先日、知人が私の祖母の家の周辺の昔のことを知りたいといった話をしていて、あまり役には立たなかったかもしれないが、母から聞いた話を伝えた。
終戦後から昭和四十年代くらいの頃の内容である。
母とそういった話をしているうち、それより少し後年の話だが、五台山ではモノレール(ロープウェイ)が青柳橋西詰から現在の展望台まで運行されていて、また吸江の護国神社近くの現在の結婚式場のあたりに旅館のようなものがあったことをうっすらと思い出した。
その旅館は山の斜面に見た目が同じの一軒家のような建物が大小多数建てられていて、建物と建物の間はすべて通路的なものでつながれている感じであった。
宿のそれらの部屋から眺める浦戸湾の景色は、かつては風光明媚であったと思われるが、周辺の河川はすべて堤防で固められ、埋め立て地である弘化台やタナスカができといった変化もあり、失礼ながら役割を終えたのではないかと思う。
たしか「山海荘」という名称だったと記憶していて、ネットで探したがまったくヒットが無く驚く。
記事検索データベースで山海荘は2件ヒットしたが、一方は旅館ということまではわかるが場所の記載なし、一方は県東部の奈半利町の割烹で、山海荘という名称が合っているのかどうかは確認できなかった。
次にあたったのが、高知市周辺の昭和51年の風景を取りまくった写真集。
本当にいい仕事をしていらっしゃる。
この旅館の写真もあって、一度目は見逃したが、二度目に山の斜面の一番上東側の建物に「山海荘」の文字がかなり小さいながら写っているのを確認し、安堵した。
お伊勢参拝後の直会では、伊勢うどんと並んで必須の赤福系のお菓子。
昨年暮れだったか、
「観光客が減って売り上げが減っているお土産を応援しよう」
的なスーパーマーケットのフェアで、同じ品を買ったと記憶している。
今回は特にそういったポップはなく、お伊勢名物程度だった。
伊勢大好きっ子としては、何はともあれ買うしかない。
最後にお伊勢参りをして4年半ほどが経過。
コロナが収まれば、内宮、外宮はもとより伊雑宮にも足を伸ばしてみたいものだ。