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国民の幸を願われ20年(国際派日本人養成講座から)

注)以下はメールマガジン「国際派日本人養成講座」からの引用です。
興味のある方は、メールマガジンを受信すれば、定期的に読むことが出来ます。

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国柄探訪: 国民の幸を願われ20年

 両陛下は180回のご巡幸で全都道府県514市
町村を訪問され、770万人の奉迎を受けられた。


■1.「人々の幸願ひつつ国の内めぐりきたりて十五年経つ」■

 ちょうど20年前に即位された当初、今上陛下は「なるべく
早く全都道府県をまわりたい」と仰っていた。それが実現した
のは、平成15(2003)年11月の鹿児島県御訪問であった。訪
れられた自治体数は401、ご移動距離は12万キロ、地球3
周分の距離である。

 鹿児島を離れるに際し、陛下は次のようにお述べになった。

 今回の訪問で即位後47都道府県の全てを訪れたことに
なりました。各地を訪れ、戦争の痛手から立ち上がり、今
日を築いてきた日本の人々の努力に深い感慨を覚え、非常
に心強く感じております。[1,p86]

 翌年の歌会始では、次の御製(天皇の御歌)を発表されてい
る。

人々の幸(さち)願ひつつ国の内めぐりきたりて十五年経
(へ)つ

 その後もご巡幸は続き、平成19年末までの行幸は180回、
514市町村に達した。平成20(2008)年9月の新潟県ご訪問
までの奉送迎者数は約770万人にのぼる。[2,192]

 皇室は世界で最も古い王室だが、同時に世界で最も「国民と
ともにある」存在とも言えよう。

■2.苦しみ、悲しみ、辛さを背負っている人こそ■

 侍従長として10年以上もお側に使えた渡邉允(わたなべま
こと)氏は「両陛下はいわゆる名所旧跡へは全くいらっしゃい
ません」と語る。まず国民と会うことを第一義に考えられてい
るからであり、特に地震などの被災地へのお見舞いや、障害者
施設、老人ホームなどへの御慰問などが多い。

 国民の中で、他の人は背負っていないような苦しみ、悲
しみ、辛さを背負っている人こそが、両陛下にとって慰め
なければならない人たちなのだと思います。[3,p55]

 特に平成3年の雲仙岳噴火、平成5年の奥尻島を襲った北海
道西南沖大地震、平成9年ロシア船タンカーからの日本海重油
流出事故、平成12年三宅島大噴火、平成16年新潟県中越地
震などの被災者に両陛下は思いを寄せられた。

 平成7(1995)年1月17日の阪神・淡路大震災では、両陛下
は1月31日に現地を見舞われ、その後も次のようにたびたび
ご訪問されている。

・平成13(2001)年4月 復興状況ご視察
・平成17(2005)年1月 10周年追悼式典にご参加
・   同    8月 世界心身医学会開会式の際にご視察
・平成18(2006)年9月 第61回国民体育大会の際にご視察

 以下、兵庫県の被災者と両陛下との交流の様を見てみたい。

■3.希望の象徴■

 大震災直後に、陛下は次のような御製を詠まれている。

なゐ(地震)をのがれ戸外に過ごす人々に雨降るさまを見
るは悲しき

 一刻も早く被災地をお見舞いされたいと思われたのであろう、
2週間後に両陛下はヘリコプターで現地入りされた。その時の
ことを被災地の人々は座談会で次のように思い起こしている。


中山 バスが一台来まして、警察の方がたくさん立ってお
られましたので、どうなさったんですか?って聞い
たら、今、天皇皇后両陛下がお越しいただいていま
すと。それでちょうどアーケードの焼けたところで
皇后陛下が水仙の花を持ってそうっと手向けてくだ
さっているんですよ。そこで手を合わされていまし
た、あの時は、わぁーとこう心に伝わるものがあっ
てね。いやこれは頑張らねばあかんねっていう気持
ちをもったのが、私、今だにわすれられませんわ。
・・・

小畑 後に皇居で秋篠宮妃殿下にお会いした時に、「あれ
はお堀の側の水仙を摘んで持って行かれたんですよ」
       ってお聞きしたのです。自ら摘んで持ってきていただ
いたということでまた感動でした。

