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命の使い方 〜 『永遠のゼロ』から (国際派日本人養成講座から)

注)以下はメールマガジン「国際派日本人養成講座」からの引用です。
興味のある方は、メールマガジンを受信すれば、定期的に読むことが出来ます。



■1.「僕の心はきれいな水で洗われたかのごとく清々しさで満たされた」

 百田尚樹氏の『永遠のゼロ』が売れ続けている。すでに240万部に達し、年 末には映画も公開される。その裏表紙には、内容をこう紹介している。

__________
「娘に会うまでは死ねない、妻との約束を守るために」。そう言い続けた男は、 なぜ自ら零戦に乗り命を落としたのか。終戦から60年目の夏、健太郎は死んだ祖 父の生涯を調べていた。天才だが臆病者。想像と違う人物像に戸惑いつつも、1 つの謎が浮かんでくるーー。記憶の断片が揃う時、明らかになる真実とは。
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 小説としての出来も素晴らしい。文庫本で600頁近い大作でありながら、読 者をぐいぐいと引っ張っていく構成と筆力は見事だ。最後の結末は圧巻で、芸能 界きっての読書家として知られる故・児玉清氏は、「解説」で次のように書いて いる。[1,p588]

__________
 なぜ、あれだけ死を避け、生にこだわった宮部久蔵が特攻で死んだのか。それ は読んでのお楽しみだが、僕は号泣するのを懸命に歯を食いしばってこらえた。 が、ダメだった。目から涙がとめどなく溢れた。・・・

 なんと美(うるわ)しい心の持主なのか。なんと美しい心を描く見事な作家な のか。なんと爽やかな心か。涙の流れ落ちたあと、僕の心はきれいな水で洗われ たかのごとく清々しさで満たされた。
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 私も同様の思いをした。人間の美しい真心を描いて、大東亜戦争を戦った日本 軍兵士は軍国主義に騙されて無駄死にをした、という戦後のイデオロギーを粉砕 している。

 この本が、一人でも多くの人に読まれることを願って、以下、私が二番目に感 動したシーンをご紹介したい。一番目はもちろんラストシーンだが、それは読者 自ら原作を読んで、「心をきれいな水で洗われる」体験をしていただきたい。


■2.「お前にもぜひ聞いてもらいたいのだ」

 健太郎は姉と共に、かつて祖父と一緒に戦ったことのある元海軍飛行兵曹長・ 井崎源次郎を都内の病院に訪ねた。ロビーには、井崎の娘という50代の女性 と、その息子が待っていた。息子は髪を金髪に染め、派手にペイントしたオート バイ用のヘルメットを抱えている。

「父は戦友会から、宮部さんのお孫さんから連絡があったと知らされた時は、大 変驚いておりました。父の体はかなり悪くて、医者からは、あまり興奮するよう な話はしないようにと言われていましたが、どうしても会うと言って聞きません でした」

 病室に入ると、ベッドの上に痩せた老人が正座していた。「お父さん、座って なんかいて大丈夫なんですか」と慌てる娘に、「大丈夫だ」と力強く応えて、 「井崎源次郎です」と頭を下げた。

 それから孫に向かって、「誠一、お前も一緒に聞きなさい」
「俺には関係ねえこどだろ」
「関係はないが、お前にもぜひ聞いてもらいたいのだ」

 井崎は健太郎の方に向き直ると、もう一度居住まいを正して、「宮部さんと出 会ったのはラバウルです」と、ゆっくり話し始めた。

■3.「何という凄腕! 何という早業!」

 宮部らがニューギニア島のラバウルにやってきたのは、昭和17(1942)年7月 だった。皆に挨拶があって、解散してから、宮部は井崎に「よろしくお願いしま す」と声をかけた。

 階級章を見ると一飛曹(一等飛行兵曹)で、下士官の一番上の階級である。一 飛兵(一等飛行兵)の自分とは、とてつもない差がある。井崎は慌てて「こちらこ そ、よろしくお願いします。わたくしは井崎一等飛行兵と言います」と大きな声 で答えた。

「自分は宮部久蔵一飛曹です。よろしくお願いします」と軽く頭を下げた。こん な丁寧な口をきく上官にあったのは初めてだった。よほど育ちが良いのか、ある いは馬鹿なのか、どちらかだと思った。

 翌日、ポートモレスビーに出撃。ここには連合軍の基地があり、ここを奪えば オーストラリアはすぐ先にある。一小隊3機、3小隊の9機編成で、一番後方の 小隊の2番機が宮部、3番機が井崎だった。

 スタンレー山脈を越え、わとわずかでポートモレスビーが見える地点に来た 時、突如、上空の雲の隙間から敵機が襲いかかってきた。隊の一番、後方に位置 していた井崎機に、敵の一番機が背中から食いついてきた。「やられる!」と井 崎は思った。

