十数年二人で一緒に暮らしてきた祖母が無くなって、ほぼ5年になる。
成人後はほとんどが、31日の夜帰宅で仲間と旅行、その後明け方まで高校時代の友人と麻雀、元日の午前8時頃帰宅のパターンであった。
我が家では、元日は朝風呂の習慣があり、私が準備をして先に使い、その後祖母が使ってから、おせちを食するというパターンだった。
祖母は、亡くなる前まで毎年きちんとおせちを作っていた。
黒豆、昆布巻き、ゴボウなど昔ながらの作り方で、手間もかかるのだが、それにはこだわっていた。
並行して親族に配る寿司を大量に作ることも、受け持っていた。
晩年はさすがに能率が悪くなり、私のいとこ連中が手伝いに来ていたが、男である私には、買い物以外一切助けを求めなかった。
彼女が高齢になって働きに出るのをやめて以降、洗い物などはやるようにしていたが、それもあまり気に入っていなかったのではないかと思う。
彼女にとっては、それらは女性がすべきことだったのだ。
私は徹夜のまま、正月の食卓に向かう。
毎年、鯛の姿の塩焼きがかならずあり、エビもサブであったように記憶している。
私一人になっておせちは作れない。
今日買い物に行って、鯛があればと思ったが、すでに焼かれたパックのものしかなかったので、エビだけ買ってきた。
魚の皮が好きな私は、鯛のウロコを引いてないことに文句を言ったが、
「これはそういうものなのです」
という言葉に、何も言えなかった。
彼女がいなくなってから、5回目の自分革命の正月が来る。