 米国の週刊誌タイムは泣き崩れる若い女性を優しく抱かれた
皇后様のお写真を掲載して、「被災地の人々は村山首相の視察
には冷淡であったが、天皇皇后を希望の象徴としてお迎えした 」
と報道している。

■5.『みんなが見守ってくれているんだ』■

 この年以降、陛下はお誕生日前の記者会見で必ず被災者の身
の上を案ずるお言葉を述べられるようになった。

 遺族や、今も厳しい不自由な生活をしている被災者、特
に高齢の人を思うと本当に心が痛みます。(平成8年)

 間もなく三年を迎えようとしている阪神・淡路大震災の
被災者が、まだ二万所帯以上仮設住宅に住まっていること
を思うにつけても、日本の厳しい自然を年頭に置き、自然
災害に対する備えが一層充実していくことを願ってやみま
せん。(平成9年)

 陛下の被災者へのお言葉は、仮設住居の入居者が完全になく
なる平成11年まで5年間、続けられた。

 この間、平成13(2001)年4月には復興状況ご視察に来県さ
れている。さらに皇太子同妃両殿下、秋篠宮同妃両殿下、紀宮
様、常陸宮同妃両殿下も加えると、震災後10年間で17回と、
まさに皇室をあげてのお見舞いがなされた。

 貝原俊民・前兵庫県知事は、こう述べている。

 被災者は、なぜ自分だけがこんなにひどい目にあうのか
と非常に落ち込むものです。・・・ですから、被災者一人
一人にとっても、被災地全体としても『みんなが見守って
くれているんだ』と感じうることが非常に大きい支えにな
るのです。

 両陛下にはたびたび兵庫にお越しいただき、いろいろな
お言葉をかけていただいたことは、まさに被災者は自分一
人ではないんだ、皆さんに支えていただいて復興していけ
るんだ、という勇気をもつことに繋がったと思います。


■6.「笑み交わしやがて涙のわきいづる」■

 平成17年1月、両陛下は「阪神淡路大震災10周年の集い」
を機に、三度目の被災地お見舞いをされた。前述の座談会では
この時のことも話題に上っている。

戸田 みな水仙を持って、両陛下のお車がお通りになる沿
道でお待ちしていました。やがて、先導車が来られ
たんで、われわれぱーっと水仙を高く掲げて振りま
したら、普通ならそのまま真っ直進んでいくはずだっ
たお車が私らの方にまで近づいて目の前でゆっくり
進めれたのです。

池内 天皇陛下が奥で皇后陛下が手前でしたが、寄り添っ
て覗くように水仙をご覧いただきましたので、われ
われもそれにお答えして。

中山 もう一生懸命水仙の花が折れるくらいお振りしまし
た。後で見たら、水仙折れてました。一生懸命やっ
たのでしょうね。

 皇后様は翌年の歌会始で次の御歌を発表された。

笑み交わしやがて涙のわきいづる復興なりし街を行きつつ

 この御歌に関して、

戸田 これは私らの勝手な予想なんやけど、先ほどの中央
区の沿道で水仙でお迎えした私らの前をゆっくり車
でお通りになったときの歌ちゃうか、と思うたくら
いな感動を受けたんですよ。

小畑 皆この御歌がスラスラっ言えますからねぇ。そんだ
けこう心の中にずっとしまっていますわ。大事にし
てますよ。

 神戸市長田区では水仙が復興のシンボルとされ、水仙をあし
らった照明灯をつけたコミュニティー道路(スイセン通り)、
そして約千本の水仙を植えた公園が設けられた。

 この皇后様の御歌の歌碑が神戸市役所の南の東遊園地に建立
された。縦1メートル、横2.4メートルの黒御影石に刻まれ
たもので、この御歌に感動した生田神社宮司・加藤隆久氏が中
心となり、賛助金も瞬く間に集まって完成したのである。

■7.「人々の築きたる街みどり豊けし」■

 震災直後、避難所や仮設住宅などで多くのボランティア活動
が展開され、その参加者数は1年間で138万人に達した。平
成7年は「ボランティア元年」と呼ばれた。

 陛下はこの事をことのほか喜ばれ、同年のお誕生日のご会見
で次のように語られた。

 被災者が互いに助け合い、冷静に事に処している姿と、
各地から訪れたボランティアが、懸命に被災者のために尽
くしている姿に深く感銘を受け、我が国の将来を心強く思
いました。

