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■ 国際派日本人養成講座 ■
モノのいのちとの付き合い方 〜 『人生がときめく片付けの魔法』に学ぶ
このベストセラーは、日本人の心の奥底に眠っていた古来からの生命観を揺り動かした。
■1.『片付けの魔法』に見る日本古来の生命観
近藤麻理恵さんの『人生がときめく片付けの魔法』は130万部も売れて、平成24(2012)年上期のベストセラーとなった本だが、今頃になって読んでみた。本講座で取り上げるつもりではなく、日頃から整理が下手で、周囲にいろいろな物が乱雑に積み上がっているので整理術の参考に、と思って読んでみた次第。
ところが、この本は単なるノウハウ本ではない。大げさに言えば、すべてのモノには命がある、という日本古来からの生命観に基づいて、そのモノのいのちとどうつきあうか、という人生観を論じている。たとえば、こんな一節がある。
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押し入れやタンスの奥にしまわれ、その存在すらも忘れ去られてしまったモノたちがはたして大切にされているといえるでしょうか。 もし、モノに気持ちや感情があるとしたら、そんな状態がうれしいはずはありません。
一刻も早く、牢獄、あるいは離れ小島のような場所から救出してあげて、「今までありがとう」と感謝の念を抱いて、モノを気持ちよく解放してあげてください。
片付けをするとスッキリするのは、人もモノもきっと同じだと、私は思っています。[1,p88]
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「世の中のすべてのものには生命(いのち)がある」というのが、日本人の心の奥底に眠る太古からの生命観だが、この本がベストセラーとなったのは、それを揺り動かしたからであろう。
■2.モノにはすべて役割がある
片付けは不要なモノを捨てることから始まる。しかし、モノを捨てることに多くの日本人は「もったいない」という罪悪感を抱いてしまう。そのためにモノがあふれて整理どころではなくなるのが、片付けが進まない大きな理由である。
モノを捨てることを罪悪と感ずるのは、やはりモノに生命を感じて、それを殺してしまうから、と考えるからである。それを「無駄なモノは捨てるべき」という近代的合理主義では、日本人の罪悪感を拭いきれない。
この点を、近藤さんは次のように説く。
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たとえばあなたの洋服ダンスの中に、買ったけれどもほとんど着なかった服があれば、その一つを思い浮かべてみます。なぜ、その服を買ったのでしょうか。
「お店で見て、かわいいと思ったから、つい、、、」
買った瞬間にときめいていたのなら、その服は「買う瞬間のときめき」をあなたに与えたという役割を一つ、果たしたことになります。[1,p86]
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とすると、その服はすでに自分の役割を果たしている。だから「買った瞬間にときめかせてくれて、ありがとう」といって、捨ててあげればいいのです、と近藤さんは説く。
モノとのご縁は人とのご縁と同じで、すべての人が親友になったり、恋人になったりするわけではない。一期一会(いちごいちえ)のご縁をいただいた人には「ありがとう」と言って別れるのと同様に、買った時のときめきを貰った服にも、「ありがとう」と言って、お別れすればいい、と言うのである。
■3.モノとのご縁
「ご縁」という言葉は、日本古来からの世界観のキーワードである。ヒトもモノもすべてがいのちを持っており、「世の中」はいのちといのちのつながり、すなわち「ご縁」でできている、と太古から日本人は考えてきた。
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あたりまえのことのようですが、モノがおうちにあることって、ものすごいご縁だと思いませんか。たとえば、一着のシャツ。たとえそれが工場で大量生産されていたモノだとしても、あなたがその日にそのお店で買ってきたそのシャツは、世界でたった一つしか存在しません。
モノとのご縁は、人と人とのご縁と同じくらい、貴重で尊い出会いなのです。
だから、そのモノがあなたの部屋にやってきたのには、必ず意味があるはずです。[1,p251]
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その日そのお店で出会った服ががあなたの許にやってきたのは、その時にあなたをときめかせてくれた、という意味があったのである。その意味を果たしてくれたご縁に感謝して、それ以来着なくなった服は、タンスという牢獄に閉じ込めるのではなく、捨てる。それがモノにとっての新たな門出だと、近藤さんは説く。
■4.モノを捨てることはモノにとっての新たな門出
モノを捨てることが、なぜ門出なのか。捨ててゴミ処理工場で燃やされたら、モノのいのちはなくなってしまうのではないか。この疑問に、近藤さんはこう答える。
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すべてのモノは、あなたの役に立ちたいと思っています。モノは、捨てられて燃やされたとしても「あなたの役に立ちたい」というエネルギーは残ります。
エネルギーとなって自由になったモノは「〜さんという、素敵な人がいるよ」とまわりに知らせながら、世の中を回ります。そして、「今のあなた」にとって、一番役に立ってくれるモノ、一番幸せにしてくれるモノとなって、また戻ってきてくれるのです。
それは、たとえば服なら、新しい素敵な服となって戻ってきてくれるかもしれないし、ときには情報やご縁など形を変えて、戻ってきてくれるときもあります。[1,p252]
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合理主義的に考えれば、そんなバカなと思うかもしれない。しかし、物理学的に考えれば、服が焼却されて発生した二酸化炭素が樹木に吸収され、その樹木から紙が作られて、本の形になってまた世間に戻ってくるかも知れない。
世の中をそういう生命の循環と捉えるのが、日本的な世界観である。「七生報国(七度生まれ変わって、国のために尽くそう)」とは楠木正成の言葉であるが、今この肉体が滅びても、やがてその魂が新しい肉体に生まれ変わって、世の中に戻ってくると考える。
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だから、モノを捨てるときは、「あーあ、全然使わなかったなあ」とか「まったく使わなくて、ごめんなさい」というふうに思うのではなくて、「私と出会ってくれてありがとう」「いってらっしゃい! また戻ってきてね」と元気でおくりだしてあげるのが正解です。
いまはもうときめかなくなったモノを捨てる。それは、モノにとっては新たな門出ともいえる儀式なのです。ぜひその門出を祝福してあげてください。
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■5.「心がときめくモノだけを残す」
もう一つ、片付けで難しいのは、何を捨て、何を残すかを決めることだろう。服にしても本にしても、そのうち使うだろうと考えていては捨てるという決心がつかない。その結果、モノがあふれ、整理できない状態となってしまう。
この点に関する近藤さんのユニークな主張は、「モノを一つひとつ手にとり、ときめくモノは残し、ときめかないモノは捨てる」という点である。「心がときめくかどうか」とは、いかにも女性らしい感性豊かな表現だが、これを近藤さんはこう説いている。
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心がときめかない服を着て、幸せでしょうか。
積ん読したままの、心がときめかない本に囲まれて、幸せを感じますか。・・・
答えは「いいえ」のはずです。
こころがときめくモノだけに囲まれた生活をイメージしてください。それこそ、あなたが手に入れたかった、理想の生活ではありませんか?
