昨夜、空海についてのテレビ番組があり、中国に渡って真言密教といったあたりは知っていることばかりなので聞き流していたところ、
「空海も修行した」
という言葉が出てきた。
恵果に会ったとたんに認められるわけだが、それはただ空海が空海であったからではない。
当時空海は三十歳前後であったが、そこに至るまで修行と勉強を重ねたからこそ、恵果も認めたわけである。
翻って、私と言えば、仕事の忙しさにかまけてちょっと修行が足りていないなと。
個人的な見解だが、今生のうちに、どれだけ努力して考え方や技術や知識、体力を身に付けて次につなげていけるかが、日々生活している意味だと思っている。
自分の中のことでも、修行して勉強してというと重たいが、絶えず求め探す姿勢でいれば、変えることができる部分に気づくことも多い。
飲んで食べることは、ある意味身にはなるが、それだけではと反省した次第。
矢野絢子のアルバムを順次聴いてきて、「窓の日」のクリスマスの曲もそろそろ聴きあきたので、次に移ろうとしたら、「星ヲ抱ク者」を持っていないことに気づいた。
前回まとめて買った際、CDはまだあちこちに出ていたので、いつでも手に入るとたかをくくっていたら、今やどこにも・・・・・・。
「物は売られているときに買え」と、いつも心がけているんだが油断した。
<メジャー以降の作品>
「ナイルの一滴」(持ってる。かなり聴いた)
「浅き夢」(持ってる。かなり聴いた)
「窓の日」(持ってる。かなり聴いた)
「星ヲ抱ク者」(持ってない!)
「あいのうた」(持ってる。今日初めて聴いた)
「サマーヴァケイション」(持ってる)
仕方なく、一作飛ばして「あいのうた」に。
これジャケット見たら、なんか色気づいてて、買い間違えと思うくらい別人だよな。
一回聴いた感じでは、これまで変化球が主体だったので、そのタイミングで待っていたら、アウトローにスッと直球投げられた感じ。
ツンデレだった女の子が、好意を持ってくれてるような感じのことを言ってくれた感じ。