 その時、井崎機を狙っていた敵戦闘機が突然火を吹いて吹き飛んだ。次の瞬 間、井崎の目の前を一機の零戦がすごいスピードですり抜けた。宮部機だった。 宮部は更にもう一機を撃墜し、旋回して逃げようとする敵機の背後に鋭い旋回で 回り込み、一連射で撃ち落とした。

 この間、僅か数秒。何という凄腕! 何という早業! 井崎は鳥肌が立った。 この頃の零戦は世界の戦闘機の中でも抜きんでた性能を誇っていた[a]。その名 機を宮部は完璧に使いこなしていた。


■4.「敵を堕とすより、敵に堕とされない方がずっと大事だ」

 空襲を終えて基地に戻ると、井崎は真っ先に宮部に礼を言いに行った。宮部は 笑っただけだった。 しかし、その後、一緒に戦っていると、ただ一つ、ひっか かる事があった。宮部はひっきりなしに後方を振り返り、また死角となる下方を 見るために背面飛行も頻繁にやる。乱戦になると、いち早く逃げ出して、同じよ うに戦域から逃れてきた敵機を狙う。臆病者かと思った。

 やがて宮部が小隊長になり、井崎はそのまま列機を務めるようになった。「他 の小隊から妙に思われるので、丁寧言葉はおやめ下さい」と、井崎は頼んだ。

 宮部の消極的な戦い方を物足りなく思った井崎は、一度、小隊を離れて、敵戦 闘機の背後にへばりついた事があった。敵機を撃ち落としたと思った瞬間、後ろ から撃たれた。2機の敵機が背後から挟み撃ちするようにくっついている。左右 どちらに逃げてもやられる。井崎は死を覚悟した。

 次の瞬間、敵の銃撃が止んだ。後ろを見ると、一機の敵機が火を噴いて錐揉み 状態で墜ちていった。もう一機は急降下で逃げていった。後ろには零戦が一機い た。宮部機だった。宮部に命を救われたのは、これで2度目だった。

 基地に戻った時、礼を言う井崎に、宮部はにこりともせずに言った。「いい か、井崎。敵を堕とすより、敵に堕とされない方がずっと大事だ。たとえ敵機を 討ち漏らしても、生き残ることが出来れば、また敵機を撃墜する機会はある。し かし、一度でも撃ち落とされれば、それでもうおしまいだ」 死を覚悟した直後 のせいか、宮部の言葉は心の底にずっしりと響いた。

「私がこの後、何度も数え切れないほどの空戦で生き延びることが出来たのも、 この時の宮部小隊長の言葉のおかげです」とベッドの上の井崎は、健太郎たちに 語った。


■5.「娘に会うためには、何としても死ねない」

 宮部はいつも夜半に宿舎を離れ、1時間以上も戻ってこなかった。ある日の夕 暮れ、井崎が隊舎から離れた川に一人で釣りに行った帰りに、宮部が上半身裸に なって、壊れた飛行機の銃身を片手で何度も持ち上げている光景を見た。

 宮部が立ち去った後、井崎は自分でその銃身を持ち上げようとしたが、重くて まったく持ち上がらない。両手でやっと持ち上げることができた。これを片腕一 本で上下動させられるとはなんたる怪力。宮部一飛曹の華麗なる操縦技術はこの 怪力に支えられていたのだ。

 翌日、「小隊長は毎日やっておられるのですか」と聞くと、黙って頷く。「今 日はもうやめようと思う日はないのですか」とさらに聞くと、おもむろに胸ポ ケットから布袋を取り出し、その中に入っていた写真を見せた。それは若い婦人 が生まれて間もない赤ん坊を抱いている写真だった。

「6月に生まれました。ミッドウェーから戻ってすぐに生まれたのですが、休暇 が取れず、会いにいくことが叶いませんでした。ですからまだ一度も会ってない のです。辛い、もう辞めようと、そう思った時、これを見るのです。これを見る と、勇気が湧いてきます。」

 それから宮部小隊長は、写真を胸ポケットにしまうと、つぶやくようにこう 言った。「娘に会うためには、何としても死ねない」 その顔は普段の温和な彼 からは想像もつかないほど恐ろしい顔だった。


■6.「無理だ。こんな距離では戦えない」

 8月7日、ガダルカナルの戦いが始まった。ラバウルから約千キロもある。 「無理だ。こんな距離では戦えない」と、宮部は悲痛な声で言った。それを聞い た若い一人の士官が怒髪天を衝くが如くの形相で向かってきた。

「貴様、今、何と言った」と言うが早いか、宮部の顔面を殴った。「貴様は宮部 だな。貴様の噂は聞いているぞ、この臆病者め!」 士官はそれだけ言うと、そ の場を立ち去った。

