このところ、何かの記事などで目にしたものや、一般的な知識教養のある日本人であれば知っているような小説を読もうとするのだが、序盤で挫折することが多い。
生活において時間的な余裕がないせいなのだろうかとも考えたが、そういった小説以外に興味があるものはそれなりに読んでいるので、そうとも言えない。
好き嫌いが増えたとか、展開がゆっくりとしたものはどうもとか、複合的な要因もあるかもしれない。
小説の長さについては、どちらかといえば短編集が好きだが、中長編もそれなりに読んできているので、それもいちがいに言えない。
となると、長い読書経験から、出だしを読んだところで
「これは面白くないよ、これ以上読むことないよ」
と脳が教えてくれているのだろうか。
はたまた、神様が無限でない読書時間の中で、もっと別のものを読めとおっしゃってるのだろうか。
そうやって過ごしていたところ、たまたまノルウェーブッククラブの世界の文学100冊というものを発見し、そこから思い1冊借りてきた。
このマクロな世界でだめならどうしようもないだろう。
ちなみ借りてきたのは、『山の音』(川端康成 1954)である。