憂いなければ備え無し」の政府・官僚の陰で、自衛隊と在日米軍は、国民を護るために黙々と「備え」をしてくれていたのである。


■6.鳩山氏の平和ボケ

こうした黙々たる「備え」を知らずして、沖縄の基地問題のみを取り上げるのも、平和ボケの一症候だろう。

平成8(1996)年、鳩山氏は「民主党 私の政権構想」という論文を発表し、有事駐留論を展開した。有事の際にのみ米軍が来て、日本を防衛すれば良い、という内容である。

メア氏は仲間内の会話で、「有事駐留論は米軍をただの番犬とみなしている。とても失礼だ」と言った。するとアメリカ人の友人が「それは違う」と反論した。

『番犬だったら餌ぐらいはもらえるだろうし、犬小屋にだって住めるかもしれない、でもこの場合の米軍は、普段はただの野良犬として扱われているのに、必要な時に口笛で呼ばれて強盗や泥棒を追い払えと命令される。ただの番犬ですらない』


日米同盟は、日本が基地を提供し、米軍が日本の防衛に協力する、という"giveand take"によって成り立っているのである。

米国が日本に基地を置くことによるメリットは何か。その一端は90-91年の湾岸戦争で示された。7ヶ月間の対イラク戦争で日本と中東の間を往復した米軍艦船はのべ117隻にのぼり、その大部分が石油と弾薬の補給だった。また横須賀、佐世保は米艦隊の母港となっており、その艦船補修能力の高さは、米本土を上回るとされている。

米軍は、日本に駐留することによって、西太平洋からアジア、インド洋にかけての覇権を確立しているのである。それによって異常な軍拡を続ける中国から、わが国を含め、この地域の国々を護っている。


■7.米軍基地がなくなれば

日本が米軍に基地を提供しないのであれば、米国は日本を護る余力も意思もなくなり、グアムやハワイに後退せざるをえない。米軍が引けば、すぐに中国が出てくるのは、フィリピンから米軍基地が撤退した直後に、南シナ海のスプラトリー(南沙)諸島を占拠した例にも現れている。[b,c]

日本から米軍が撤退すれば、わが国のみならず、韓国、台湾、そして東南アジア諸国も中国の覇権下に入り、チベットやウイグルのような運命に陥ってしまうだろう。

沖縄の基地問題を論ずる前提として、わが国を含めた東アジアの平和と安全は沖縄が米軍基地を受け入れているからであるという沖縄への感謝、そして米軍基地が撤退すれば、まっさきに中国に狙われるのも沖縄である、という「憂い」が共有されていなければならない。

また鳩山内閣は「東アジア共同体構想」を主張し、日米中を「正三角形の関係」と見なしていた。日本に核ミサイルの照準をあわせている国と、日本を護るために血を流す覚悟を持って自国の軍隊を置いている国を同列に扱うというのは、国民の安全を真剣に考えていない証拠である。

「有事駐留論」も「日米中正三角形論」も、まさに、わが国の安全と独立を真剣に考えない平和ボケの産物だった。こうした人間が首相になれば、日米同盟が破綻の危機に陥ったのも、当然であろう。


■8.「晴れた日のリベラル、雨の日の保守」

イギリスには「晴れた日のリベラル、雨の日の保守」という言葉があるそうだ。
平和で景気の良い時は「国民の生活が第一。」などと甘い言葉で庶民の歓心を買うリベラル政党が政権をとりやすい。子ども手当などのバラマキ政策で、票を買い集められるからだ。

戦後のわが国は半世紀以上もの長きにわたって、平和で豊かな「晴れた日」が続いたために、「雨の日」をすっかり忘れてしまっていた。「雨の日」への「憂い」がなければ「備え」なしとなってしまう。鳩山首相がもたらした普天間基地移設問題の迷走も、菅首相の原発事故での右往左往も、ここに由来する。

そして、人知れず「傘」の役割を果たしいる自衛隊や在日米軍に白い目を向けるのも、「雨の日」があることを忘れ去っているからである。

大震災という「雨の日」が到来して、平和ボケぶりをさらけ出した民主党政権と、日頃から備えを怠らなかった自衛隊、在日米軍の違いが明らかになった。

いつかはやって来る「雨の日」を予想し、そうなったら我々の同胞たちが、そして我々の子孫がどのような苦しみを受けるのか、憂うるところから、備えが始まる。

メア氏の言う平和ボケから脱却するには、まず我々国民自身が、どのような「雨の日」が来るのかを憂え、それにふさわしい政治家を選ぶところから始めなければならない。

(文責:伊勢雅臣)
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