 復興の一環として進められたのが、緑豊かな街づくりを目指
す「ひょうごグリーンネットワーク」(代表・安藤忠雄氏)で
ある。震災後の街は緑も失われ、ほこりっぽい潤いのない光景
が広がっていた。10年間で25万本を目標に、阪神間では鎮
魂の願いを込めて白い花の咲くコブシ、ハナモクレン、ハナミ
ズキなどが植えられた。

 平成13年4月のご視察で、両陛下が植樹をされた際には、
すでに目標を上回る30万本の植樹が達成され、陛下は安藤氏
に「よくここまで緑が戻りましたね」と声をかけられた。

六年(むつとせ)の難(かた)きに耐えて人々の築きたる
街みどり豊けし

 翌年年頭にご発表になった御製である。6年の苦難を乗り越
えて、人々が力を合わせて街を築いた。その豊かな「みどり」
は人々の復興への意思と助け合いの象徴である。

■8.「提灯を通して両陛下と私たちが一つになった」■

 平成18(2006)年9月、第61回国民体育大会が神戸市で開
催された。兵庫県では3回目の開催であったが、今回は特別な
意味が込められていた。震災から11年、兵庫県が立ち直った
姿を示し、全国各地の復興支援への感謝の気持ちを示そうと
「"ありがとう"こころから・ひょうごから」とのスローガンが
掲げられた。

 震災後4度目のご訪問となる両陛下を歓迎しようと、井戸敏
三・兵庫県知事、矢田立郎・神戸市長が名誉顧問となって奉迎
委員会が設立され、沿道での奉迎に14万本の日の丸の小旗が
用意された。神戸に向かう途中に立ち寄られた三木市では人口
の五分の一にあたる2万人の人々が沿道で奉迎した。

 両陛下がご宿泊されたホテルオークラの前のメリケンパーク
では、その晩に千人の人々が提灯を掲げて歓迎をした。両陛下
はホテルの33階のお部屋から8階まで降りてこられ、午後7
時20分から約10分間、提灯を振って答礼をされた。前述の
加藤宮司は次のように語っている。

 両陛下は、ゆっくりと上下左右に何度も提灯をお振りに
なり、私たち約一千人もそれと軌を一にして提灯を振りま
した。提灯を通して両陛下と私たちが一つになった感覚を
しみじみと感じました。奉迎者の中から「天皇陛下、皇后
陛下万歳」の声が澎湃として沸き起こり、提灯の他に日の
丸の小旗も打ち振られました。君が代を何度も斉唱し、本
当に感無量でした。

■9.「私たちは一人ぽっちではない」■

 両陛下がお心を寄せられたのは、阪神淡路大震災だけではな
い。平成16年の中越地震では、陛下はヘリコプターで被災し
た山古志村をご訪問になり、次の御製を詠まれた。

地震(なゐ)により谷間の棚田荒れにしを痛みつつ見る山
古志の里

 両陛下に励まされた山古志村村長・長島忠美氏は次のように
語っている。

 私たちはあのとき絶望の中にいました。場合によっては
一人ぽっちになるかもしれないと思っていました。しかし、
両陛下がお出で下さった。日本を象徴する方が来て下さっ
た。私たちは一人ぽっちではない。これだけで勇気に繋がっ
たと思います。・・・

 天皇皇后両陛下は、私たち政治家ではできないことをずっ
とやってきて下さっていると思うのです。それは大きな御
心で国民全体を愛するということです。その気持ちが国民
に伝わるから、勇気になったり、感謝の気持ちになったり
するのだと思います。

 天皇が国土を巡られることを、ご巡幸と言う。「幸」という
のは、古代シナの「天子が赴くところ幸いが生ず」という信仰
から来ている。

「人々の幸」を願い、祈る両陛下の御心が国民に伝わって、
「私たちは一人ぽっちではない」という感謝、そこから湧き上
がる勇気、そして互いに助け合おうという思いやりの心が生ま
れる。国民一人ひとりがこうした心を持てることが、真の「幸」
ではないか。

 両陛下は、このような幸を願いつつ、全国を巡幸されている
のである。
(文責:伊勢雅臣)



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