一時期スポーツ系のウェブニュースのタイトルの中に「ノールック○○」と入れるのが流行した時期があった。
そうしたニュースを見るたびに、ライターは知らないのかもしれないが、こんなことは何十年も前から小学生でもやっていることなので、あたかも最近の高度な技術のように書くのは自ら無知だと言っているようなものなのでよした方がいいとコメントを入れまくっていたら、いつの間にかほどんど見なくなった。
私もバスケットを長くやっていたので、職業病のような形で車の運転中や自転車に乗っているときは何となく全体を見ている。
視野が広いと表現すればよく聞こえるが、これにはデメリットもあって、例えば進行方向左側前方に何か動くものなどを感知すると、早めに右によけてしまうことがあり、右側の見えないところから飛び出してこられたり、予想外のスピードで前方から進んできたりされた場合にヒヤっとすることが年1回ほどある。
何事もほどほどがいいようだ。
最近、休みの日も自転車に乗る余裕はあるのだが、何か日常的に時間の圧迫感がある。
少し考えてみたのだが、何に時間を割かれているかというと日常的な家事が圧倒的に多く、7月ごろまで私より家人のほうが帰宅が遅かったため、一手に私が引き受けていたからである。
しかしながら、その後、帰宅時間は逆転しているのにも関わらず、何となくそれまでのペースで私が家事をし続けている。
その中で時間の大部分を占めるのが、家人が何の考えもなく買ってくる食材の調理。
私と違って、冷蔵庫やそこらにある材料の管理がまったくできないので、先週の残りがあっても無くても毎週同じ材料を、また自分では調理する予定もない、または調理できないのに買ってくるものも多い。
これらについては、何度言ってもわからないので、もう治らないだろうと思いつつ、私の責任ではないので、今後は外観で賞味期限が過ぎたら目の前で廃棄したりすれば、今更ながら多少はましになんじゃねと考える。