5月のカレンダーが終わると毎年、
「6月と言えばあの日だな」
と思う。
平成2年6月8日、三沢光晴が初めてジャンボ鶴田にシングルで、返し技という不完全な形ながらもフォール勝ちした日である。
若林アナの名実況による映像を当時何度も繰り返して見ていた。
この試合の数週間後、三沢へのインタビューを中心とした試合中継ではない特別回が放映されたことが、かなりインパクトのある出来事だったことを表している。
その後、短期間ではあったが名勝負を重ねた二人はもうこの世にいない。
日本の各団体でも活躍したベイダー選手が亡くなった。
ベイダーハンマーだけでもすごかった。
さらに訃報でいうと、つい先日図書館に立ち寄った際に、スポーツコーナーで泉田選手のノア崩壊時の話の本を読んだ。
泉田純名義だったかと思うが、私にとっては泉田竜舞のほうが印象に残っている。
帰宅して、当時のノアについてネットを見ていたところ、昨年1月に泉田選手が亡くなっていたのを知った。
当時のニュースは完全に見逃している。
本を読んでいるときに、性格的に私に似ている部分もあるなと思っていたりしたので残念だった。
その本にたびたび登場する永源選手も一昨年鬼籍に入っている。
こういったことに接するのが多くなることも、年を取るということの中のひとつなのだろう。