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うでどけいぱーふぇくと入門



パラパラ見るにはいいかなと思って借りてきた。

よくありがちなカタログ本的な雰囲気はいなめないが、これはこれでよしとしましょう。


この本とは別に、時計の修理方法を探してて見つけたページ

なんか色々とすげえ(笑)

昔、高い時計を買おうと思って色々調べてたとき、リダン(要するに塗り直し)の文字盤は評価が低くて安かったんだけど、ここは再生に重点を置いてるので、ちょっと意味合いが違うか。

個人的にはこういう仕事結構したかったかも。

まあキズとかは思い出として消して欲しくない人もいるらしいけどね。


注)このショップを薦めているわけではないのでご利用は自己責任で






書いた人 nippon | comments(0) | - |




なぜ料理カウンターは日本にしかないのか(国際派日本人養成講座から)

注)以下はメールマガジン「国際派日本人養成講座」からの引用です。
興味のある方は、メールマガジンを受信すれば、定期的に読むことが出来ます。


■ 国際派日本人養成講座 ■

その理由を探っていくと、日本の奥深い「料理人道」が見えてくる。


■1.なぜ料理カウンターは、日本にしかないのか

 寿司屋や小料理屋、そば屋などでのカウンター席は、わが国ではどこにでもある、ありふれた形式である。しかし、伊藤洋一氏の『カウンターから日本が見える』によると、酒を飲ませるバーカウンターは世界のあちこちにあるが、カウンターで料理を食べさせる形式は日本にしかないという。

 たしかに筆者も、欧州、北米、南米、北アフリカ、東南アジア、インド、中国、韓国などでレストランに入ったが、カウンター形式の店は一度も見たことがない。すべて、料理は別室のキッチンで作られ、客のいるテーブルに運ばれてくるという形式である。

 ハンバーガーショップなどにはカウンターがあるが、それは商品を手渡すところであって、客はテーブルに座ったり、壁に面したカウンター席で食べたりする。どうせカウンター席に座るなら日本の立ち食いそば屋のように、対面のカウンター形式にしても良いと思うが、絶対にそうはしない。

 なぜ料理カウンターは、日本にしかないのか。その理由を探っていくと、日本の奥深い文化的特質が見えてくる。


■2.カウンターに挑戦する「20世紀最高の料理人」

「なぜ料理カウンターは日本にしかないのか」、この疑問をひもとく鍵になるのが、「20世紀最高の料理人」と呼ばれるフランスのジョエル・ロブション氏である。

 ロブション氏は1996(平成8)年、パリの3つ星レストランをたたみ、2003(平成15)年4月に開いた東京・六本木の店ではカウンター形式を取り入れた。なぜロブション氏はカウンター形式のレストランを始めたのか、その理由をこう語っている。

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 1人数万円相当を払って、かしこまって食べる。そんな店にどこか飽き足らなかった。私自身がくつろげる店を作りたかった。盛り付けなどに注いでいた神経を、お客さんと楽しく過ごすことに使いたい。

新店のテーマは懇親性。約50のカウンター席では、客と料理人が食材を挟んで向かい合い、気軽に語り合える。このタイプの店を世界展開する考えだ。

 ヒントは寿司屋にあった。15年ほど前、東京・銀座の老舗(しにせ)「すきやばし次郎」に、友人の料理評論家・山本益博氏に連れられて行った。驚いた。魚の生臭さが漂わない。清潔。

客と会話しながら、目の前の食材をメーンディッシュとして供する。すべてが新鮮だった。来日のたびに通った。[1,p144]
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■3.料理人が「お客さんと楽しく過ごす」

 ロブション氏の言う「客と料理人が食材を夾んで向かい合い、気軽に語り合える」のは、カウンターならではの特徴だろう。

 フランス料理や中華料理などテーブル形式のレストランでは、料理人はキッチンに籠もり、客とは断絶されている。料理人がどれほど腕を振るっておいしい料理を作ったとしても、客の喜ぶ顔を直接見る機会はほとんどないのだ。

 有名なシェフがテーブルを回って挨拶をすることはあるが、それも短時間のことで、客が自分の料理をどう食べるかを観察することはできない。

 カウンターなら自分の包丁さばきにお客さんが見とれたり、そうして作った料理を、目の前でお客さんがおいしそうに食べる様子を目の当たりにできる。客がお世辞など一言も言わなくとも、料理人名利に尽きるであろう。

