昨夜は、KさんとY君と3人で夜の街で活動してきた。
最近私の仕事が終わるのは、早くて22時くらいだから深夜の宴会である。
Kさんは韓国人だが、少しだけ日本語が話せる。
私とY君は、日本語と英語を織り交ぜて離す。
多少韓国語の単語でも覚えればいいのだが、いつまでたってもあいさつ程度しか覚えられない。
そこそこ英語頭にはなれるのだが、バイリンガルは難しい。
生きている間に出会う人は、前世多少ならずとも縁があった人だという説がある。
縁の薄い人は、学生時代だけの関係であったりするし、縁の深い人はつかず離れず長い期間付き合うということか。
今生、私がそこいらのの人に迷惑をかけていても、皆目をつぶってくれていたりするのは、
「もしかして、私が前世に彼らをすごく助けたのか」
などと、身勝手に考えたりもする。
まあ、それに甘えるのは許されないので、それなりに恩返しもしながらやっていかないといけない。
縁と言えば、最初に腹ごしらえに入った店でも、高校の後輩が後から入ってきていて、ついたてで隔てられた隣の席に座っていた。
4年ほど前、ちょっとしたネット上のつながりから連絡を取ったのだが、それ以来不思議な縁が今も続いている。
国を超えての付き合いは、結構大変な部分もある。
ちょっとした言葉の行き違いで、相手がすごく不機嫌になってしまう場合もあったりして、以前英国人相手にこれをやってしまい、失敗したことがある。
その点、Kさんや同じ韓国人のMさんは、あまりそういったことに気を遣わなくていい。
二人とも日本人との付き合いが多いし、あちらこちらで苦労してきているので寛容である。
昨年、韓国に行った折り、Mさんに
「明日時間あったら会おうよ」
と電話して、翌日イテウォンで昼間から一献傾けたときは、
「なんかこれもこれですげーな」
と、自分ながらに思った。
Mさんを待つ間、米軍キャンプと坂の街・イテウォンをかなり歩き回ったが、
「こういった場所にも縁があったのかな」
などとも考えた。
Mさんとも最初の頃は、お互いを理解できない部分があり、多少の誤解や衝突はあった。
月日を重ねるうちに、お互いの性格やそれぞれの国の文化を吸収したので、今は何のわだかまりもなく話せる。
酒席はY君のおかげで、実に楽しかった。
私より若い分、あちこち回っているのだろう、深夜でも開いている色々な店を知っている。
掟のように同じ場所でしか飲みたがらない私とはえらい違いだ。
加えて、フィニッシュラーメンが当然の世界。
しかし、なぜ我々は、最後にラーメンだけ黙って食べて帰ればいいものを、ビールとか餃子とかを頼もうとするのだろう。
酔っている勢いとはいえ、不思議だ。