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戦争と平和の逆説 〜 エドワード・ルトワックの『戦争にチャンスを与えよ』から
「戦争ができる国」になってこそ、戦争のリスクを下げることができる、という逆説。
■1.戦争を「やり切る」ことによって平和が訪れる
国際的な戦略家エドワード・ルトワックの最新刊『戦争にチャンスを与えよ』[1]がベストセラーになっているが、そこで言われている「戦争が凍結されてしまえば、平和は決して訪れない」とは、一見、矛盾しているが、真実を突いた逆説ではないか、と思った。逆に言えば、戦争を「やり切る」ことによって平和に到達できる、ということである。
例えば徳川家康は慶長5(1600)年の関ヶ原の戦いで石田三成や毛利輝元など豊臣家中の敵対勢力を排除し、慶長19(1614)年の大坂冬の陣で豊臣方の立て籠もる大阪城の本丸のみを残し、堀を埋め立てるという条件で和睦した。そして続く夏の陣ではついに豊臣秀頼と淀君を討って実権を確立した。
もし家康が関ヶ原の勝利で戦争をやめていたら、豊臣方の勢力はいつまでも残り、豊臣と徳川が対立する不安定な状態がずっと続いていたであろう。それでは二百六十年もの江戸の平和は実現できなかったろう。
明治維新も同じである。鳥羽伏見の戦いの後、徳川慶喜が江戸に逃げ帰って謹慎したところで、戦争をやめてしまっていたら、徳川の力がいつまでも残り、その後、明治新政府が国を挙げての近代化に邁進できたかどうかわからない。
西郷隆盛が官軍を率いて江戸をおさえ、さらに抵抗する会津藩や庄内藩などを打ち破ったことで、初めて国内が明治新政府のもとでまとまったのである。
■2,「戦争が凍結されてしまえば、平和は決して訪れない」
これらは戦争を「やり切った」ことで平和が訪れた例であるが、その逆の「戦争が凍結されて、平和が決して訪れない」典型的な事例は朝鮮戦争であろう。
マッカーサー率いる国連軍は北朝鮮軍を押し返して、シナ国境まで追い詰めた。そこでさらにシナと北朝鮮の国境をなす鴨緑江(おうりょくこう)に架かる橋の爆撃を計画していた。これが実現されれば、シナ軍は参戦できず、北朝鮮が滅びて戦争は終わっていたろう。そうすれば、朝鮮半島全体が韓国によって支配され、今日のような北朝鮮による危機はなかったはずである。
しかし何故か、そこでマッカーサーは解任され、後任のクラーク将軍も勝つための武器・兵員を与えられなかった。何者かによって不自然な形で朝鮮戦争は凍結され、開戦前とほとんど変わらない三十八度線で休戦協定が調印されたのである[a]。
以後、60年以上も北朝鮮と韓国は休戦ラインを挟んでにらみ合い、時々小競り合いが起こっている。北朝鮮は核開発を着々と進め、今や韓国、日本ばかりかアメリカをも脅かそうとしている。これがまさしく「戦争が凍結されてしまえば、平和は決して訪れない」と言うことである。
■3.「人間は人間であるがゆえに」
この逆説を述べているルトワックは本誌でも、その著書『中国4.0 暴発する中華帝国』 から、956号「暴発する中国から世界を護る戦略」[b]として紹介した。
『戦争にチャンスを与えよ』とは、日本語では聞き慣れない表現だが、英語では"Give War a Chance"。これは"Give him a chance"、「彼に任せて、やらせてみろ」といった場合に使う表現である。要は、戦争が始まってしまったら、途中で止めたりせずに、とことんやらせてみろ、と言う意味である。
ルトワックの徹底したリアリズムは、なぜこの逆説が成り立つかを述べている次の一節からも窺える。
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人間は人間であるがゆえに、平和をもたらすには、戦争による喪失や疲弊が必要になる。[1, 215]
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「人間は人間であるがゆえに」とは、人間には未来が見えず、限定的な合理性しか持っていないということだろう。それゆえに、例えば明治維新の時にも、新政府に抵抗して、幕府側として戦った人々がいた。
その後の歴史を知っている我々から見れば、幕藩体制ではもはや日本はやっていけないということは分かりきった事だと思ってしまうが、当時の人々にとっては、一寸先は闇である。だから、薩長などよりも、実績のある幕藩体制の方が良いと考えたとしても、何の不思議もない。