 またお客と話を咲かせるのも、カウンターならではのことである。料理人が食材や調理法の蘊蓄を語り、お客が「へえー」などと聞き入る事も多いだろう。キッチンで、黙々と料理を作っているのに比べれば、料理人にとっては至福の一時に違いない。

 職人としての誇りある料理人ほど、そうした達成感を求めるだろう。「20世紀最高の料理人」が新しくカウンター形式の店を作ったのも、そうした職人としての誇りと満足のためだとすれば、よく理解できる。


■4.「仕事に対する厳しさとは、仕事に敬意を払うこと」

 しかし、いくら料理人がカウンターを望んでも、客の方でそれを受け入れる土壌がなければ、店は流行らない。たとえば客が、料理人などは下の階級だと見下し、近寄りたくもない、と考えたら、「客と料理人が気軽に語り合える」世界は実現しない。

 料理人と客が対等に親しく話す、というのは日本人には当たり前だが、世界のほとんどの国では当たり前ではないのである。

 ロブション氏がカウンター形式の店を東京に作った事に関して、「なぜ東京に」という質問に、「日本人は仕事に対する厳しさがあります」と答えて、こう説明している。

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 76年に初めて来日した時、空港でエスカレーターの手すりをふいている人を見て驚きました。他国では絶対に見られない光景です。タクシーに乗ってもとてもきれいだし、街並みも、道行くトラックもピカピカ。

突撃隊みたいな料理人も知っています。やけどだらけなのですが、そんなこといわずに料理に突進して、またやけどする。そんな例は、挙げたらきりがありません。

仕事に対する厳しさとは、仕事に敬意を払うこと。それは自分の将来にも敬意を払うことです。15歳で料理の世界に入って以来、ずっと、仕事への厳しさを教えられてきました。日本人も同じような考え方であることを知った時は、うれしく思いました。[1,p146]
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 厳しい道を歩んできた職人を尊敬する文化がなければ、職人が客と対等に話せる料理カウンターは成立しない。


■5.職人を育て、認める仕組み

 ロブション氏自身が歩んできた職人の道を、朝日新聞はこう紹介している。

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 フランス中西部、ポワティエ市の小さな食料品店に生まれた。貧しいが、信仰心の厚い親の影響で、神父になりたいと思い、12歳で神学校に入った。厳しい修道院生活では、料理をする修道女を手伝う時だけ、心が休まった。15歳の時、経済的事情で神学校をやめると、迷わずパリの大ホテルで料理人見習いになった。

 レストランを渡り歩き、28歳でパリの大ホテルの総料理長に就いた。31歳で「フランス最優秀職人賞」を受賞。36歳で自ら開いた「ジャマン」は3年後、レストランガイド「ミシェラン」の三つ星に輝いた。[1,p149]
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 料理一筋の職人の世界で、人を育て、認める仕組みがある事が、フランス料理界の強味なのだろう。しかし、料理人を厳しく鍛える伝統においては、わが国も負けてはいない。

 一人前の「板前」、すなわちカウンターの向こうで料理する職人になるには、次の仕事をそれぞれ数年かけてマスターしていかねばならない。[1,p148]

「洗い場、追い回し」(料理の仕込みと鍋洗い)
「盛り付け」(料理を盛り付ける役割)
「焼き場」(炭火で魚を焼く。ここからが料理人)
「向こう板、花板、回し」(仲居がとってきた注文を調理場にとりつぐ)
「煮方」(蒸し物、揚げ物などすべてやる。これを卒業したら、店を持って良い。)

 こうした長年の厳しい修行を積んできた料理人が、人間的にも深みを持つのは当然だろう。

 ちなみにミシェランガイドでは星付きの店が、パリの74軒に対して東京は2倍以上の150軒[a]。料理人道の厳しさと、その結果としての実力、地位の高さはパリの上を行くのではないか。


■6.トップスター料理人が始めた料理カウンター

 料理人の地位は、昔はさらに高かったらしい。日本で料理カウンターを広めた料理人は塩見安三である。明治28(1895)年に生まれ、昭和46(1971)年まで生きた。当時の一流の料理人は二人一組で全国の有名な店を渡り歩いて、仕事をしていたらしい。

