先日、仕事で海辺の田舎町に行った。
現地に入ってから、打ち合わせまでにはかなり時間があったので、近所を少し散策した。
砂浜までは距離がありすぎいけなかったが、その手前には松原が見え、さらに手前に砂地の畑があり、次にもう一層、松以外の木が茂った防風林があった。参道の長い神社があったので、鎮守の森でもあるのだろう。
そのそばには、周辺と比較すると固まって家があり、団地のような雰囲気になっていた。
昔々の家を、ここ数十年の間に建て直した物ばかりなのだろう、さほど古い物はない。
が、空き家が目立っていた。
高齢者であった住人が亡くなって、後は住む人がいないといったところであろうか。
同時に、私が気になったのは、雑草が空き家の庭も含め、あちこちに目に付くことである。
私の住んでいる市街地でも同じことが言えるが、ここ数年「草刈り」がされてない場所が多い。
天気のいい日は自転車で通勤しているのだが、割合大きめの道でも、やむなく右側に寄らなければならない(後方からの車に注意しつつ)場所もあり、「なぜ、家の前の草ぐらい刈らないのだろう?」と、思うような場所がたくさんある。
確か明治時代だったかと記憶しているが、アインシュタインが訪日した際、「日本人が本来持っていた個人に必要な謙虚さと質素さ、日本人の純粋で静かな心、それらのすべてを純粋に保って、忘れずにいてほしい」と述べており、これは、安倍首相の所信表明演説でも引用されている。
私の二人の祖母は元気だった頃は、庭や家の周囲のよく草引きをしていた。
かつては、次の世代である嫁がそれを受け継いだのだろうが、現在は、年寄りだけになり、「したくてもできない」ケースが多分にあるかと思う。
同居していた祖母が亡くなった今、四十男にしては、少し恥ずかしい気もするが、私も同じようにしている。
「誰かがやればいいのに、誰もやらない」なら、それをやる人でありたいからだ。
私が市町村合併や地方分権に取り組む際、いつも考えるのは、「この国のかたちがどうあるべきか」である。
そこには、国と地方の役割分担、教育のあり方、憲法改正、社会保障など様々なものが入り組んでいるので、すぐには答は出ない。
拙い文章を書くしか能のない私の書いた内容を見てくださった方々が、こういった問題について、それぞれで考えていただけることを願ってやまないし、それでも書き続けることが私の使命だと思っている。