注)以下はメールマガジン「国際派日本人養成講座」からの引用です。
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No.739 気は優しくて力持ち 〜 自衛隊の人づくり
自衛隊員たちは、被災地の過酷な環境の中で、なぜこんなに優しくできるのか。
■1.自衛隊員たちの優しさ
「俺、自衛隊に入る」、ポツリとその小学生は言った。「なぜ」と聞かれて、こう理由を語った。
津波に呑み込まれた父親が帰ってこないかと、と毎日、ずっと海を見つめていたところ、若い自衛官に声を掛けられた。そこに佇(たたず)む理由を話すと、その自衛官は何も言わずに肩に手を置いて、しばらくの間、一緒に海を見てくれたのだという。[1,p83]
被災地で救援に従事している自衛隊の一隊が、ある学校のそばを通りかかった時、先生から「どうしても金庫にしまった成績表を引き上げたいんです」と頼まれた。子供が行方不明のままの親御さんに、せめてもの形見にしてあげたいという。
泥沼の中から金庫を取り出すのは至難の業だったが、小隊全員でなんとかやり遂げた。そこに視察中の上官が通りかかった。小隊長が慌てて、「すみませんでした。今後は捜索に集中しますので、今回だけは見逃してください」と懇願したところ、「素晴らしいことだ」と逆に褒められたという。[1,p82]
毎日、朝から晩まで、被災者たちの救援で大変な毎日だったのに、自衛隊諸士はなぜこんなに優しくなれるのだろう。
■2.細やかな心遣い
お腹をすかせている被災者を見かねた自衛隊員が、自分の分の食糧をこっそりと配っていた。被災者たちも「本当にもらっていいんですか? あなたの食べる分がなくなってしまうのではないですか?」と何度も確認したそうだが、自衛隊員たちは必ず笑顔を浮かべて、「しっかり食べていますから、大丈夫です」と答えたという。
厳密に言えば、自衛隊の食糧を流用したという意味でルール違反なのだが、目の前で苦しんでいる被災者をなんとしても救いたい、という純粋な気持ちから起こした行動であり、上官たちも見て見ぬふりをしていた。
また食事をする際にも、「被災者の目に触れない場所で食べること」というルールを守っていた。行方不明となった家族を必死に探している人が、自衛隊員たちが腰を下ろして食事をしている所を見たらどう思うか、という心遣いからだ。
しかし、すべてを津波で押し流された被災地では、車の中くらいしか、隠れて食事をできる場がない。そして、その車はつい今し方まで遺体を運搬していた、という事もしばしばであった。
避難所では、自衛隊の持ち込んだ風呂が喜ばれた。もともと1個師団につき二つずつ配備されているものだが、それを被災者に提供した。テントの入り口にのれんをかけて「○○の湯」と、その部隊所在地の名前を書き込むだけで、被災者は体だけでなく、心もホッと温まる。
しかし、もともと隊員用なので、かなり湯船が深くなっているため、入る際の段差が高く、お年寄りには大変だった。そこで、すかさず隊員たちは、あり合わせの材料でお年寄りのための階段と手すりまで拵えて、誰でも入れるバリアフリーの風呂に変身させた。女湯では、女性隊員たちも一緒に入浴して、被災者のお世話をしたり、避難所での悩みに耳を傾けた。
過酷な環境に中で、自衛隊諸士は、なぜこんなに細やかな心遣いができるのだろう。
■3.過酷な環境と使命の中で
こうした優しさや心遣いは、思いやりのある人なら誰でも出来るだろう。しかし、災害地で自衛隊の置かれた過酷な状況と使命を考え合わせたら、それが到底、常人のなせる業ではないことに気がつく。
朝は6時頃から日没までは、ひたすら救援・捜査活動をする。瓦礫の下に行方不明者が残っている可能性があるから、ビルの工事現場のように、重機で瓦礫を一気に取り除くことなどできない。行方不明者や遺体を捜索しながら、手作業で慎重に瓦礫を一つ一つ除去していく。
遺体が発見されると、できる限り丁寧に収容することを心がけているが、担架などないから、背負って収容所まで運ぶ。戦闘服には腐敗した体液がべっとりついて、大変な悪臭を放つ。しかし、事業仕分けの影響でほとんどの隊員が2着しか戦闘服がないため、消臭スプレーでなんとかごまかすしかない。
また自分の子供と同じくらいの年格好の子供の遺体を収容するのは、特に精神的にストレスが大きい。一日の作業終了後には、隊で車座になって、その日一日の苦しみ、悲しみを吐き出したという。