薩長が良いか、佐幕が良いかは、議論で決着がつく問題ではない。だから最後まで戦争をして、佐幕派が追い詰められ、疲弊することによってようやく決着がついた。
この戊辰戦争を途中で止めてしまえば、佐幕派がいつまでもエネルギーを残して、薩長との対立関係が続き、明治新政府として一丸となって、近代化に邁進するということもできなかったであろう。
■4.「平和が戦争をもたらす」
「戦争が平和をもたらす」のと対照的に「平和が戦争をもたらす」と言う逆説も、ルトワックは述べている。
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人間というのは、平時にあると、その状態がいつまでも続くと勘違いをする。これは無理もないことだが、だからこそ、戦争が発生する。なぜなら、彼らは、降伏もせず、敵を買収もせず、友好国への援助もせず、先制攻撃で敵の攻撃力を奪うこともしなかったからである。つまり、何もしなかったから戦争が起きたのだ。[1, 1041]
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この典型的な事例が、イギリス首相チェンバレンの対ドイツ融和政策であろう。1935年、ヒットラーはヴェルサイユ条約の取り決めを一方的に破棄して、再軍備と徴兵制の復活、非武装地帯に定められていたラインラントへの進駐、オーストリア併合など着々と勢力を広げていた。
第一次大戦後の平和を求める世論に縛られていた各国は、ドイツの行動を黙認した。さらにヒットラーはチェコスロバキアの要衝ズデーテン地方を要求し、チェンバレン首相はミュンヘン会談で「ドイツがこれ以上の領土要求を行わない」との約束のもとにその要求を呑んだ。ヨーロッパ中で、平和が維持されたという喜びに包まれ、チェンバレン首相は讚えられた。
しかし、ヒトラーは増長してその約束を簡単に破ってポーランドに侵攻し、ついに英仏もドイツに宣戦布告をした。チャーチルが「第二次世界大戦は防ぐことができた。宥和策ではなく、早い段階でヒトラーを叩き潰していれば、その後のホロコーストもなかっただろう」と述べているように、チェンバレンの融和政策が第二次大戦をもたらした、と言う見方が根強い。
■5.「まあ大丈夫だろう」という危険な選択
「平和が戦争をもたらす」現象は北朝鮮危機に対する韓国の態度にも見られる、とルトワックは指摘する。
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さらに北朝鮮は、核兵器と弾道ミサイルを保有し、韓国を直接脅かしているのに、韓国自身は何もしていない。彼らは、北朝鮮に対して抑止さえもしていないのだ。
韓国は、北朝鮮に何度も攻撃されているのに、反撃さえしていない。韓国の哨戒艦「天安」の沈没事件でも、誰もいない方向に砲撃しただけだ。
要するに、韓国は、北朝鮮の脅威が現に存在するのに、何も行っていない。「降伏」も、「先制攻撃」も、「抑止」も、「防衛」もせず、「まあ大丈夫だろう」という態度なのだ。
これは、雨が降ることが分かっているのに、「今は晴れているから」という理由だけで、傘を持たずに外出するようなものだ。ところが、このような態度が、結果的に戦争を引き起こしてきたのである。[1,1049]
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この態度は、日本も同様であると、ルトワックは言う。
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何度でも言う。現在の日本は、北朝鮮に対して何も行動しておらず、唯一選択しているのは、「まあ大丈夫だろう」と言う態度だが、このような態度こそ、平和を戦争に変えてしまうものなのである。[1, 1110]
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■6.「平和が欲しければ戦争に備えよ」
平和安全法制が審議された時に、左翼は「戦争ができる国になる」と言って、反対運動を起こした。「戦争ができない国」であれば平和が守れると言う考え方は、根拠のない信仰である。歴史はそれが誤りである事を教えている。
チベットは第二次大戦後、唯一他国に侵略されて植民地に転落した国である。そこで起こったことは、「戦争ができない」国がシナに簡単に侵略されたということであった[c,d]。
もしチベットが多少なりとも「戦争ができる国」であったとしたら、アフガニスタンの山岳ゲリラがかつてのソ連軍や、今日の米軍に粘り強く抵抗しているように、シナに易々と植民地化されることもなかったであろう。
