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「日本人の精神にはまだ清冽な地下水が流れている」(国際派日本人養成講座から)

注)以下はメールマガジン「国際派日本人養成講座」からの引用です。
興味のある方は、メールマガジンを受信すれば、定期的に読むことが出来ます。


■ 国際派日本人養成講座 ■


「日本人の精神にはまだ清冽な地下水が流れている」



■1.「なんという微妙精巧な宇宙のバランス」

 最近、読んだ本の次の一節に驚かされた。

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 数年前、宇宙物理学者桜井邦朋(くにとも)氏から聞いた話である。

 太陽の中心核では水素が融合してヘリウムをつくっているが、そのプロセスで水素の質量の0.7パーセントがエネルギー転換して放出され、それによって太陽は輝いている。

 これが0.71パーセントでも0.69パーセントでも宇宙はできない。0.71パーセントだと星の進化のスピードがもの凄く速く、水素を使い尽くし、太陽は既にない。0.69パーセントだと進化のスピードが遅くなりへリウム結合ができず、137億年経ったいまも炭素はつくられていない。つまり、生命は生まれていない。

 なんという微妙精巧な宇宙のバランス。一体いかなる意志が働きいて、この奇蹟が実現しているのか。まさに神秘的としか言いようのない物理的事実の上に人間の生命は存在している。[1,p10]
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■2.「体も心も全部、天地宇宙から借り受けたもの」

 致知出版社社長・藤尾秀昭氏の最新刊『ポケット修養訓』の一節である。人間の生き方を説く『修養訓』に、こんな最新の宇宙論が入っている点が、いかにも日本的だと感じた。欧米の修養論なら、キリスト教べったりの説教か、あるいは逆に世俗的な処世術となってしまうところだ。

 日本人の理想とする生き方の根底には、古代から続く宇宙観、自然観、生命観が地下水のように流れていおり、しかも、それらは現代科学とも相性が良い。本書にも、その地下水脈が所々、泉のように湧き出ている。たとえば、以下の一節だ。

__________
 若い社員に時折する話がある。

「みなさんは、自分の体を自分のものと思っているが、自分で作ったものなど一つもない。体も心も全部、天地宇宙から借り受けたもので、時間がきたら返さなくてはならない。天地から借りている、この自分という場をまず照らさないと、周りなんか照らせない。一隅を照らすとは自分自身を照らすことだ」[1,p13]
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 宇宙には何らかの「意思」が働いており、その宇宙が自分に、この身体を貸し与えてくれた。こう考えれば、「自分の身体なのだから、どうしようと自分の勝手だ」とは言えなくなる。

 身体だけではない。素質や能力も与えられたものである。

__________
 人は誰でもそれぞれに、天から与えられた素質能力がある。これを「命(めい)」という。自分はどういう命を与えられているのか。それを知ることが「知命(ちめい)」である。知って、それを完全に発揮していくことが「立命(りつめい)」である。----安岡正篤師の言葉である。[1,p148]
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 安岡正篤(まさひろ)師は、「昭和の哲人」として弊誌でも紹介した[a]。宇宙を、古人は「天」と呼んだ。天が自分に与えた「命」が「天命」である。天命に従って生きることが、人間の生き方の理想である、と古人は考えた。

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■3.「天はかならず助けてくれる」という信頼

 天命に従って生きていれば、天はかならず我々を助け、報いてくれる、という素朴な、しかし強靱な信頼を古人は持っていた。

 明治初期に陶器などのアメリカへの輸出を切り拓いて、国家に尽くした森村市左衛門も、天への信頼をこう語っている。

__________
 人は正直に全心全力を尽くして、一生懸命に働いて、天に貸してさえおけば、天は正直で決して勘定違いはありません。人ばかりを当てにして、人から礼を言われようとか、褒められようとか、そんなケチな考えで仕事をしているようでは、決して大きなものにはなりません。

 労働は神聖なもので、決して無駄になったり骨折り損になどならない。正直な労働は枯れもせず腐りもせず、ちゃんと天が預かってくれる。どしどし働いて、できるだけ多く天に預けておく者ほど大きな収穫が得られる。

私は初めからこういう考えで、ただ何がなしに天に貸すのだ、天に預けるのだと思い、今日まで働いてきたが、天はいかにも正直。三十年貸し続けたのが、今日現にどんどん返ってくるようになりました。[1,p17]
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 市左衛門はこの考えで天に貸しを作り、天は現実に、ノリタケ、TOTO、日本碍子、日本特殊陶業、INAXなどの優良企業という形で、貸しを返してくれたのである。[b]


■4.「天から与えられる天職なんかない」

 それでは、天が自分自身に与えた天命とは何かを、どうやって知ることができるのか。藤尾氏はこう説く。

__________
 「天から与えられる天職なんかない」
 天職というのは天から職業を与えられるものだと思つている人が多いでしょう。違うんです。天職というのは自分が今やっている仕事なんです。「これが天職だ」と思った瞬間に、その仕事が天職になるんです。[1,p161]
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 天職とは「天から与えられるもの」と考えて、ただ待っているだけの者には天職はやってこない。目の前の仕事をつまらないと思って、それをおろそかにしている間は、何度、転職しても天職は見つからない。

「小さなことを積み重ねることが、とんでもないところへ行くただ一つの道」だとはイチローが2004年に年間257安打という大リーグ記録を84年ぶりに更新した時に語った言葉である。[1,p140,c]

 野球はまさにイチローにとっての天職だが、それは天から勝手に降ってきたものではない。小学6年生の時の作文には「3年生の時から今までは365日中360日は激しい練習をやっています」と書いている。