 塩見安三の孫で、その流れを汲む「銀座浜作」を経営している塩見彰英さんは、こう書いている。

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 うちの安三おじいさんと(相棒の)出井豊三郎さんは広島の料亭へ出かけて行った時など、トップスター並みの人気ぶりで、それこそ街をあげての大評判。店には客が殺到して大変だったといいます。
給料は百円とれれば一人前の板前と言われた大正当時、安三おじいさんは500円もらっていたと聞きました。[1,p17]
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 大正半ばの国立大学教授の月給は70円というから、今の感覚で教授が月給70万円としたら、一人前の板前が100万円、塩見安三は500万円という所か。まさにトップスターである。

 この塩見が大正13(1924)年にカウンター形式の店「浜作」を大阪で始めた。客の目の前で、当時のトップスター料理人が腕を振るうのを見られる、という事もあって、たちまち大評判となったようだ。値段も当時の一流お座敷料理屋を時には上回ったという。しかし塩見自身は無愛想だったというのだから、面白い。

 後に「浜作」は東京に進出し、白洲次郎[b,c]や谷崎潤一郎、菊池寛、岩波茂雄など、文化人、財界人に贔屓にされた。来日したチャップリンやマリリン・モンローまで来たという。

 客が料理人の腕を振るう様を喜んで見たり、料理人と話を楽しめるというのは、客の方にそれだけ職人に対する敬意がなければ成り立たない話である。カウンター形式が日本において広まったのは、厳しい料理人道と、そこから生まれる料理人への敬意が社会にあったからであろう。


■7.カウンターでは包丁の使い方も変わってくる

 ロブション氏と同様、日本人でも一流の料亭で働いていた料理人が、自分で店を持つときにはカウンター形式を取り入れる例がある。「吉兆」で料理長までしていた穴見秀生さんは、大阪で「本湖月」というカウンター中心の割烹料理屋を開いた。穴見さんは言う。

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 大きなキッチンで働いているときは、要するに最後の仕上がりが綺麗であるかどうかが勝負でした。多少切り身の切り方がおかしくても、仕上がりがよければ良かったのです。[1,p134]
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 お客さんの目の前にある料理カウンターでは、また板も常に綺麗にしています。水を打って。しかし調理場では、そんなことまでは必要なかった。鯛の頭を落とすにしても、料理カウンターでは、お客さんに何か飛ぶようなことがあってはいけないと、包丁の使い方が調理場とは違ってきます。[1,p135]
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 このように、調理のプロセスがすべて客の目の前で行われること、そして客が食べるときに満足しているかどうかを、調理人が目の当たりに出来ること。要はそれだけカウンターは、キッチンに比べて真剣勝負なのだ。料理人道を歩む職人であれば、カウンターに挑戦したくなるのも当然であろう。


■8.「僕はまだここで働き始めて半年」

 本稿では、料理人道の最先端を行く達人たちの話が中心となったが、わが国の「道」とは初心者にも容易に入っていける広い入り口を持っている。

 大阪のホルモン屋でアルバイトをしている20代の青年は次のように書いている。[2]

__________
 僕がアルバイトしているホルモン屋はとにかく熱い! 情熱を持ってお客様へ最高のおもてなしを心がけています。

 僕はまだここで働き始めて半年。仕事の流れも徐々に把握できて今はいかにお客様にどう接するかを考えながら働いています。

 先日男女2人組のお客様が来店されました。店内をキョロキョロしているところを見ると初めてのご来店だなと思い、「はじめてのご来店ですか?」とお尋ねすると「噂には聞いていますが来るのは初めてで」というようにワクワクされていました。

 お席に通した後もそのお2人が楽しく美味しく召し上がっておられるか気になって気になって、時より声をかけると「おいしいです!」と超笑顔で言って下さいました。

 それならお返しに「おいしいいただきましたーーーー!!!!」と僕が言い、「ありがとうございます!」とスタッフ全員で店内に響き渡る声で言うと、すごく喜んでくださいました!

 最後に帰り際、「本当にありがとう!楽しかったし、美味しかったです。料理は味だけじゃないね。その店の雰囲気も重要だよ!」と言って下さいました。そんなお言葉をもらったのは初めてだったのですごく嬉しかったです!
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 料理人道はわが国社会のあちこちに入り口を開けて、待っている。その道に入るのは簡単である。自分でいかにお客様におもてなしをするかを考えていけば良い。ひとたび、その世界に入れば、その中には豊穣な世界が広がっているのである。
(文責:伊勢雅臣)
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