暖かい食事を作る炊事車はあるが、被災者の食事を優先するので、多くの場合、乾パン、缶詰、カレーなどのレトルト食品だけとなる。こういう食事を、しかも不規則な時間に、かつ被災者に見られないように素早くとっていると、野菜不足もあいまって、ひどい便秘や口内炎に悩まされる。
また、上述のように、風呂も被災者に提供しているので、隊員たちは当初は汗ふきタオルで済ましていた。
こんな毎日が数ヶ月も続いたら、通常の人はそれだけで病気になるか、ノイローゼになってしまうだろう。そんな状態の中で、我々は、海に佇む少年の肩を抱いてやったり、成績表の入っている金庫を泥沼から引き上げたりすることが、出来るだろうか。なぜ自衛隊員たちには、それができるのか。
■4.「強くなければ優しくなれない」
その秘密を、かつてイラク支援の「ヒゲの隊長」として名を馳せた自衛隊OB佐藤正久氏(現・参議院議員)[a]は、「強くなければ優しくなれない」として、こう説明している。
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結論から言いますと、「もっと過酷な条件下で訓練しているから」に尽きます。
基本的に自衛隊員たちは、朝6時に起床すると、そのまま夕方までハードな肉体錬成や各種訓練に明け暮れます。そして、すべての訓練が終わると、それぞれクラブ活動として野球やサッカーなどのスポーツにも励んでいます。
つまり、一日中、野外で立ちっぱなし、動きっぱなし、というのは自衛隊員にとって特別なことではないのです。
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こうした日々の鍛錬に加えて、時には「3日間で100キロ歩く」という行軍を行う。背中には20〜30キロの荷物を背負い、さらに機関銃やロケット砲などを持って歩く。夜も交代で歩哨をする。
こうして100キロ踏破して目的地に着くと、そこから本番の演習が始まる。
こうした極限状態を体に覚え込ませることで、どんな厳しい状況に置かれても耐えていける体力と精神力が身につく。
■5.集団生活から育つ「自己犠牲の精神」
しかし、いくら体力と精神力が強くとも、人間としての優しさは別問題である。それはどこから来るのか? 佐藤さんは常に集団生活をしていることで、そういう心が育っていくと説く。[2,p123]
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集団生活を維持していく、と言うと「切磋琢磨して成長し、ついてこられない者は切り捨てる」と勘違いされる方が多いようですが、実際にはまったく逆です。つまり、一番能力が低い人間にグループ全体に基準を置くのです。・・・
全体を底上げしようとしたら、いかに能力が低い人間をフォローし、その人間の力を引き上げるか考えなくてはいけません。これ自体が、なんでもできる人間にとっては苦痛を伴う我慢になります。
そういったことを繰り返していくうちに、自然と仲間のために自分を殺してフォローに回るという『自己犠牲』の精神がしっかりと心に刻まれていくのです。
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この自己犠牲の精神から、「困っている人がいたら、理屈抜きで助ける」という優しさが出てくる。
■6.「自衛隊は教育の場でもある」
佐藤氏は「自衛隊は教育の場でもある」と指摘している。入隊した時点では、尖ったり、やたらと威張ったりしている連中も多いが、入って3日で変わるという。[2,p134]
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とにかく最初に床屋に連れていってバリカンで丸坊主にするわけです。そうすると面白いもので、さっきまであんなに威勢の良かった連中に限ってシュンとなってしまう。・・・
実際の話、入隊式の段階で父兄の方が『本当にあれが暴れん坊だった我が息子か?」と目を疑ってしまうほど、最初の3日で変わってしまう。もっとも、この時点では上っ面だけの変化なのですが。
・・・大きく変わるのは10人単位のスモールグループで集団行動を始めるからでしょう。修了式ではもう別人です。
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もちろん、体を鍛えたり、人間修養の教育ばかりではない。必要な各種の技術を習得するためのクラスはいくらでもある。