 片道千キロでは巡航速度で3時間もかかる。戦闘時間は10分少々で、また3 時間かかって戻る。その間に敵機が待ち伏せているかもしれないし、方位を見 失って無駄な航路を取ると、燃料が足りずに帰還できなくなる恐れもある。

 その日、出撃した17機の零戦のうち、帰還できたのはわずか10機だった。 その後に日本海軍のエース・パイロット坂井三郎[b]も重傷を負って、なんとか 帰還した。宮部と井崎は、翌日出撃し、なんとか無事に帰還したが、爆撃機の方 は大半が帰還できなかった。そんな戦いが連日続いた。


■7.「貴様が死ぬことで悲しむ人間がいないのか」

 10月のある日も宮部の小隊はガダルカナル攻撃に参加したが、3番機の小山 上等兵は宮部の命令を無視して、敵を深追いして、グラマンを2機撃墜した。し かし、それによって燃料を使い過ぎた。

 ラバウルへの帰還途中、小山は「ラバウルに帰れそうもないから、ガダルカナ ルに戻って自爆する」と合図をしてきた。宮部は「何とか頑張って、帰還しろ」 と合図し、燃料を節約するための高度や速度で細かい指示を小山に与えた。

 しかし、基地まであと10分という所で燃料が尽き、小山機は海上に不時着し て沈没、小山は海に飛び込んだ。基地に帰還した後、すぐに水上機を向かわせた が、すでに小山の姿はなく、数匹の鱶(ふか)が泳いでいた、という。

 井崎は悔しさのあまり、宮部を問い詰めた。「どうして小山に自爆させてやら なかったのですか?」 宮部は「飛び続ければ助かるかもしれないが、自爆すれ ば、かならず死ぬ。死ぬのはいつでもできる。生きるために努力をすべきだ」と 答えた。

「どうせ、自分たちは生き残ることは出来ません。もしわたくしが被弾したな ら、潔く自爆させてください」と井崎が悔し泣きしながら訴えると、宮部はその 胸ぐらを掴んで、こう言った。

__________
 井崎! 馬鹿なことを言うな。命は一つしなかい。貴様には家族がいないの か、貴様が死ぬことで悲しむ人間がいないのか。
 ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄

 その時、不意に5歳の弟、太一の顔が脳裏に浮かんだ。泣きじゃくる顔が見え た。後にも先にも宮部に怒鳴られたのは、この時だけだった。しかし、この時の 宮部の言葉は、井崎の心に深く沈んだ。


■8.「なぜ、今日まで生きてきたのか、今、わかりました」

 その後、井崎はラバウルを離れ、空母「翔鶴」の搭乗員となった。昭和 19(1944)年のマリアナ沖海戦で、敵戦闘機と激しい空中戦の結果、燃料タンク を撃ち抜かれた。もはや母艦にも帰れず、せめて敵機を道連れにしてやれと、体 当たりを決意した。

 その時、宮部の怒鳴り声が頭の中に響いた。「井崎! 貴様はまだわからない のか!」 同時に幼い弟の顔が浮かんだ。井崎はなんとか敵機の編隊から抜け出 し、海面に不時着してから、9時間も泳いで、グアム島に泳ぎ着いた。何度も諦 めかけたが、その都度、「兄ちゃん、兄ちゃん」と泣きながら呼ぶ弟の顔が浮か んできて奮い立った。

「しかし本当に私を助けてくれたのは、宮部小隊長だったと思っています」と、 ベッドの上で井崎は語った。そして、こう続けた。

__________
 実は、私は、ガンです。半年前に、医者からあと3ヶ月と言われました。それ がどうしたわけか、まだ生きています。

 なぜ、今日まで生きてきたのか、今、わかりました。この話をあなたたちに語 るために生かされてきたのです。[1,p252]
 ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄

 その時、井崎の孫が大きな声で泣き出した。その母親もハンカチで目を抑えて いた。健太郎の姉も嗚咽を漏らしていた。

 井崎は窓の外の空を見つめて言った。「小隊長、あなたのお孫さんが見えまし たよ。二人とも素晴らしい人です。男の子はあなたに似て、立派な若者です。小 隊長---、見えますか」

 しばらく後、井崎源次郎の訃報を受けとった。焼香の時、孫の誠一を見かけた が、長い髪は短くなり、金髪は黒くなっていた。言葉は交わさなかったが、健太 郎に深々と頭を下げた。

 健太郎の中でも変化が起こっていた。しばらく諦めていた司法試験にもう一度 挑戦してみようという気になっていた。かつて人々のために尽くしたいと弁護士 を志した気持ちを取り戻したのだった。

 家族や世のため人のために自分の命を使おうと思えばこそ、その大切さに気が つくのである。

(文責:伊勢雅臣)
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