心がときめくモノだけを残す。あとは全部、思いきって捨ててみる。
すると、その瞬間から、これまでの人生がリセットされ、新たな人生がスタートするのです。[1,p64]
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■6.モノに「お疲れさま」「今日もいい仕事をしたね」
「こころがときめくモノだけに囲まれた生活」とはどんなものか、近藤さんは自分の生活をこう記している。[1,p172]
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仕事を終えて帰宅してからの私の日課は次のような感じです。
カギを開けてドアを開くなり、まずはおうちに向かって「ただいま!」と声をかけます。玄関の三和土(たたき)にある昨日履いて一日置いた靴に「昨日はお疲れさま」と話しかけながら、靴箱に戻し、靴を脱いでそろえたら、キッチンでやかんに火をかけ、寝室へ。
バッグをふわふわムートンのラグの上にそっと置いて、まずは部屋着に着替えます。着ていたジャケットとワンピースをハンガーにかけつつ、「今日もいい仕事したね」とねぎらい、・・・引き出しから部屋着を気分に合わせて選んで着替えたら、窓際にある腰くらいの高さの観葉植物にも「ただいま!」と葉っぱをなでなで。
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こうして大切にされるモノは光っている、と近藤さんは言う。
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愛する人ができた女性は、彼から受ける愛情そのものはもちろん、自分が愛されているという自信や、彼のためにもっときれいになろうと努力する気持ちがエネルギーとなり、肌はつやめいて瞳はキラキラと輝きを増し、どんどんきれいになっていきます。
モノも同じように、持ち主の愛情ある眼差しを受けてていねいに扱われることで、「この人のために、自分の役割をもっと頑張って果たそう」とエネルギーにあふれ、いきいきと輝きを増していくのです。[1,p262]
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■7.モノと心の通う幸福な生活
モノに「お疲れさま」「今日もいい仕事をしたね」と声をかけるのは、我々の生活をモノが一生懸命支えてくれているからである。
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一流のスポーツ選手が道具を神聖なモノとして扱い、ていねいに手入れをし、大事にするというのはよく聞く話です。きっと彼らは自然に、そうしたモノの力というものを感じているのだと思います。
だとしたら、特別な仕事道具じゃなくたって、服もバッグもペンもパソコンも、ふだん使っている一つひとつのモノ全部を大切に扱えば、あたりまえの毎日に心強い助っ人が一気にできるようなもの。・・・
私達が意識していなくても、モノは本当に毎日、持ち主を支えるためにそれぞれの役割を全うしています。一生懸命私たちのために働いてくれているのです。[1,p224]
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「片付け」とは、すでに役目を終わったモノには新たな門出をして貰い、残された「心ときめくモノ」との心の通う生活を実現することなのである。
■8.忘れていたモノの命との付き合い方
法隆寺は1300年以上も前に建立された現存する世界最古の木造建築である。その法隆寺に代々仕えてきた宮大工・西岡常一棟梁によれば、木には二つの命がある。[a]
自然の中で生育している間の樹齢と、用材として生かされている間の耐用年数と。そして自然の木のいのちをいただいて、新しい用材としてのいのちを与えるのが、大工の役目だという。
そして宮大工は建物を建てる時に祝詞(のりと)をあげる。
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わたしたちはお堂やお宮を建てるとき、「祝詞(のりと)」 を天地の神々に申上げます。その中で、「土に生え育った樹々のいのちをいただいて、ここに運んでまいりました。これからは、この樹々たちの新しいいのちが、この建物に芽生え育って、これまで以上に生き続けることを祈りあげます」という意味のことを、神々に申し上げるのが、わたしたちのならわしです。 [3,p53]
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木々にお宮という新しいいのちを与えることを誓う西岡棟梁の心持ちは、おうちに向かって「ただいま」と挨拶する近藤さんの心根に通じてる。
モノが溢れる中で、我々は先祖から伝えられた一つひとつのモノのいのちとの付き合い方を忘れてしまっていた。しかし、忘れた事は思い出せる。近藤さんの本が130万部ものベストセラーになったのは、日本人の心の底で眠っていた生命観を揺り動かしたからであろう。
そしてその「モノのいのち」という生命観を思い出せば、「物質文明か精神文明か」という二分法は単純すぎることに気がつく。モノのいのちを大切にし、モノとの付き合いが心の豊かさを生む文明を我が先人たちは育んできたのでである。
(文責:伊勢雅臣)