■7.9月入学前に「自衛隊での訓練を受けよ」
立命館大学教授の加地伸行教授は、国立大学の9月入学に賛成して、3月の高校卒業から、9月入学までの半年間は自衛隊での訓練を受けよ、と主張している。[3]
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国立大学の教員・学生は、いったいだれのお蔭(かげ)で研究・教育の場を与えられているのか、分かっているのか。もちろん国民の血税のお蔭ではないか。とすればまずは国家に感謝し国家のために尽くすべきである。・・・
とすれば、国立大学男女新入生(私学も希望者参加)は、まずは国防の大切さを実感するために、自衛隊において、将校でなく一兵卒として諸訓練を受けよ。そして受験勉強で柔(やわ)になった身体や世間知らずの小理屈を敲(たた)き直せ。
半年、行軍・柔道剣道・水泳などで身体を鍛え、救命方法やクレーン車を動かせるまでの技術を学び、合宿中多様な友人を作り、国家とは何かを談じ合い日本人の自覚を持て。
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大学生たちが、こういう形で、強い体力と精神力、自己犠牲の精神とそれに支えられた優しさ、日本人としての自覚をもったら、将来の日本も大きく変わるだろう。
弊誌は、さらに新卒者で就職先が見つからない若者たちに、一定期間、自衛隊での教育訓練を受けさせる事を提案したい。自衛隊で、強い体力、精神力、技術力、優しさを身につけた若者たちは、企業にとっても貴重な戦力となるし、一朝、事あるときには予備自衛官として駆けつけることができる。
一人あたり給与と経費で年間400万円、5万人対象としても、年間2千億円で済む。高校無償化などに5千億円も使うよりは、はるかに大きな人材育成効果が期待できる。そして年に5万人の予備自衛官を育てることができれば、10年で50万人。大規模災害でも、十分な人数となる。
■8.津波や原発事故以上に悲惨な事態を抑止するには
自衛隊での教育の本質が、極限状態での体力と精神力の鍛錬、そして集団生活で学ぶ「自己犠牲の精神」にあると述べたが、それはまさしく、ゆとり教育と行き過ぎた個人主義で歪められた戦後教育とは対極のものだ。
元学生運動家で戦後教育の申し子とも言うべき菅前総理は[b]、震災時に自衛隊諸士とは対照的な行動をさらけ出した。防衛省に打診することもなく、出動人員を当初の2万人から、翌日12日には5万人、さらに13日夜には10万人に倍増させると発表したのである[c]。
この時点でなすべき事は、詳細な現状把握をベースに、どれだけの部隊をどこに派遣すれば、国民の生命を最大限救えるか、という戦略であり、現状把握も救出戦略もないままに、単に動員員数だけをアピールすることではなかった。
これは明らかに政治家としてのスタンドプレーである。すなわち総理の権力を乱用して、自己のアピールのために自衛隊を利用したわけで、そこには被災者への思いやりも「自己犠牲の精神」のかけらもなかった。
さらに菅前首相の思いつきの動員により、24万人中、10万人の自衛官が出動した結果、本来任務の領空、領海、領土警備が交代要員もない、手薄な状態になった事を忘れてはならない。
その隙を窺って、中国のヘリが海上自衛隊の艦船に異常接近したり、ロシアの戦闘機が我が領空に接近したりしてきた。こういう状況下での我が国の国防態勢を偵察したのだろう。こんな隣国に我が国は囲まれているのだ。
戦後教育の悪弊の一つは、国防の大切さを考えさせない、という点にあったから、その申し子たる菅前総理も、10万人を動員したら、国防の最前線がどうなるかは、念頭になかったと思われる。
地震や津波と違って、他国の侵略や核ミサイル攻撃は、事前に抑止、あるいは撃退することができる。北朝鮮のゲリラ軍が津波のように押し寄せる前に、あるいは中国の核ミサイルが原発事故以上の惨状をもたらす前に、十分な備えを見せることによって、そうした事態を予防できる。
民主党が「国民の生活が第一。」と信ずるなら、まずは津波や原発事故以上に悲惨な事態を抑止することを第一に考えなければならない。そして、この国防こそが自衛隊の本来任務なのである。
事業仕分けで戦闘服を2着しか持てないというような政治をしていては、強くて優しい自衛隊諸士の足を引っ張るだけである。
(文責:伊勢雅臣)