 高校3年生夏の甲子園予選では決勝で敗れ、ドラフトで4位指名してくれたオリックスでも最初の2シーズンは1軍と2軍の間を3回も往復した。ここで投げ出していたら、野球はイチローの天職にはならなかったろう。[d]

 オリックスに入団した当初、「なぜそんなに厳しいトレーニ ングを自分に課しているのか?」と聞かれて、「僕を獲ってくれたスカウトの方に失礼があってはいけませんから、、、」と答えている。

 イチローは自分を指名してくれたスカウト三輪田勝利氏に感謝し、三輪田氏が亡くなった後も、毎年のシーズンオフには墓をお参りして、感謝を新たにしていた。その思いで、一生懸命バッティングや守備の小さな工夫を積み上げていくうちに、いつのまにか大リーグで大記録をうち立てる選手になっていった。

 藤尾氏の言う通り、天職とは天からある日、勝手に舞い降りてくるものではない。日々、目の前の小さな仕事に打ち込んでいるうちに、「これが自分にとっての天職だったのだ」と発見するものだろう。


■5.「誠心誠意を尽くす時」

 イチローの生き様を見れば、次の言葉も自然に納得がいくだろう。

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「至誠(しせい)神の如(ごと)し」ともいう。誠心誠意を尽くす時、人間業とは思えない、さながら神の仕業(しわざ)のようなことが出現するというのである。胸に刻むべき人生の法則である。[1,p169]
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 イチローが大リーグに登場した2001年、身長175センチ、体重73キロの体格では大リーグで通用するはずがない、と見られていた。しかし、その年、首位打者(3割5分)と盗塁王(56盗塁)を同時に獲得。大リーグでも51年ぶりの快挙だった。守備でも失策わずか1個でゴールドクラブ賞を獲得。

 イチローよりも、体格でも才能でも、より恵まれた選手は大リーグにはゴロゴロしているだろう。イチローのこの「神の仕業」とは、体格や才能がもたらしたものではないことは明らかである。イチローの少年の頃からの「神の如」き至誠が「神の仕業」をもたらしたものだと考えざるを得ない。


■6.「素直な人が伸びる」

 藤尾氏は、雑誌『致知』の取材を通じて、それぞれの世界で一道を切り拓いてきた人々と出会った。

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「どういう人が伸びますか」
 という質問に、職業のジャンルを越え、その道の頂点を極めた人たちが一様に答えたのは、
「素直な人が伸びる」
というシンプルな言葉だった。即ち、素直な人でなければ運命を伸ばすことはできないということである。[1,p180]
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 目の前の仕事に対して「こんな雑用をやらされていては出世できない」とか「俺の才能は、こんなつまらない仕事では発揮できない」などと余計なことを考える人は「素直な人」ではない。

 与えられた仕事に一生懸命取り組み、失敗して叱られたら「次はどうしたら、うまくできるか」と一心に工夫し、何かアドバイスを受けたら、喜んでその通りにやってみよう、とするのが「素直な人間」である。それはそのまま「誠心誠意」であり「至誠」である。

 どういう分野でも、そういう「素直な人が伸びる」し、そういう人が自分の天職を見つけていく。それは一つの道で大成した人々が体験を通して得た法則である。


■7.「真の楽しみ」

 与えられた仕事に誠心誠意、取り組んでいくというのは、決して苦しい道ではない。藤尾氏は言う。

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 名人達人の域に達した人たちが等しく抱く感慨がある。

「精進(しょうじん)の中に楽(らく)あり」

 人生の真の楽しみは、ひたすらな努力、精進する中にこそ潜んでいるということである。それはレジャー、娯楽から得る安逸な楽しみよりもはるかに大きく深い、人間の根源から湧き起こる楽しみである。

 その楽しみを知つているのが名人達人である、とも言える。[1,p111]
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 先哲の多くは「真の楽しみ」を「真楽(しんらく)」という言葉で表してきた。

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 何事であれ対象と一体になった時に生命の深奥から、湧き上がってくる楽しみが「真楽」である。物事に無我夢中、真剣に打ち込んでいる、まさにその時に味わう楽しさが真楽なのである。

 人生の醍醐味(だいごみ)とは、この真楽を味わうことに他ならない。[1,p152]
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 この真楽こそ、天職に至誠を持って取り組んだ人への天からのご褒美であり、人間から見れば真の幸福なのである。


■8.「日本人の精神にはまだ清冽な地下水が流れている」

 我が先人たちが信じ、実践してきた修養論とは、かくも簡明にして味わい深く、しかも誰でもが自分の人生の中で実践しうるものであった。

 藤尾氏の『ポケット修養訓』は、その簡明さそのままに簡潔で、ポケットに入れて仕事の合間にも気になった章句を読み直すことができる。

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 日本人の精神にはまだ清冽な地下水が流れている。この水を清冽なまま次代に引き継いでいくのが、先に生きる私たちの使命である。[1,p99]
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 藤尾氏が38年前に月刊誌『致知』の発刊に取り組み、今また、この『ポケット修養訓』を出版した志はここにあるのだろう。

『致知』の創刊時、「こんな固い雑誌は誰も読まない、といわれたものです」と藤尾氏は回想する。そんな「固い雑誌」がいま読者10万人を超え、また『致知』を社員教育の一環として取り入れた会社も1千社を超えるという。

 いまだに日本人の心の奥底に流れている「清冽な地下水」に、多くの読者、企業が気づき始めたという事だろう。
(文責:伊勢雅臣)
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