侵略国は、侵略のメリットとコストを天秤にかけて考える。侵略のメリットよりも、コストのほうが大きいと思えば、侵略に乗り出す事は無い。「戦争ができない国」はそのコストがほぼゼロということであるから、容易に侵略に乗り出すことができるのである。
戦争をしたくなかったら、「戦争ができる国」となって、侵略しても割が合わないようにする必要がある。これが「抑止力」の概念である。
ルトワックは「戦争は可能な限り避けよ。ただし、いかなる時にも戦争が始められるように行動せよ」と指摘しているが、これは4世紀のローマ帝国の軍事学者ウェゲティウスが「平和が欲しければ戦争に備えよ」と言っていることと同じである。
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■7.「犬と猫」の同盟が「ライオン」を倒した
「戦争に備える」方策の一つとして、ルトワックは同盟の重要性を指摘し、これを「大国は小国を打倒できない」と言う逆説で表現する。
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大国は、中規模国は、打倒できるが、小国は打倒できない。小国は、常に同盟国を持っているからだ。小国は、規模が小さいゆえに誰にも脅威を与えない。だからこそ、別の大国が手を差し伸べるのである。
小国のベトナムは、大国のアメリカを打ち負かし、小国だからこそ、ソ連と中国の支援を獲得できた。当時、ソ連と中国は、対立していたのだが、それでも互いに協力してベトナムを助けたのである。[1, 1146]
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「同盟関係は自国の軍事力より重要なのだ」とまでルトワックは言う。例えば軍事の天才ナポレオンに率いられた12万は精強だったが、イギリスはプロイセンやロシアなど同盟国を集めて、23万の兵力で対抗した。多くの「犬と猫」の同盟が「ライオン」を倒したのである。
同様に、第2次大戦でのドイツ軍も屈強で、100人のドイツ軍を打倒するのに、イギリス軍は300人の部隊を必要としていた。しかしドイツ軍がいくら屈強でも、イギリスが米ソと同盟しては勝ち目はなかった。
第二次大戦後にアメリカが結成したNATO(北大西洋条約機構)は、イギリスの同盟戦略のコピーであるとルトワックは指摘する。この同盟戦略で、アメリカはソ連と言う「熊」を倒したのである。
ルトワックは、兵力も装備も貧困で戦闘力として頼りにならない小国をも同盟関係に入れることの重要性を説いている。NATOにはアイスランドやルクセンブルクのような小国や、トルコやギリシャなどの周辺国も入っていた。これらの小国を同盟に入れることの意味は、私見だが、次の三つが考えられるだろう。
第一に、敵が孤立感を持つように仕向けられること。第二に小国と言えども、独自の立場からの情報貢献、経済貢献が期待できること。第三にそれぞれぞれの小国が敵と通じたり、反旗を翻すリスクを減らすこと。
■8.「安倍首相はまれに見る戦略家だ」
以上を踏まえれば、ルトワックが「安倍首相はまれに見る戦略家だ」[1,544]と言う理由がよく分かるであろう。
第一に、安倍首相は左翼が言うように日本を「戦争ができる国」にしようとしている。それは戦争のリスクを減らすために、必要不可欠なことだからだ。
第二に、安倍首相は精力的な外交努力で対中包囲同盟を築きつつある。そこにはアメリカやインドなどの大国だけではなく、フィリピンやベトナムなども含まれている。安倍首相の提唱する「自由で開かれたインド太平洋戦略」は、日米同盟を従来の極東からインド洋にまで拡大し、インドとの協力強化も含めたものである。
先ごろ日本を訪れたトランプ米大統領も、この戦略を共有する姿勢を示した。日本が世界戦略を示し、アメリカがそれに賛同するというのは戦後初めての現象であろう。そしてその戦略は、世界的な戦略家ルトワックが激賞したものなのである。
しかし偏向したほとんどの日本のマスコミは、こういう点を論じない。マスコミの記者自身が、ルトワックの説くような戦略論に無知なのか、あるいは敵側の視点でその戦略に恐れをなしているからであろう。
自由民主主義国家にとって大切な事は、国民が「平和が欲しければ戦争に備えよ」「戦争ができる国になることが戦争のリスクを減らす」という防衛の逆説を理解し、多くのマスコミの偏向報道を見破って、正しい戦略をとっている政治家を後押しすることである。
(文責 伊勢雅臣)