もう20年近く前になるが、某宗教団体が地下鉄で薬品事件を起こした際、テレビにゲスト出演していた人物が、その話題について感想を尋ねられ、
「信じるのは、それは自由。しかし、関係ない他人を傷つけるのはあってはならない」
と答えていた。
事件自体は非人道的で許されるものではない。
しかし、不謹慎かもしれないが、彼がまず言った言葉のとおり、信仰の力というものを思い知らされた事件でもあった。
「法然聖人にすかされまいらせて、念仏して地獄におちたりとも、さらに後悔すべからずそうろう」
仏教や宗教に多少造詣のある人間なら、一度はきいたことがあるだろう。
浄土真宗の宗祖とされる親鸞(しんらん)の言葉である。
(正確にいえば口伝とされる「歎異抄」に出てくる)
親鸞は法然に弟子入りし、後々その教えを継いでいくわけだが、
「法然聖人の教えがまったく嘘で、念仏を唱え続けることで地獄に落ちたとしても、私は絶対に後悔しない」
と発願しているわけである。
信仰は多くの人々にとって、「なぜ人は生きるのか、死ねばどこへ行くのか」といった部分も包括した生活のよりどころである。
本来豊かな「生」に向かうべきものが、民族同士が相反する原因となったり、利害関係にある場合に一層の対立を激化する要因になったりして、不幸きわまりない争いが日々繰り返されている現実がある。
神々によって与えられた信仰というものの二面性が持つ問題を、人類はなかなか解決できないでいる。